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……という挙動不審っぷりをここ1ヶ月間披露し続ける事で、この私の集中力を見事蹴散らしてくれていた。
そして。
極め付きは、つい先週。
私から誘った映画デートを彼に断られた事だった。それも、「ちょっと、料理に挑戦したくなって」という訳の分からない理由で。
思い出してついスマホを開き、気になっている新作映画の情報をチェックしてしまう。
彼のいう「料理に挑戦」とやらがいつ終わるのかは知らないが(そもそも本当なのかも怪しいところだが)、折を見て彼を連れ出さなければ映画の上映期間が終わってしまう。私が1人で観に行ったりすれば彼は拗ねるだろうし、まして他の人間と見に行ったりしようものならもっと面倒臭いことになる。と思ってサッと調べるだけのつもりだっただが、電波が悪いのかなんなのか、なかなか上映スケジュールが開かない。
そのままずっとスマホを見ているのも安田さんに失礼な気がしてきたので、私は諦めて窓の外を横切る人々をぼんやり眺めた。
子供の頃、私は周りの人間を見下ろせるようになることが大人になることだと思っていたものだった。しかしいざ大人になってみれば、同性と比べても小柄な私は、相変わらず人から見下ろされることの方が多い。今時の子供は発育がいいから、ヘタをすれば小学生にすら見下ろされることがあるくらいだ。
今いるホテルのカフェは地面より少し高い位置に床がある。おかげで、私は通りを行き交うあらゆる人間より少し高い位置に自分の頭がある、という珍しい状況にある。
これが普段なら、外を出て人混みを歩けば前が見えず、自分の矮小さを見せつけられているような気がしてイライラする。家に帰れば同居人が大きいから私の身体なんてすっぽり包まれてしまい、やっぱり自分の矮小さを見せつけられるけど、イライラはしない。自分でも不思議なことに。…と、ここまで考えてまた思考が蘭さんのことに戻ってしまったことに気づく。どうした私。と我に返って再び窓の外を眺める。あ、あの人の着ているジャケット、蘭さんが持っているの似てる。というか、同じだ。蘭さんの方がずっと似合ってるし、窓の外の名も知らぬ他人が着るとなんだか別物に見えていたから近くに来るまで気づかなかった。なんて考えた自分にハッとする。
本当にどうしたのだろう、私は。私は自分に害があるわけでもない他人の挙動を、こんなに気にしたことがかつてあっただろうか。いや、ない。……なんと言うんだっけ、この言い回しは。懐かしいこの言い回しには、文法として何か名称がついていたような。はるか昔に思える学生時代に習ったはずだ、そう、確か反「面白かったです」
唐突に思考は中断され、目の前の人間に焦点が合わされる。
「……え?」
「とっても面白かったですよ」
安田さんは微笑んだ。頬が上気していた。
「いいじゃないですか。これはこれで」
「……え?」
「主人公の彼氏さんのキャラが想像以上にぶっ飛んでていいですね。いや、企画書でも天然キャラってことになってましたけど。なんかもう、突き抜けてる感じで」
「……はあ」
「特に中盤の、彼がお米を炊く件なんて、声を立てて笑っちゃいましたよ」
「……はあ」
安田さんは本当に声を立てて笑っていたのだろうか。私の目の前で?…まるで、気がつかなかった。
「もしかして、このキャラクターってモデルがいたりします?」
「……まあ」
「やっぱり!え、じゃあお米のエピソードって、もしかして実話だったり?」
「……まあ」
その出来事はまさに私がコレを書いている時の話だ。
私はその日“怒涛の集中力”が生み出す言葉の奔流にキーを打つ手が止まらず、夕飯を食べる間も惜しかった。私にとっては、執筆にかまけて食事を抜く、ということは珍しいことではなかったのだが、そんな私を見て心配した蘭さんが「おにぎりくらいなら作ったげる!」と言いだしたのだ。それなら片手で食べられるでしょ?と。
炊飯器は使えるのか。いや、そもそもお米の洗い方はわかるのか。思わずそう聞いた私に「やだなー流石にできるよそれくらい」と蘭さんはオバチャンのように顔の前でヒラヒラ手を振った。若干の不安はあったものの、私は彼の申し出をありがたく受けることにした。
それから少し時間が経って、キリのいいところまで書きあげた私はちょっと様子を確かめるだけのつもりでリビングを覗いた。そこで見たのは、蘭さんが炊飯器をお腹に抱えこみ、撫で回している光景だった。
しかもなんか怖いくらい真剣な顔でブツブツと何やら呪文のようなものを唱えながら。
「あ、アキちゃん、キリがついたの?」
「………色々言いたいことはあるんだけど、とりあえずコレだけは聞いていい?」
なんで炊飯器にに話しかけてるの?
