第25話 カジノ体験
第25話
ハンマーが囚われているというフィアーの館。
そう言われても、街のどこを見てもそれらしい建物は見当たらない。
蒸気灯の通りを駆け抜ける。
道行く人に聞いて回る。
酒場。
劇場。
「フィアーがいる館の場所を教えてほしい」
キーパーの単純な質問が、虚ろな通りに響く。だが皆、様子は違えど返ってくる言葉は一緒だった。
『他の人に聞いてくれ。』
フィアーの名を出した途端怯える者。こちらに目も合わせず答える者。どこか上の空だったのに、突然うずくまる者。
「……どうなっているんだ。」
キーパーが呟く。
背中から、ようやく意識のハッキリしてきたレンの声がする。
「どいつもこいつも話そうとしないな。⋯いっそのことフィアーを超える恐怖を教え込むか。」
「やめろ。そしていい加減降りてくれ。」
「うぅ⋯まだ気分が。」
キーパーは手を放しその場にレンを放る。
「ふぎゃっ」
背後から情けない声が飛んできたが、キーパーは振り返りもしなかった。
「この地区の支配者というなら、一番目立つ建物にいるかもしれない」
「目立つ建物となると⋯」
レンは視線を上げる。
通りの奥。
巨大なコインのネオン看板。
『STEAM CASINO』
「……あそこは?」
「カジノか」
「あそこなら、人と情報も集まるかもしれない」
「とりあえず、行くぞ」
◆
カジノの扉を押し開ける。
蒸気灯の光がまぶしい。
真紅の絨毯。
歯車の回るルーレット。
金属製のカード台。
客つきもちらほら。
だが、誰も本気で楽しんでいる顔ではなかった。
「いらっしゃいませ」
ディーラーの女が頭を下げる。
黒いベストに短めの黒髪。
キーパーはテーブルに近づく。
「聞きたいことがある」
ディーラーは顔を上げた。
「なんでしょう」
「フィアーの館を知ってるか」
その瞬間。
女の表情が変わった。
「……」
しばらく沈黙。
そして周りに聞かれないよう小さく言う。
「悪いことは言いません」
「あそこには、行かない方がいい」
「興味本位で近づいて、良いことはありません。」
キーパーは短く答えた。
「仲間が、連れていかれたんだ。」
ディーラーの眉が動く。
「……それでも」
「行かない方がいい」
レンが言う。
「なぜだ」
「⋯。」
ディーラーは視線を落とす。
「フィアー様の恐怖は……」
そのときだった。
「おい」
低い声。
背後から響く。
振り返ると、ゆうに3mはあろうかという、あまりにも巨大な男が立っていた。
黒いコートを羽織り、腕には雲を昇る大蛇の刺青。たくわえた口髭が、より威圧感を増長させている。
男がディーラーに耳打ちをすると、彼女の顔は徐々に青ざめていく。やがてディーラーは顔を真っ青にし、夢遊病者のような足取りで奥へ下がっていった。
「さてお客様、大変おまたせしました。本日はどのようなゲームをお望みで?」
男はニッコリと笑う。この街に来て初めて見る"活きた笑い"。
歪んだ口の隙間からは、金の歯が覗いた。
「⋯あんたは?」
「私はフィアー様より、当店を任されている者です。」
男の表情は変わらない。
「"ヨロコビ"とお呼びください。」
(フィアーから任されている⋯。少なくとも、ただの住人ではない。)
男はニコニコと笑いながら、ルーレットを指さす。
「お客様はどうやら"情報"を求めているご様子。」
「この街では情報も"価値"。どうでしょう、お一つゲームと行きませんか?」
「さっきのディーラーはどうした?」
「プププ、それもまた"情報"でございます。最初のゲームはその情報を賭けましょうか?」
ヨロコビは挑発するようにルーレットの玉を掌で転がす。
「キーパー、今はハンマーを優先したほうが⋯。」
