番外編 フィアーの恐ろしい一日
番外編
南地区。
夜の観覧車。
僕はゴンドラの窓から、下を見下ろしていた。
「はぁ……」
ため息。
ヨロコビから侵入者の情報が入った。最近はめっきり襲撃も減っていて、落ち着いていたのに……
そうブツクサと呟きながら、南地区の街並みを見下ろす。
街中で奏でられる音楽、男女が手を繋ぎ、仲睦まじく歩く平穏な日常。
人々は皆笑っている。
(やっぱり楽しい街には音楽が無いとね)
ここまで発展させるのに、凄く時間がかかった。
昔は毎日のように襲撃があった。
そんなある日、僕のもとへヨロコビが来てくれて、僕にいろいろと提案してくれたのだ。
ときには人を追い出して、ときには働かせて…
そもそも労働等という概念のないこの世界で、僕の能力は大変便利だった。
この街を、危険に晒すわけにはいかない。
僕は、ヨロコビから聞いた侵入者の情報を改めて思い出す。
◆
『侵入者は男一人と、女二人。男の方は左肩から先が義手であり、女は巨大な銃を携えています』
『今回の敵は手強いですから…追い出すよりも、館へ誘い込み、罠を仕掛けたほうが良いかと思いますよ!』
ヨロコビの爽やかな笑顔が僕の心に光を差し込んでくれる。
僕に対して、笑顔を向けてくれるのは彼くらいなもんだ。
◆
いつも通りの、簡単な仕事のはずだった。
僕は右手を見る。
手のひらの紋様。
閉じた眼。
「恐幻ノ眼」
ゆっくり瞼が開く。
黒い瞳が、こちらを見返してくる。
この眼は、相手の恐怖を刺激する幻覚を見せる。
人間は単純だ。
怖いものから逃げる。
だから。
逃げる方向を作れば、勝手にそこへ向かう。
……普通は。
ゴンドラを降りると、周りには町人たちが集まってくれていた。
「「フィアー様!本日も大変楽しいです!」」
よかった。街の人々もこう言ってくれているし、大丈夫なのだろう。きっと。
そのとき、通りの奥から慣れない視線を感じる。街の住人とはまた違う、敵意と殺意を込めたような視線。
僕はギョッとしてそっちの方向を見る。
男が一人と、少女が二人。男は義手……
ターゲットだ。
僕は恐怖の幻覚を送り込む。でも、男の方には効かないようだった。
銃を持った少女の方も、効きが良くない。
「ま、まずいなぁ。き、きっと強いんだろうな」
少し考えて、恐怖と共に僕の幻覚を見せる。
「帰ってくれるならそれで良いか……」
そう思い、声を届ける。できる限り、おどろおどろしく…
すると突然、槌を持った少女の瞳が見開かれる。
「……!」
立ち上がる。空を見つめて……
『うそ……なんで…』
「ん?」
『やだ……やめて……』
「なになに?」
少女の肩が震え始める。
『ヤダ……ヤダヤダヤダ……』
「え……え?」
少女の手のひらから、滑るように槌が地面に落ちる。
『やめて……やめて!!』
「き、効きすぎてない?」
少女の眼から、涙が溢れる。
「イヤァアアア!!」
そのまま彼女は、街の奥へと走り去ってしまった。
稀にいるんだよね。めちゃくちゃ怖がりな人も。僕と一緒だ。
僕はとりあえず追いかけた。
残った二人も、彼女を追って館まで来てくれるはずだ。結果的には、ヨロコビの言うとおりになりそうで安心する。
そのときの僕は、考えが甘かったと、後になってひどく後悔することになる。
◆
フィアーの館。
「ハァ……ハァ……」
「うわあああああああ!!」
ドガァン!
扉が蹴破られる。
「い、いい加減おちついてくれ…」
少女を館まで連れてこれたのは良かった。だが、それからが大変だった。
恐怖心を無くすためには、僕の左手にある紋様「狂布ノ心」で吸い取る必要がある。
でも吸い取るためには、直接触らないといけない。
それなのに…
少女は館の中で暴れている。もはや怖がっているようにも視えない。
「な、なんて子だ……グフッ!」
少女の右拳が僕の左頬にクリーンヒットする。
僕の口から血が吹き出し、廊下の床に飛び散る。
「や、やめてくれよ…」
「うわぁぁぁ!」
少女は突然走り出す。
「も、もはや…予測、不能だ」
少女は廊下の奥で突然立ち止まる。
「やっと、落ち着いてくれたのかな」
僕が近づき、少女の肩に手を触れようとする。
その瞬間、少女が振り向いた。
「来るなああああ!!」
拳。
「ひ、ひぃい!」
ドゴォン!!
壁が砕けた。
「え?」
僕は固まった。
「壁、壊した?」
次の瞬間。
ハンマーが突っ込んできた。
「いたあああ!!」
ドガン!!
拳が僕の腹にめり込む。
「ぐはぁ!?」
吹き飛んだ。
廊下の床に転がる。
「なんで殴るの!?」
僕は慌てて立ち上がった。
「待って!話し合おう!」
「うわああああ!!」
殴られた。
また僕は吹き飛んだ。
「ふひゅ…ひゅー…」
(話し合えない!!)
仕方ない。
右手に刻まれた瞼の紋様が閉じる。
そしてもう一度、開く。
眼だった紋様が。
口へと変わる。
「畏怖の口」
トラウマを呼び起こす能力。
「こ、これで落ち着いてくれれば…」
少女が震えだす。
止まる。よし。今だ。
と思った瞬間。
「いやああああああ!!」
さらに暴走した。
「悪化してる!?」
館の柱が折れる。
窓が割れる。
床が砕ける。
僕は必死に逃げた。
「待って!館壊れる!」
少女は追いかけてくる。
そこからは完全に鬼ごっこだった。
恐怖誘導は万能じゃない。
大まかな方向は操れる。
でも。
狭い館の中では。
細かい制御ができない。
「なんでこんな強いの!?」
僕の体と館はすでにボロボロだった。
壁。
柱。
家具。
全部壊れている。
僕は膝に手をついた。
「……もう、無理だ」
他の二人が来るまでに、恐怖を植え付ける罠も仕掛けないといけない。
時間が無いのに、解決策も無い。
(……に、逃げるか…?いやいや!それじゃだめだ!)
そんなことを考えながら、僕は暴れる少女との距離を詰める。
さしずめ、大型の肉食獣との邂逅。とにかく、目は合わせるな。
少女、もとい獣はこちらをじっくりと吟味するように見つめている。
(え、これ怖がってるんだよね。)
恐ろしい眼力に、僕の足はすくむ。
そのとき、獣が突撃してくる。
「うぉおおおおお!!!」
「うわぁああああ!」
少女は僕に凄い力で飛び掛って、僕は押し倒される形になった。
偶然、彼女の肩を押さえた僕は、急いで能力を発動する。
「ひ、ひいい」
恐怖が左手から流れ込んでくる。
同時に、少女が止まる。
ゆっくり。目がとろんとしてくる。
「……ふわぁ」
大きなあくび。
そのまま。
床に倒れた。
爆睡。
僕はその場に座り込んだ。
「……ハァ」
館は廃墟だった。
壁は壊れ。
柱は折れ。
床は砕け。
僕は満身創痍。
服はボロボロ。
頬には拳の跡。
腕にはアザ。
僕は天井を見上げた。
「……」
小さく呟く。
「もう二度とやりたくない」
それが。
この日の、心からの感想だった。




