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第24話 狂恐怖布


第24話


 南地区へ続く運河の橋を渡った瞬間、キーパーは足を止めた。


 蒸気に湿った風が頬を撫でる。

 街の空気が変わった。

 蒸気灯が通りを照らしている。

 酒場の看板が光り、賑やかな楽団の演奏も聞こえてくる。

 見渡す限りの娯楽街だ。


 路上では楽団が陽気な音楽を奏でている。

 少し先では劇場から歌声が漏れ、通りの奥ではカジノの広告塔がクルクルとコインを回していた。

 ナイトタウンとはまた違った雰囲気のネオンが並び立つ。


 だが――

 見る人、見る人、誰も笑っていない。

 客はいる。

 酒も出ている。

 演奏も、続いている。

 それなのに、どの顔にも楽しげな表情は無かった。

 乾いた笑い声がひとつ上がる。

 だがすぐに途切れた。

 代わりに、誰かが周囲を見回してから、ぎこちなく拍手をした。

「……変な街だな」

 レンが小さく呟く。

 ハンマーも周囲を見回した。

「お店いっぱいあるし……静かってわけじゃないけど」

 キーパーが続ける。

「賑やかさがない」

 通りの脇に金属の掲示板が立っていた。蒸気管につながれた板には赤い文字が刻まれている。



 ――『最新指示』

 一日、酒は二杯飲むこと

 街を暗くしないこと

 音楽を絶やさないこと

 男女は手を繋いで歩くこと



 ハンマーが首を傾げる。

「し、指示……?」

 そのとき。

 近くにいた男が慌てた様子で駆け寄ってきた。

「お、おいお前たち!」

 男は周囲を見回し、声を潜める。

「男女で歩くなら手をつなげ!どこでフィアー様が見てるか分からないぞ!」

 それだけ言うと、男は足早に去っていった。

「て、手を繋げって……」

 ハンマーが困惑した顔で振り返ると、キーパーの右手を既にレンががっちり握っていた。

「指示ならば仕方ない」

 レンは真顔で言う。

「下手に目立つのは避けたいからな。仕方ない」

 キーパーは苦笑する。

「ハハ……」

 レンはもう一度、真剣な眼差しで言う。

「仕方ない」

「二回言う必要ある?」

 ハンマーが呆れた顔をする。

 レンはキーパーの手を握ったまま言った。

「ハンマーはこっちに来い。私の右手が空いている」

「なんでよ!」

 キーパーは小さく笑いながら街を見回した。

 娯楽の街。

 確かに男女が手を繋いで歩いている。

 幸せな風景のはずなのに、誰も笑っていない。

 空気が重い。


「……あれは」

 キーパーが足を止めた。

 その視線を追うように、レンとハンマーも顔を上げる。

 大通りの突き当り。

 巨大な鉄の輪が夜空に浮かんでいた。

 蒸気観覧車。

 歯車と鉄骨で組まれた巨大な円環が、ゆっくりと回転している。

「フィアー様が降りてくるぞ!」

 誰かの声。

 その声が通りを走った瞬間、路上の楽団が一拍だけ音を外した。

 だがすぐに、何事もなかったように演奏を続ける。

 その声を合図に、街の人々が観覧車の降り場に集まり始める。

 やがて、キラキラと光る観覧車の中で、ひときわ目立つ金色のゴンドラがゆっくりと降りてくる。

 ドアが開く。

 そこから降りてきた男。

 長い黒髪。

 青白い肌。

 黒いコートを夜風に揺らし、細い体躯の長身の男が、赤い瞳で周囲を見渡しながら地面へと降り立った。

「「フィアー様!本日も大変楽しいです!」」

 示し合わせた掛け声。

 住民たちは頭を下げている。ご機嫌をうかがうように。

「……あれが、フィアー」

 レンが低く呟く。

 その瞬間。

 フィアーがギョロリとこちらを向いた。

「……っ」

 レンの顔色が変わる。

 胸の奥がざわつく。

 心臓が妙に速くなる。

 理由のない寒気。

 背筋を這い上がる、恐怖。

「……なんだ……これは……」

 キーパーがレンの肩を掴む。

「レン!」

 無理やり視線を逸らさせる。

「ハァ……ハァ……」

 レンが荒く息を吐く。

「どうしたんだ突然」

「……分からない」

 レンが低く言う。

「奴と目が合った気がして、それから……」

 そのとき。

 観覧車を見上げたキーパーが気づく。

 ――フィアーの姿がない。

