27:ある日の待ち合わせ
――ファトスの街は今日も快晴だ。
かなり久しぶりに訪れた始まりの街ファトスの神殿前の噴水広場はなかなかに賑わっていた。
今日は現実では土曜日なせいもあってどの街もフィールドもいつもより人が多く、ここも例に漏れないらしい。
その賑わいの大半を、まだこのゲームを始めたばかりなのだろう、すでに懐かしく感じる布の服やローブに身を包んだプレイヤーの姿が占めているのがこの街らしい光景と言える。
ただ以前と少しだけ違うのは、広場を囲む店を覗き込んだり待ち合わせなのかきょろきょろしながら立ち尽くしている彼らの服装が、普通の服の人とローブ姿の人の割合が半々とまではまだまだいかないが思ったより偏りが少ない、ということだろう。
話にだけは聞いていたその小さな変化に、私は思わず口元をほころばせながら久しぶりに訪れた広場の端をゆっくりと横切って歩いた。
このゲームのサービスが開始されてからそろそろ三ヶ月くらいになるが、聞いたところによると最近RGOを新規で始めるプレイヤーがまた増えているらしい。
少し前まで人気のあった別のVRMMOの運営の評判が悪く、いよいよどうしようもないと言うことで利用者離れが進んでいたり、期待されていた新しいゲームの開発に遅れがでて大幅な発売延期が決定されたりといった、この業界にごくありがちな理由によってその現象は緩やかに続いているようだ。
RGOは最近のゲームの中ではオーソドックスな題材ながらも難易度や自由度のバランスが良く、色々な楽しみ方ができるところが魅力だとネットでは講評されていた。
バランスなどの改善を求める声は依然多いのだが、運営は細かな対応はともかく今のところそれらの大幅な変更などには応じる気配はない。
けれどそのかわりプレイヤー達の今日までのプレイによって、バランスを論じるよりも素直に楽しめる要素が沢山あると言う事が徐々に明らかになりつつある。むしろそのバランスの厳しささえも、ちょっぴりM気質なプレイヤー達の注目を集めているらしい。
そういった事情で今でもこうして始まりの街の賑わいが続いているのだろう。この街に馴染んだ私としてもそれはとても嬉しいことだ。
そんな事を思い返しながら広場の端をなるべく目立たないようにゆっくりと歩いていると、色々な声が聞くともなく耳に入ってくる。
パーティを募る声や、待ち合わせの相手を呼ぶ声、一緒に始めたらしいリアルの仲間とお互いの姿や今後の予定について話し合う声。
そんな沢山の当たり前のやりとりを面白く思いながら、私は広場の奥にある高台の神殿へと続く階段の傍まで近づいた。
階段には用はないのでその脇に寄って辺りを見回すと、少し離れた場所で小さく手を振る待ち人の姿が目に入る。
手招かれるままに広場の端に近づくと、待ち合わせの相手であった少女――スゥちゃんはニコニコと笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。
「おじいちゃん、おっそいよ~!」
「すまん、ちょっと寄り道をしておったら遅くなっての」
もともと待ち合わせの時間は曖昧にしか決まっていなかったのだが、私は苦笑しつつ軽く頭を下げた。
もちろん少女もそれは承知の上のようで文句の言葉とは裏腹に顔も声音も笑っている。
私がわざと神妙な顔をして見せると少女はくすくすと笑い声を上げ、ホントはボクが早かっただけだけどね、とぺろりと舌を出した。
私の知る限りのリアルでの彼女はサバサバとした姉とは対照的に大人しく几帳面な少女だ。少なくとも私の前ではそうだった。時間にもきっちりとしているタイプだったのだが、そんなリアルでの癖というものはやはり仮想の世界の中であっても出てしまうものなのかもしれない。
彼女との待ち合わせの時はやはりもう少し気をつけることにしようと思いながら、私は少女に袖を引かれて広場の端の建物の壁際まで歩く。
人に話を聞かれない位置まで移動し、壁を背にして二人で並んで立ち、更に念を入れて少女は短い言葉を紡いだ。
「チャット申請、ウォレス」
「了承」
たったそれだけのやり取りで自分たちの声だけが外界から切り離される。それと同時に周囲の喧噪が薄い壁を一枚隔てたように少しだけ遠のいた。そんな変化にももう慣れたものだ。
「これでよしっと。おじいちゃん、この前のメール読んでくれた?」
「うむ。送られた代金も受け取ったよ。しかし、アレは少し多くないかね?」
