34:入門失敗
「色々考えましたが、やはり弟子入りをさせて頂きたく」
オットーの店を再び訪ねた私は、応対してくれたグレンダさんにそう告げた。
今日は商品の入荷の日ではないせいなのか店には客はおらず、ヒマそうにしていたオットーさんに声をかけるとすぐに奥へと通してくれた。
一日ぶりにあったグレンダさんは相変わらず美しく年をとった老婦人、と言う感じで非常に和む。
私の言葉に彼女はにこやかな笑みを浮かべ、心得たように頷いた。
「ありがとうございます。後継者になって下さるというのなら、こちらこそ大歓迎ですわ」
彼女の言葉と共にポーン、という音が鳴ってウィンドウが開く。
『生産クエスト「知を編む者への道」を受理しました。
クエスト達成条件 :???
達成後就職可能職業:編纂者 』
それらの文字に一瞬だけ目を走らせたが手を触れる事はせず、よろしくお願いしますとグレンダさんに頭を下げる。
グレンダさんはもう一度こくりと頷くと、立ち上がって部屋の奥にあった棚に近づいた。私は椅子に座ったままそれを視線で追う。やがて彼女は棚を開けて中から幾つかの品を取り出し、また戻ってきた。
テーブルの上に置かれたのは本が二冊と黒のインク瓶、そして羽ペンだった。
「これらが編纂者が使う基本の道具となります。これは白紙の書。その中でも一番基本となる、白紙の書Ⅰです。後は見ての通りインクと羽ペンですわ」
「シンプルですな」
「ええ。編纂とは言っても、要するに書き記したい内容を写本するだけですから。ただし書を作るときには魔力を消費しますので、魔力量には気をつけて下さい」
「魔力はどのくらい消費するのですか?」
「それは何とも言えませんわ。魔力の消費は一文字に対して幾らという形です。ですから当然記す文の長さによって変わるのです。ウォレスさんは魔道士ですから魔力は多いでしょうし、熟練度が上がれば消費する量も減りますので、気をつけることさえ忘れなければあまり心配しなくても良いでしょう」
「なるほど……わかりました」
そうするとたまに休憩して瞑想を挟んで生産するといい感じかも。
「生産可能な場所はやはり工房ですか?」
確かこの街の魔法ギルドには、魔道具などを作る時に便利な貸し工房があるという話なのだ。
鍛冶や魔道具製作、薬の調合や料理といった生産は大抵がそれ専門の工房へ行って作業する必要がある。騎獣生産が厩舎を借りなければいけないのと同じ理屈なんだろう。そういった各種の工房はその生産職の伝承者のところや各ギルドなどで借りることが出来るらしい。
ファトスやセダでは建物が小さかったせいか魔法ギルド内には工房は設置されていなかった。商業ギルドや伝承者の所には幾つかあったらしいが見る機会はなかったので、この街でついでに見てみようと思っていたのだ。魔法ギルドなら私は施設利用料が掛からないので覗く為だけに借りるなんてこともしやすいし。
「そうですね、できれば工房で作ったほうがよろしいでしょう。幸いここサラムには魔法ギルドに設備の整った工房がありますし、そこを利用するのが良いかと思いますわ」
私の質問にグレンダさんはそう答えてくれたが、今の言葉には引っかかるところがある。
「工房で作ったほうが良い、ということは、それ以外の場所でも可能ということですか?」
「一応可能ですわね。先ほどもお話ししました通り、編纂はとてもシンプルな工程です。道具も特別と言える物は白紙の書だけです。魔法具生産のように床に魔法陣の設置された部屋が必要と言う訳でもありませんし、薬を作る時に使うような特別な道具も要りません」
「魔法具生産はそんな部屋が必要なんですか?」
「ええ。物に魔力を付与するためには、中心に置いた素材に対して効率よく魔力を集積する魔法陣が必要なのです。工房にはそれが常設されていますから、魔法具生産は工房でなければ行えないのです。その代わり消費魔力は実は魔法具生産の方が大分少ないのですよ」
そんな細かい設定があったのかぁ。なんか、そういう話を聞いているだけでもかなり楽しい。工房に行ったら絶対あちこち確かめてみよう。
私が決意を固めているとグレンダさんは更に言葉を続けた。
「ですから、編纂は理論的には道具と必要魔力さえきちんと揃っていれば外でだってできない事はないのです。ただ、書に文字を記すという作業になるのですから、机と椅子があるに越した事はないでしょう?」
「確かに……膝に本を置いて書けないこともないですが、やりづらいでしょうな」
「ええ。当然それらは生産の成功率を左右することになります。せめて机と椅子がある場所でないと難易度が上がり、成功率は大分下がることでしょう」
「良くわかりました。ありがとうございます」
そういうことならやはりちゃんと工房を借りた方が良さそうだ。そうでなければ、各地の図書室を使ってもいいかもしれない。図書室なら小さくても一応机と椅子くらいはある。写本するにも楽だろう。
そう納得して頷くと、グレンダさんも笑顔を浮かべた。
「では、説明はこのくらいにして。編纂者になるための試験は簡単です。この場で二冊の魔道書を作成してもらいます。それが完成したら、貴方を編纂者と認めましょう」
「はい。よろしくお願いします」
この辺は一般的な生産クエストとあまり変わりがないようだ。他の職業の場合も、材料を渡されて教えられる通り生産してみろとか、師匠についていって採集や動物一匹の捕獲とか、そういう簡単な課題の場合が多いらしい。
「白紙の書は初歩のものですので、書き記せる文字は約二百文字くらいですわね。この数字は熟練度によって多少変わります」