レンがキーパーを制止しようとする。するとキーパーは、わかってると言わんばかりにレンを手で制した。
「⋯どんな情報でも答えられるんだろうな?例えば、フィアーの館について。とかは?」
「ゲームに勝てば、お教えしましょう。」
「⋯すまんが急いでいる。一勝負で、俺の聞きたい情報を全て賭けてくれ。」
「ププッ。」
ヨロコビは吹き出したあと口をハンカチーフで拭き、またいつもの笑顔に戻る。
「失礼。お客様はとんだギャンブラーだ。大変素晴らしい!」
「ただ⋯
それに見合うほどの対価はお支払いできるので?」
キーパーは自分の胸を指さす。
「俺の命じゃ安いか?」
「ププッ!⋯⋯プフ。」
今回は隠すことなく吹き出すヨロコビ。
「当店は健全な営業をしておりますので、命など本当なら馬の尻でも拭かせる程度の価値ですが⋯」
「お客様は運が良い。
まあまあお強いようだし、人の命を高く買い取ってくださる、ちょうど良い心当たりもございます。」
ヨロコビは立ち上がり、フロア奥の階段へ手を向ける。
「当店自慢の"裏"へご案内いたしましょう。」
裏という言葉に、一瞬レンは不安がよぎる。
(コイツには、何か違和感と⋯そして既視感がある。)
その感覚が何なのか、レンには見当もつかない。だが確かにそこにあるのだ。
「気をつけて行こう。ヤツは⋯」
「レン。」
「ん?」
「お前は待っていてくれ。もし、明日まで戻らないようならば⋯」
そのとき、レンが立ち上がりキーパーの両頬を掴む。
「ふざけるな、何度も言っているだろう!キーパーが皆を守るのは理解した。そしてそのキーパーを守るのが、私の役目なんだ!」
キーパーにとって初めて、レンが少し怒っているように見えた。
「プププ、美しいですなぁ。それではアナタにも参加してもらいましょう。代わりに、対価はより大きく⋯」
「望むところだ。」
キーパーにはもう止められなかった。それほどのレンの気迫。
「無茶だけはするなよ。」
優しく言うキーパーに、レンは微笑み返した。
「では、どうぞこちらへ」
ヨロコビに先導され、三人はフロアの奥へ進んだ。
赤い絨毯が途切れ、壁の装飾が減っていく。蒸気灯の数も少なくなり、代わりに配管の唸りだけが耳についた。
やがて、突き当たりに重厚な鉄扉が現れる。
真鍮の縁取り。無数の鋲。中央には、歯車の意匠と鍵穴が二つ。まるで金庫の扉のようだった。
ヨロコビが扉に手をかける。
ギィ、と鈍い音。扉は横に開くのではなく、手前に引かれてわずかに口を開けた。
その隙間から、熱気と獣臭が流れ出る。
「……地下か」
レンが鼻をひそめる。
扉の奥には、螺旋階段が下へ下へと伸びていた。
壁には細い蒸気管が這い、ところどころに取り付けられた小型灯が青白く足元を照らしている。
その灯りは妙に弱く、下へ行くほど闇が濃くなっていた。
階段を踏むたび、鉄がきしむ。
靴音が反響し、何人分もの足音になって追ってくる。
だが、それとは別に――
もっと低く、もっと大きな音が下から響いていた。
歓声。
怒号。
金属のぶつかる音。
そして、何かの断末魔。
その全てが、地下の奥から濁流のように押し寄せてくる。
「当店自慢の“裏”でございます」
ヨロコビが振り返り、にっこりと笑った。
「どうぞ、お客様。ここから先は、命が直接“価値”になる場所です」
◆
「こちらが"選手控室"でございます。ここで少しお待ちください」
螺旋階段を抜けた先でドアが開かれ、視界が一気に開けた。
控室は、壁一面がガラスで出来ており、闘技場を見下ろせる。
そこは、地下とは思えないほど広い空間だった。円形の闘技場で、すり鉢状に客席が組まれている。その最下段に鉄格子で囲われた戦闘場がある。
天井近くでは巨大な歯車がゆっくりと回り、蒸気が白い雲のように漂っていた。