「炊飯器じゃなくて、お米に話しかけてるんだよ。ほら、植物って話しかけるといいっていうから」
アホの子は大真面目に言い切った。
「…そりゃ、そうした方が植物が綺麗な花を咲かせるとかいう通説があるのは知ってるけど、」でも米は今あなたが抱えている炊飯器の中で死にゆく過程にあるわけで。
という言葉を続けようとして飲み込んだ。
「でも米だって植物でしょ?……え、植物だよね?なんか自信無くなってきた」
そんなことで自信を無くさないでほしい。
精米された米粒を植物として捉える、という発想は私には無いが、少なくとも稲=植物なわけだから………まあ、間違っては無いだろう。
多分。
「ね、いつもよりご飯がふっくらしてると思わない?」
お喋りの効果だよ、と微笑むアホの子を前に、あの時の私はもうなんだっていい気がしていた。蘭さんの作ってくれたおにぎりは形を崩さない為にだろう、海苔を何重にも巻きつけた不恰好な黒い塊で、でも程よい塩味がついて美味しかった。
今にして思えば、あのおにぎりをキッカケに徐々に彼は料理を始めたのだろうか。しかし、私はあの日以来、蘭さんがキッチンに立つ姿を見ていない。いや、キッチンどころか家の中で私と一緒にいる時間が減り、仕事部屋に籠る機会が増えたように思う。
ただ料理をしているだけなら、わざわざ私から隠れる理由がわからない。かと言って、何か他のやましいことをしているようにも思えない。
彼曰く、「完璧になるまで見せたく無い」とのことだが、料理の腕が未熟なのが恥ずかしいからと言って(それが建前であるにしろ)、キッチンに立たないのでは本末転倒である。
普段はのほほんとしているアホの子だが、そんな彼とてプライドくらいあるだろうし、言い分として納得できなくは無いのだが、とにかく、彼が“完璧”を目指しているものが料理でないのは確かだろう。だって、まな板と包丁を使っている形跡すらない。
そして仕事では無いのも確かだ。そもそも仕事なら仕事だと一言えば済むはず。
一体中で何をしているのやら。
蘭さんは、いつも自分のことを私に聞いてもらいたがり、なんでも思ったこと感じたことはすぐに言う。でも、蘭さんが口に出したこと以外のことを、私が自分から知ろうとしたことはあっただろうか。
いつだって彼は自分をオープンにしていて、その必要がなかったからか。
いや、そもそも私は他人のことを、ここまで気にすることはなかったはずだ。
「安田さん」
「はい」
「もしも、安田さんの身近にいる方で、普段めったに隠し事をしないような人が、ある日突然秘密を抱えている素振りを見せたらどうします?」
彼女はパチパチと目を瞬かせた。
「ん、…とー、そうですねえ…まずはストレートに聞いてみます」
「それで嘘をつかれたら?」
「嘘、ですか」
「はい。明らかに、そうだとわかる嘘をつかれたら?」
安田さんは、なんの脈絡もない私の話を、真剣に考えてくれているようだった。
「…そう、ですねえ…まず、その人なりの理由があって嘘をついたのだろうから、とりあえず待ってみる、とか」
「待ってみる」
「そうです。その人自身が話しても良いと思えるタイミングまで…あ、ちなみに、その人が自分にとって嫌な人ではないこと前提で話してますけど、それで良いんですよね?」
「はい」