 ゴンドラの前には、たった今まで居たフィアーが立っていなかった。

『ダレだ?』

 低い声。

 遠い。

 だが同時に、耳元で囁かれたように近い。

 蒸気灯が揺れる。

 地面に落ちた影が、ゆっくり形を変え始める。

 巨大な影。

 歪んだ人影。

 それらが地面から浮かび上がる。

「き、キャァァ!」

 ハンマーが悲鳴をあげる。

 キーパーが咄嗟に影へ体当たりする。

 だが――すり抜けた。

「これは、実体がない……!」

 レンが目を細める。

「……幻覚か」

 そのとき。

 影の一つがゆっくりと盛り上がる。

 形が変わり、人型になっていく。

 やがて影は、フィアーの姿になった。

「帰れ」

 静かな声。

「ここは……僕の街だ」

 黒髪が風に揺れる。

 フィアーは手のひらをハンマーへ向けた。

「侵入者なら、排除する」

 影がさらに歪む。

 そのときハンマーが突然、何かに気付いたように空を見上げた。

「え……」

 震える声。

「うそ……なんで……」

 キーパーたちが視線を追うが、空には何もない。

「やだ……やめて……」

 空虚を見つめながら、ハンマーの肩が震え始める。

「ヤダ……ヤダヤダヤダ……」

 ハンマーの手のひらから、滑るように槌が地面に落ちる。

「やめて……やめて!!」

 涙が溢れる。

「イヤァアアア!!」

 ハンマーが街の奥へ走り出す。

 奥の影がまるで誘う扉のように広がり、足元からハンマーの輪郭を塗り潰していった。

「ハンマー!」

 キーパーが叫ぶ。

 そしてレンが銃を構える。

「貴様、何をした!」

 蒼白の閃光が銃口から放たれ、フィアーの眉間を貫いた――ように見えた。

 だが。

 閃光すら、影をすり抜けていく。

「……!」

 レンが目を見開く。

「こいつも幻覚か……?」

 フィアーが再度手を掲げる。

 手の平。そこには、眼のような紋章が刻まれていた。

 そしてゆっくりと紋様が開かれていく。


「貴様ら……まさか……」

 赤い瞳が揺れる。

「"西の手先"か」

 レンの視線が紋章に吸い寄せられる。

「レン!」

 キーパーが間に入る。

 しかし背後でレンが膝をついた。

「や……やめろ……」

 頭を抱える。

「お前たち……!」

 声が震えている。

「何を……している……」

 レンの尋常ではない様子を見て、キーパーの表情が変わり、静かな怒りが滲む。

「お前……」

 低い声。

「何をした」

 フィアーは一瞬だけ目を逸らした。

「……警告だ」

 小さな声。

「帰れ」

 再び言う。

「ここは僕の街だ」

 赤い瞳が揺れる。

「外の連中に、荒らされるわけにはいかない」

 キーパーは動かず、フィアーを見据えている。


「……ハンマーをどこにやった」

 短い言葉。

 沈黙の中、蒸気灯が揺れ、観覧車がゆっくりと回る。

 しばらくして、フィアーが小さく言った。

「……仲間が大切なら」

 影が、街の奥へと流れていく。

「我が館へ来るといい」

 赤い瞳がキーパーを見る。

「来ないのなら――」

 わずかに口元が歪む。

「あの女の顔は、もっと恐怖に染まるだろうな」

 その言葉を残し、男の姿は影に溶けるように消えた。

 通りに残るのは、蒸気灯の明かりと、震える楽団の音だけだった。

「……」

 キーパーはしばらく影の消えた場所を見ていた。やがてレンの体を担ぎ直す。

 そのときだった。


(……待て。)


 キーパーの足が止まる。


(フィアーの館……)


 周囲を見回す。

 蒸気灯。

 酒場。

 劇場。

 カジノ。

 蒸気観覧車。

 南地区の街並みが広がっている。

 だが――

「館って、どこだ⋯」

 キーパーの低い声に、レンがうっすら目を開けた。

「……その説明は……無かったな……」

 そう呟いて、また力が抜ける。

(起きてるなら自分で歩いてほしいんだが⋯⋯)

 キーパーは、静かに息を吐いた。蒸気灯の光の中、娯楽の街が広がっている。

 笑っていない人々。

 止まらない音楽。

 掲げられた“指示”。

 この街のどこかに――

 フィアーの館がある。

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