私の言葉にスゥちゃんはパタパタと右手を振って、否定を示した。
「そんなことないよ。だって預かった分全部売れたし、この前試しにオークションに出した奴も予想外にいい値段ついたもん! ボクの方こそ何にもしてないのに三割も貰っちゃって悪いくらいなんだよ?」
「いやいや、自分で売らずに済んで非常に助かっておるよ。スゥちゃんに損がないならそれでいいんじゃよ。トラブルとかはないかね?」
商品の代行販売を頼んでいる身としてはその辺がとても心配だ。
しかしスゥちゃんは首を横に大きく振ってそれも明るく否定した。
「だいじょーぶ! 売るっていってもほとんど『自販機』任せだもん。購入時の条件や制限も細かくかけてあるからその分お客はちょっと減るけどトラブルはないよ」
「そうか、なら良かった。それならまた追加も頼めそうじゃな」
「うんうん、任せて!」
スゥちゃんに促された私はウィンドウを開き、彼女にトレードを申し込む。そして自分のアイテム欄に並んだ大量のアイテムを次々とトレードウィンドウに放り込んだ。
その様子を自分の手元で眺めながら、スゥちゃんが嬉しそうな声を上げる。
「うわ、おじいちゃん随分がんばったね!」
「うむ、スゥちゃんが前のを売ってくれたから素材を買い込めたしの。スキルも結構上がって助かったよ」
ちょいちょいと作業を終えて完了のボタンを押す。
それを確認した少女もまた自分の画面に指を滑らせ、それによって私が渡した沢山のアイテムは彼女の預かりとなる。
もう並べちゃうね、と言ってスゥちゃんはさっそくそれらを売るための作業にかかった。
私は壁に寄りかかって私からは不可視の彼女の作業をぼんやりと眺めつつ、頭の中で今後の生産の予定を立てていた。
今回のまとまった生産でスキルが結構あがってきたからそろそろ上位の素材にチャレンジできそうだ。
ファトスで売る分はこれからはほどほどにして、次の段階に進むかなぁ。
そんな事を考えていると、スゥちゃんが画面に目を落としたまま声を掛けてきた。
「ね、おじいちゃんって表の情報サイト見てる?」
「ああ、たまに見とるよ。ここしばらくは見ずにすぐにログインして作業してる事が多かったが……」
「そっか、じゃあ知らないかな? あのね、ちょっと前から掲示板とかでちらほら噂になってきてるみたい」
主語のない言葉だったがその言いたい事を大体察した私は軽く首を傾げた。
「……そうか。噂はどんな感じに?」
「買った人からの情報の流出がまだ少なめみたいでちょっと怪しまれてたよ。でもほんとにあるなら手に入れたいって人が多いみたい。
まぁボクの店って利用者が限られてるからさ。怪しい都市伝説の類扱いされてたりもするんだけど……商人スキルについて知ってれば、それで店自体に色々と条件かけてあるんだってわかっちゃうからね。おじいちゃん待ってる時にちょっとうろうろしてみたけど、探してる風な人をちらほら見かけたよ」
「ふむ。まあ、ここで待ったり、探したりしてもらえるのは光栄かもしれんがの」
呟きながら広場に視線を巡らせる。
きょろきょろと辺りを見回したり、周辺のNPCの店やファトスではあまり数の多くないプレイヤーの営む露店を覗き込みながら歩いている人の姿が目に入った。
確かにローブを着ている人間にその傾向が多い気がしないでもない。
いったいそのうちの何割がそうなのかは知らないが、本当に手に入れる事を望まれているなら本音を言えばそれなりに嬉しい。
しかし、今のところ目立った商売をする気はないのだが。
「よし、これで終わりっと。全部お店に並べたから、設置するよ?」
「おお、お疲れ様。ではここは邪魔かの」
私は壁から背を離してその場を離れ、スゥちゃんから少し距離をとった。
それを確認した少女が頷き、画面に触れると今まで私が立っていた場所が一瞬ゆらりとぶれる。
「んふふ、一見さん”以外”お断りの店、スッピーハウス一号店開店でーす!」
チャットモードのままなのでその声は私達以外に聞こえず、誰が注目することもない。
二人だけが見つめる目の前の地面からはほんの一瞬光が立ち上り、それが消えると同時にそこには小さな小屋が魔法のように出現していた。
それは人より少し高いくらいの背丈で縦横は一メートル四方ほど。今はもう殆ど姿を見なくなった昔の電話ボックス位の大きさだろうか。
三方の壁が木でできた三角屋根の小屋の中は空洞で、中にある腰くらいの高さにある台にいくつかの品物が乗っていたり、壁にぺたぺたと貼り紙がしてあったりする。
