第29話 恐怖の館
第29話
カジノを出たキーパーたちは、まず外の暗さに驚いた。
空を覆う蒸気は黒く照らされており、いまが夜であることを示唆している。
黒雲の中、一際輝く金のゴンドラが、ゆっくりと持ち上がっていく。
蒸気灯の街が小さくなっていく。デイブレイクタウン南地区。
屋根の海。
煙突。
薄い霧が立ち込める。
そして――
「……相変わらず、音楽はなっているな。」
レンが呟いた。
「フィアーが奏でさせている、楽団の音か。」
行進曲のような勇猛な曲調だが、どこか物悲しい音色。
「彼らも、フィアーの支配の下で、無理やりやらされているんだろうか。」
その時だった。
ゴンドラの床が沈んだ。
「!」
衝撃でよろけたレンがキーパーの腕を掴む。
床がゆっくり下がっていく。
観覧車の回転とは別の動き、落ちていく砂時計のように、支柱の内部へ吸い込まれていく。
ゴンドラの窓から差し込む外の光が消える。
暗闇。
重い音。
ゴンッ
床が止まり、扉が開く。
扉の先は――真っ直ぐに続く長い廊下。
壁には、古いランプがかけられており、揺らめく小さな火の光だけが廊下をほんのりと照らしている。
「一本道か。⋯ん?」
「ギャーッ!!!?」
レンの悲鳴が廊下中をつんざいた。
「どうした!」
(レンの恐怖、壁を指さす描写)
壁一面にはびっしりと黒い手形。よく見ると床には乾いた血の跡がある。
震えるレンが後退りをすると、首筋に冷たい感触が走った。
「ひゃーー!」
ジャラ……ジャラ…
振り返ると、天井から吊るされた鎖がゆらりと揺れている。
レンが小さく舌打ちした。
「……趣味が悪すぎる」
キーパーは答えずに、ゆっくり進む。
足音が響く。
コツ
コツ
コツ
やけに反響する。
レンがちらりと壁を見た。
黒い手形だけじゃない。
爪で引っかいた跡。
誰かが―逃げようとしたような跡。
「……なぁ」
レンが言う。
「ここ、よく見ると拷問部屋のようじゃないか?」
キーパーは廊下の奥を見ていた。
「拷問廊下か。傑作だな」
進んでいくと、突き当りに扉が並んでいる。
左は、黒い扉。
真ん中は、茶色の扉。
一番右は、真っ赤な扉。
ひとつだけ、扉が半開きになっている。
「とりあえず、赤い扉に入ってみるか。」
キーパーは、足音を立てないようにそっと扉に近づいた。
◆
キーパーが先頭に立ち、レンが後ろから銃を構えながら、黒い扉の前に立つ。
恐る恐る半開きの隙間から覗き込んで見るが、中は真っ暗で見えない。
「ハンマー!いるのか!?」
返事はない。
だが。
奥の扉から。
かすかな音。
ガチャ……
鎖。
キーパーが扉を蹴り開ける。
バンッ!!
開いた扉から、廊下の灯りが漏れる。
部屋の中央。
そこに。
「……大丈夫か!?」
ハンマーがいた。
しかしその姿は見るも無残に、両腕を鎖で吊られ、顔は血まみれだった。
キーパーとレンはハンマーに駆け寄り、体を揺する。
呼吸はしているが、目は半開きで口からは涎が垂れている。
「……キー⋯パー」
かすれた声。
レンは急いで鎖をほどこうとするが、焦りからかうまく掴むこともできない。
「しっかりしろ!」
「⋯レ、ン」
「おい!」
「大丈夫か!」
そのとき、突然ハンマーの目が白目を剥き、大きく口を開いた。
開かれた口の中、喉奥から這い出てくるもう一つのハンマーの顔。そしてその顔は真っ直ぐとレンを見て語り出す。
「何でもっと早く来てくれなかったの?
⋯ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙!!!!!!!!!!!!!!!!!」
突然の絶叫。
レンは、驚きと恐怖のあまり泡を吹いて気絶してしまった。
◆
茶色の扉の中には、小さな化粧台がポツンと置かれていた。
台の上には、大きな鏡。
近づいてみると、自分の姿がうつっている。
「⋯。」
黒いフードを目深く被り、鼻先までジッパーを閉めている。全ては、自分を隠すため。
真っ白な髪が目にかかり、もはや鏡の中の顔はほとんど隠れている。
見たくない、見せたくない、自分の顔。
突然、鏡の中で自分の肩が抱かれる。
「⋯!キーパー様⋯。」
肩を抱いているのは、麗しきキーパー様。
凛とした瞳が私を見つめている。ふと、自分の肩を触ってみると、キーパー様の手が触れた。
しかし振り返っても、誰もいない。
「キーパー様⋯。」
また前を向くと、鏡にうつっているのはキーパー様の姿。
相変わらず、眩しすぎて直視できない。
そう思っていると、突然キーパー様の顔中に血管が浮き出てくる。
閉じられた口から、指が一本。二本⋯
「え⋯?」
十本の指が出てきたとき、キーパー様の口が上下に大きく引き裂かれた。
「キャッ!?」
噴水のような血吹きをあげ、キーパー様の中から出てきたのは、自分。
血だらけで笑いながら、今度はゆっくりとこちらへ手を伸ばし⋯
視界が真っ暗になった。
◆
赤い扉の中に入る。
恐る恐る、音を立てないように。
ギィーーー、バタンッ
「な!?」
振り返ると、ひとりでに扉がしまった。さらに、ついてきていたはずのレンの姿が無い。
「レン!?」
ガチャッ
入ってきた方向とは逆の方向から、扉の開く音がした。
「誰かいるのか!?」
義手を前に突き出し、距離感を測る。
カタッ⋯カタッ⋯⋯
足音が、こちらへ近づいてくる。
「君には⋯恐怖、が"視えない"のか?」
聞き覚えのある声がする。
声と同時に、部屋の電気が点いた。
黒いコートの男。
痩せた体。
青白い顔。
虚ろな瞳。
「フィアー!」
男は頷いた。
「そうだ」
フィアーはキーパーをまじまじと見つめながらボソボソと呟く。
「……おかしい」
小さく。細かく。
「恐怖、が」
「無い⋯」
「いや」
「増えない?」
キーパーが拳を握る。
「仲間たちをどこにやった!」
「どうすれば⋯」
「とり、あえず。」
フィアーは手のひらをキーパーへ向ける。
刻まれているのは、閉じた眼のような紋様。
「侵入者は、排除しないと。」
ゆっくりと、眼の紋様が開かれていく。