そう言われても二百が多いのか少ないのかさっぱりわからない。普段使っている魔法を文字数で数えた事なんかないよ……。
困惑していると、そんな私の内心を予想していたのか、グレンダさんは安心させるように微笑んだ。
「最初は初級魔道書に載っている魔法を三つ選べば大体丁度良いくらいでしょう。お好きなものをどうぞ」
「あ、はい。わかりました」
「それでは、まずはこちらの白紙の書をどうぞ」
促されるままにテーブルの置かれたままだった本を一冊手に取ってみる。
白紙の書の名の通り、白い布張りの本はその表紙も背表紙も、そしてちらりと開いた中身も当然真っ白だった。
大きさはB5サイズくらいだろうか。市販の魔道書と同じくらいの大きさだ。
「次に……ウォレスさんは見本となる魔道書を何かお持ちですか? 先ほども言った通り初級魔道書が良いかと思いますが」
「あー、と。一冊だけなら。他は初級魔道書じゃないのですが……」
「大丈夫ですよ。今は中身は問いません。同じ本を二冊作っても構いませんし。もし魔道書がなくても覚えている呪文があるのでしたらそれを書き記して頂いても結構です。見本はあくまで脇に置いて見るだけですから」
アイテムウィンドウを開き、赤の魔道書Ⅰを取り出す。
これは最初にミストがわざわざ買ってくれたものだから、何となく捨てずにとっておいたのだ。
呪文はどれも頭に入っているが、一応見本にと開いて並べた。意外なところで役に立ったなぁ。
とりあえず最初はこれでいいや、と魔道書のページを開き、『炎の矢』の文字に触れる。
すると魔法を使う時と同じように、ページに呪文が現れた。
「よろしいようですね。では、これを」
そう言ってグレンダさんが何かを取り出す。
コトン、と小さな音と共にその魔道書の脇に置かれたのは、ガラスと木で出来た、小さな置物。
その存在が目に入った途端、私は思わず息を呑んだ。
「これは……ひょっとし、なくても」
「ええ。ご覧の通りの、ただの砂時計です」
「え、じゃあ……せ、制限時間があるのですか?」
思わずこぼれた私の問いにグレンダさんはにっこりと微笑んで頷いた。
「ええ、けれどそんなに厳しいものではありませんよ。一つの呪文を書ききるのに許される時間はこの砂時計が落ちきるまでですが、初級の呪文くらいならまず問題なく終わるでしょう。字がわからないようなことがあっても見本と見比べる時間は充分ありますし、熟練度が上がれば時間も徐々に伸びますから呪文が長くなってもさほど心配はありませんわ」
全く問題なし、と言うような彼女の明るい口調での説明は、しかし私にはいっそ絶望的に響く。
しかし固まっている私に気付かぬまま、彼女は当然の如く羽ペンをとることを促した。
「さ、どうぞ。まずはお試しになって下さいな。書くページはどこでも構いませんから適当に始めてみて下さい」
「は、はい……」
「書と見本を並べて開いたらペンを持ち、『筆記』と告げて書き始めてください。その言葉を合図に砂が落ち始めます。インクは一度付ければ書ききるまではそれでもちます。全ての内容を記し終えたら、『筆記終わり』と告げてください。手が早ければ文字数の上限までの呪文を一気に書き上げる事も可能ですが、できれば最初は呪文を一つずつ書いて一休みした方がいいでしょう。
全て書き終えたら最後に表紙に書の名前を書き入れ、それで完成です。市販の書と全く同じ内容の本を作った場合は自動的にその名前になります。簡単でしょう?」
確かに簡単だ。内容だけ聞けばそれだけかと大抵の人間は思うだろう。
自分の手で書き記すのは多少面倒かもしれないが、脇に見本を置いて見ながらでいいというのなら、授業で黒板を写すのと大した違いはない。ない、はずなのだが。
とにかく、やってみるしかないかな……。
「ええと、では……『筆記』と」
私は覚悟を決めて羽ペンを手に取ると、なるべく開きやすい真ん中辺りを選んで白紙の書を開いた。しっかり開いたページに片手を置き、筆記、と告げる。
グレンダさんの言葉通り、途端に目の前の砂時計の砂がさらさらと動き出し、私は慌てて羽ペンをインクに突っ込むと『炎の矢』の最初の言葉を記し始めた。
カリカリと羽ペンの動く音だけが室内に響く。
羽ペンなんて手に持ったのも初めてだったがそれほど使いにくいこともなかった。多分本物ならこうはいかないのだろうがインクのすべりも良く、紙に引っかかるような事もない。頭の中に思い浮かべた呪文が、私の手の動きと共にゆっくりと紙の上に記されていく。
そう、ゆっくりと。
「……あの、もう少し早い方が」
「す、すみませんっ、と、あっ!?」
グレンダさんの言葉に焦った瞬間、ぼふん、と手元から白い煙が上がった。私は驚いて思わず本から顔を上げたが、幸い謎の煙はそれ以上特に何かあるわけでもなかったらしく、本の上で小さなきのこ雲を作った後に空気に溶けるように掻き消えた。私がたった今まで書いていた文字と共に。
後に残ったのは開かれたままの、白いページのみ。
「あー……間違えた、せいですかの?」
「そうですね……呪文の場合は文字を明らかに書き間違えると今のように途中で消えてしまうのですわ。すみません、私が声をかけたばっかりに……」
「あ、いえいえ。わしこそ次はもう少し早く書くようにします」
気を取り直してもう一度羽根ペンを手に取る。今度は筆記、と言う前に先にインクを付けて準備万端で始めることにして……。
ぼふん、とまたも白い煙が上がったのは、それからしばし後のことだった。