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「洗濯ネットとかに入れるべきだったって気付いたときにはあとの祭りで」

「いやそういうことじゃ…ん、まあ、ネットも大事ですけど、でも、革ジャンってそもそも洗濯機で洗わないでしょう」

「そうなの⁉︎じゃあ、どうやって洗うの?」

「自分じゃ洗えないので、クリーニングに出します。革製品を専門に修理とかクリーニングしてくれるとこもあるし」

 あと、ジーンズとか色の濃い服は色移りしやすいんで、基本的に他の洗濯物とは分けた方がいいみたいですよ…などとアドバイスしながら、私は内心何をやってるんだろうと思う。いつもの流れなら、映画を観た後この人気の無い喫茶店でランチをとりつつ、“内”モードで饒舌になった男と映画の感想を言い合ったりちょっとした雑談をするはずだった。間違っても洗濯の講義ではない。

 男は男で、そうなんだあ物知りだねえ、と素直に感心するばかりだ。

 聞けば、男はスニーカーに関しても、思いっきりドロドロになったのを、事前にある程度洗い流しもせずにそのまま放り込んだのだという。

 私自身、靴を洗濯機で洗えることはごく最近人から聞いて驚いたくらいだし、正しい方法なんて知らないが、男のやり方がまずいことくらいはわかる。

「それで、洗濯機の方は大丈夫だったんですか?壊れたりとか」

「全然壊れてなかったよ」

「あ、そうなんですね」

「でもその日以来、回すたびにジャリジャリとか、ガリガリとか、すんごい音がするようになってね」

「いやそれもう壊れかかってる」

「でも、一応ちゃんと回ってたし。ただ、使い続けてるうちにガリガリとかにプラスしてさらに変な唸り声をあげるようになっちゃって。その声がどんどん大きくなるから、なんだか洗濯機が怒ってるみたいで…あ、ちなみに録音あるんだけど聴く?いい?…まあ、とにかく、ここ最近は怖くて使ってないんだよ」

「…色々突っ込みたいところはありますけど、それじゃあ今洗濯はどうしてるんですか?」

「1週間分まとめてクリーニングに出してる」

 だから、ユキちゃんのハンカチはクリーニングに出して返すから。

 と言われて、そういえば私のハンカチの話だったのだと思い出した。火星に行って帰って来たような気分になりながらも、「自分で洗いますから」と私が丁重に断ると、男はしょんぼりした。

 そのタイミングでピラフが運ばれてきて、私たちは“怒れる洗濯機の雄叫び”をBGMにそれを平らげた。

 結局、映画の感想は食事の合間にオマケのようにポツポツ話した程度だった。私としては、また感情がぶり返して泣かれるとどうすればいいかわからなかったので助かったというのが本音だ。私は優しいふりは得意でも、実のところ泣いている人間は見るのも苦手だった。

 この男は不器用だが、目の前まで泣いている人間がいれば、きっと大いに慌てふためきながら、それでも心を尽くして慰めるんだろう。


「また会ってくれる?」


 ピラフの油やら米粒やらで彩られた男の口元を見ながらそんなことを考えていた私は、一瞬反応が遅れた。

「……え?」

「僕はできれば、これからもユキちゃんと映画に行きたいな。僕、こんなに趣味が合う人、今までなかなかいなかったし」

 ごめんね、と謝る男は私の呆けた顔を拒絶的な意味で捉えたらしい。

 しかし、ごめんねとは。

「わかってるんだ。今日で色々、情けないとこ見られちゃったし。僕みたいなマダオがユキコちゃんに釣り合うわけないって」

「マダオ」

「まるで、ダメな、オッサン、の略」

「や、それは知ってますけど」

「おまけに嘘つきだし」

「ん?」

「僕ね、ホントはアキラっていう名前じゃないんだ」

 そんなこと、こっちはとうの昔に気付いている。

「ごめんね、僕、自分の本名があまり好きじゃなくて……でも、ユキちゃんには本当の僕のことをもっと知ってほしい。その上で、ユキちゃんがヤなトコは全部直すよ。僕、頭悪いし呑み込みが遅いから、時間はかかるかもしれないけど」