これがいわゆる『自販機』だ。正式名称は「商人スキル:無人販売所」というらしい。
普通に露店というと地面に敷物を敷いてそこで商売したり、小さな机(これは露店用アイテムとして商業ギルドや雑貨屋などで買うことができるらしい)を置いて商品を並べたりといったスタイルがRGOの中では一般的だ。
そういった普通の露店はどの職業のプレイヤーでも設置することができ、自分が生産スキルで作った物やドロップアイテムなどを並べることができる。
ただし、当然そこには店主である本人がその場にいなくてはならず、対面販売が基本となる。
だがそれらの例外として、生産職で「商人」をやっている人だけが、スキルによってこの無人販売所を作ることができるのだ。
商人のメリットはなんといっても鑑定スキルとこの無人販売所だろう。その場にずっと居なくて済み、交渉などをしなくても物を販売できるのは非常に便利だ。その他に商人はNPCに対する売買に対してもスキルの熟練度に応じたボーナスがつく。
そんな訳で今私がスゥちゃんに依頼したように、付き合いのある商人プレイヤーにドロップ品や生産物を委託して販売してもらっている人間は結構居るらしい。多少のマージンを取られたとしても自由になる時間が多いということの方がMMOでは重要視される事が多い。身内に一人居るとかなり有難がられる職業といえるだろう。
「よし、設置かんりょー。さ、離れよ」
「うむ」
スゥちゃんに手を取られ、引っ張られるようにしてその場を静かに離れる。
私はなるべく目立たないようにとゆっくりと歩いた。
「おじいちゃん、そんな心配しなくても大丈夫だよ? アレ自体は設置して一分後からお客に見えるようになるようにセットしてあるし」
「そうなのかの? しかしわしには見えておるが……」
「フレンドは見えるように設定してあるもん。ボクのフレンドにはあんま変な人いないしさ!」
その言葉には少々疑問を感じるような気がすると思いつつ、私達は広場の喧騒から離れて比較的静かな西通りに歩を進めた。
置いたままの自販機の様子は気になったのだが、せっかくログインしているのにそればかり眺めている訳にも行かない。
それに今日の予定はもう色々と立ててあるのだ。
その予定の一つ、待ち合わせと商品委託をたった今クリアした私は次の予定を実行すべく隣を歩く少女を見下ろした。
「さてスゥちゃん、お礼という訳ではないが良かったらこれからお茶でもどうかの? 最近サラムで美味しい店を見つけたんじゃよ」
「いいの? うわーい、行く行く!」
「よしよし、ではまずはサラムまで移動しようかの」
スゥちゃんの返答を得て、私は彼女を伴ってその場に立ち止まる。
巻き込む範囲に少女以外の人間がいない事をさっと確かめて口を開いた。
『開け天の窓、地の扉、我望むは遠きサラムの地。天と地の理の狭間を通りて、我らをかの地まで運べ』
私は手には何も持っていなかったが、転移魔法だけなら装備品は関係なく普通に使える。
口早に呪文を唱え、最後の一節を口にする前にスゥちゃんに片手を差し出した。
その手を取ったスゥちゃん以外の人が魔法の範囲内にいない事をもう一度確かめて、私は最後の言葉を呟く。
『開け 転移門』
私の足元に光が弾け、直径二メートルほどの魔法陣が花が咲くように大きく広がる。
足元からの光に視界が白く染まり思わず目を細めたその一瞬の後、気がつけば私の目はすぐ傍に見えるサラムの街の門を捉えていた。
転移魔法は転移所を使う場合と違って街の中に移動することはできず、街の正門の付近に転送されることになっているのだ。
この転移魔法にももうすっかり慣れたはずなのだが、それでもやはり移動する時は少し身構えてしまう。現実では絶対に不可能な、こんな風に一瞬で遠くに移動するという行為になんとなく緊張するのだ。
ホッと息を吐いて顔を上げると頬にポツリと雨が当たった。
「ありゃ、こっちは降ってきたか」
「ホントだ。サラムって結構雨多いねぇ」
「そうじゃのう。ではあまり濡れないうちに行こうか」
「うん!」
ポツリポツリと降り出している滴から逃げるようにスゥちゃんと並んで早足で門に向かう。
門の向こうに見えるサラムの街の大通りも今日はいつもより少し賑やかだ。
大きな門を潜りながら私は、そういえばこの街を初めて歩いたあの日も雨だったな、とそんな事を思い返していた。