地上のカジノとは、空気がまるで違う。ここには、恐怖に縮こまる気配がない。
その代わりにあるのは、湿った興奮だった。
客席には大勢の客が詰めかけている。
顔を赤くして笑う者。
紙片に何かを書き殴る者。
柵から身を乗り出し、唾を飛ばして叫ぶ者。
その目は、地上の住人たちとは違う意味で壊れていた。
誰もが戦いを待っている。
血と悲鳴を。
勝敗と金を。
客席のあちこちでは、札束やコインが飛び交っていた。
「右の兄ちゃんに銀貨十枚!」
「いや、あの女もやれそうだぞ!」
「今日は何匹出る?」
「はじまる前に賭けろ!」
レンが目を細める。
「……不気味だな」
キーパーも同意した。
濁った欲望が、金と血でミキサーにかけられているようだった。
ヨロコビがいつの間に降りたのか、闘技場中央に立ち両手を広げている。
「ようこそ地下闘楽場へ!」
「地上では皆さま、戦うだの生き残るだの、息苦しい毎日でしょう!」
「ここでは高みの見物を決め込んじゃってくださぁあい!!」
熱気を帯びた歓声があがる。
ヨロコビの笑顔を見て、レンは低く呟いた。
「やっぱり気に食わんな、コイツ」
◆
「おまたせして申し訳ありません。なにぶん裏は人手不足なものでして。」
ヨロコビが控室に戻り、闘技場を見下ろしながら話し始める。
「ルールは簡単。お二人には、こちらで用意した獲物と遊んでいただきます」
「獲物?」
キーパーが眉をひそめる。
「ええ。もちろん、ただの猛獣ではありません」
ヨロコビの笑みが深くなる。「当カジノ自慢の、獲物でございます。」
「獲物を殺せれば、お二人の勝ち。まあ――」
鉄格子の向こうを指さす。
「生きて帰るか、死ぬか」
歓声。悲鳴のような笑い。 硬貨の落ちる音。
レンが吐き捨てる。
「胸糞悪いな」
「今更お上品なことを」
ヨロコビが肩をすくめる。 「この世界は元より⋯"そういう場所"でしょう?」
◆
闘技場の出入り口で待つ。
あとは、目の前の鉄格子が開かれるだけ。
そして自分たちと対角線上にある鉄格子。その奥に"獲物"とやらがいるのだろう。
『それでは大変長らくお待たせしました!!本日のデイブレイクカップ第一戦でございまぁぁす!』
ヨロコビが指を鳴らす。
向かいの鉄格子の奥で、鎖の外れる音がする。
次の瞬間。
目の前の鉄格子が勢いよく開かれ、同時に闇の奥から飛び出してきたのは
「な、コイツは⋯!」
「マモノ⋯!!」
見た目は、長い手足が蜘蛛のように地面を蹴る八足歩行のイノシシ。
全身を覆う毛皮はまだらで、ところどころに斑点が浮いている。
顔は人のような形をしているが、原形は保たれていない。口元は大きく開かれると、中から挟み込むように広がる二本の牙。
全長はおおよそ5m。
マモノが突進してくる。大きさに反して、動きは素早い。
「チッ!」
レンが銃を抜き、蒼白の閃光を放つ。
肩口を撃ち抜かれても、マモノは一切止まらない。肉が裂け、黒い液が飛び散るだけだ。
「連射だと削りが浅い⋯⋯!」
キーパーは義手で噛みつきを受け止める。
ガギン、と金属音が鳴った。黒鉄の義手に牙が食い込み、ジリジリと押し込まれていく。
キーパーはそのまま右拳で顔面を殴り飛ばすが、マモノは床を転がってすぐに起き上がった。
客席が沸く。
「いいぞ!」
「まだ死ぬな!」
「片腕の方が先だ!」
レンは観客席の方は一瞥もせず、スコープに集中する。
『さぁ!ここで更にもう一体!』
同種のマモノが、更に奥から入ってくる。
「なんだと⋯!」
ヨロコビが高らかに宣言する。
『さて、お客様。命の価値を見せていただきましょう!』
キーパーは息を整え、足を引いた。
レンは銃口を上げる。
地下闘技場の歓声が、さらに熱を帯びていく。