 むしろ、そうまでして私なんかと会い続けたいという方が驚きだった。それに、

「別に頭は悪くないと思いますけど…」

 洋画の字幕が実際の英語のセリフとニュアンスと違う時なんかは、後でいちいち丁寧に解説してくれた男だ。ガッツリ喋るところを見たわけではないが、多分、相当英語ができるはず。

 そもそもちゃんと会社に属して社会人をやれている時点で頭は悪くないと思う。同じ在宅ワークでも、フリーターな私とは全然違う。

 というようなことを男に伝えると、

「ユキちゃんってホント優しいね…」

 としみじみされた。

 私はただ事実を述べたである。優しさとは。

 男はテーブルに置かれた私の手を取り、セーターの隙間から指を差し込んでくる。そして手首の筋から爪先まですりすり擦りあげながら、私の仕事についてひとしきり褒めちぎった。

 曰く、文章を書く仕事は才能と努力の両方を兼ね備えていないとできない、といったようなことだ。

 私は自分の仕事を、“フリーライター”だと説明していた。嘘ではないが、事実のすべてとはいえない表現だ。

 私より遥かに上背があるくせに上目遣い、という難しいことをしながら、彼は続けた。

「ユキちゃんのことも、もっと教えて欲しいな」

「……知りたいの?」

「うん」

 それはちょっと面倒だな。と思ったところで、彼は私の手を掴んだままテーブルを回り込んで隣に座ったかと思うと、そのままグッと身を寄せてくる。いきなりどうした顔面ピラフ。

「ね、だから、また会って、今度はたくさんおしゃべりしようよ」

「……あー、とりあえず口拭こうか」

 ペーパーナプキンを取ろうにも、身動きが取れない。仕方なく掴まれてない方の手を伸ばし、指で直に米粒を摘むと、男はその手も捕まえてちゅう、と私の指ごと吸い付いた。

「っ、ちょっと」

「ユキちゃん、舐められるの好きでしょ」

 いきなり何を言い出すんだ、このハイパー内弁慶は。

「ほら、僕って舌が長いから、」

 男は油でテカった唇の隙間から、べえ、と濡れた桃色の肉を突き出して見せる。

 セックスの時から気になってはいたが、改めて見ると本当に長い舌だった。人外じみたソレを目の当たりして、背筋が泡立つのがわかった。

「ユキちゃん、昨日はたくさん気持ちいいって言ってくれたもんね?」

 男が上から覗き込むように顔を寄せてきて、視界が暗くなる。

「あの、近」

「僕もユキちゃんのことたくさん舐めたいし、」

 わたしの手を掴んでいる力が強くなっていく。痛みを感じるほどではないが、振り解けない強さだ。

「っ!ここ、店!いったん離」

「おしゃべりだけじゃなくて、気持ちいいこともしようね。僕たち、体の相性だっていいと思わない?ユキちゃんの気持ちいいこと、全部してあげるから」

 だから、ね?おねがい。僕と付き合うって言って?

 口調だけは殊勝な風を装いながら、いつのまにか「また会う」→「付き合う」に話が変わっている。お願い形式を取っておきながら、ハナから逃す気はありませんと言わんばかりの、この態度。半ば睨むようにこちらの目を見つめながら、捕まえた私の指にねっとりと舌を這わせる男。

「っわ、かったから!本当にやめ」


「発情するならよそでやれ」


 がん、という硬質な音と同時に、ぶえっと間抜けな声をあげて彼は私の膝に沈んだ。

 いつのまにかすぐそばに店員のおねーさんが居た。銀のお盆を掲げたままの姿勢で突っ立っているので、どうやらそれでこの男をぶん殴ったのだとわかる。格好だけでなく、中身もパンクな人だ。

「食後のコーヒーをお持ちしました。あと良ければ新しいおしぼりもお使いください」

 テーブルの上に既に並べられているのを顎でしゃくり、慇懃にそれだけ告げると彼女はくるりと踵を返した。

 顔を上げた男は鋭い視線はどこへやら、すっかり涙目になっている。

「ひろい…ひた、はんひゃった」

 酷い、舌噛んじゃった、と言いたいらしい。


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