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「味の種類もいろいろありますよね。でも、私はシンプルに薄塩味が1番好きですね」
「あ、勝手にバターかけてもらっちゃって大丈夫だった?」
「バター好きなんで私。でも、ポップコーンでおなかいっぱいになるかもしれません」
「無理して全部食べなくても、ユキちゃんがいらない分は僕が食べるよ」
「先輩、朝あれだけ食べてたのによく入りますね」
基本的に、私は男に呼びかけるときは「先輩」とだけ言う。職場の先輩後輩の関係か何かなんだな、と周囲に手っ取り早く《《誤解》》させることができるので、あからさまに歳が離れた男と遊ぶ際には便利だという考えからそうしている。ついでに言うなら、相手の名前を忘れてしまった場合にも役に立つ(私には割とよくある)。
しかし、彼の場合は見た目的にもほぼ同年代だし、訳あって名前もきちんと覚えていたのだが、これまで通りにせざるを得なかった。
彼自身がアプリで名乗っていた「アキラ」という名前で呼びかけても、あからさまに反応が遅れるか、反応自体返ってこないからだ。ああいった場で偽名を使うのは当然として、そんなわかりやすくて大丈夫なんだろうか。
まあ、私が気にしたって仕方がないことだ。余計なお世話だしそもそも本気で心配なんかしないし、相手は立場ある大人だ。
シンプルだが上等そうな服といい、連れ込んだ先がただ寝るだけのラブホテルなんかじゃなく朝食がついてくるようなちゃんとしたホテルだったことといい、私のような人間が本来なら出会うはずのない類の男。それに何より、出会い系なんかで探さなくても相手に困らなそうな容姿。おかげでこちらは最初は何かの詐欺かと思ってえらい警戒するハメになった。そして男に何の目論見もないとわかった今となっては、余計にその動機がわからなくなった。多分一時の気の迷いか何かだろうとアタリはつけているが。というか、それ以外に考えられない。
私の方は、これでも顔はそこそこ良いつもりだが、言ってしまえばそれだけだ。身長は平均以下な上に痩せ型でバストはお愛想程度にしかないし、むしろよくこんなちんちくりんを抱いて下さいましたねと感謝したいくらいである。おおかた、少しでも元を取るくらいの気持ちでいたんじゃないだろうか。確か男性は有料のアプリだったはずだから。
まあ、彼の魂胆はどうであれ、結果的には綺麗な男に安全に、かつ気持ちよく抱かれるという貴重な体験ができて私的には大満足。
結論、昨日でセックスという1つの到達点を終えたのだから、今後続く可能性は限りなく低い。
“次”行こう、“次”。
…とまあ、仮にも正義のヒーローを前に穢れたことを考えていた私だが、開始10分もすれば映画の世界に惹き込まれた。さすが超大作にして名作、特にラストはフィクションの中のヒーローの美しい最期に、この私ですらウルッときた。友人や知り合いには「軽いサイコパスの気がある」だの、「情緒というものを子宮に落としてきた女」だの、散々な言われようの私だが、名作映画に素直に感動する心くらい持っているのだ。やはり人間はフィクションの中でこそ美しく、感動させてくれる生き物だ、などとらしくもなく哲学的な考えまで湧いてしまった。
エンドロールが終わり、館内の明かりが戻り始めても、周りからは啜り泣く声が聞こえてくる。私も束の間その余韻に浸ってから、さてと隣の男を見上げてギョッとした。
「ちょ…どうしたの⁉︎」
男は、色を失ったスクリーンを親の仇でも見るかのように睨みあげていた。
鼻に皺を寄せて、犬が威嚇するように唸り声をあげ、今にもスクリーンに飛びかからんばかりの前傾姿勢はただごとではない。控えめに言って怖い。
たしかに映画は、観る人によって感動の度合いに違いはあるだろうが、間違ってもこんな殺意を激らせるような内容ではなかったはずだ。なら何だろう、何かの発作か?と恐る恐るその肩に手を掛けたところで、
「う」
ボロッとその鋭い眼光から水滴が落ちた。
え、と固まる私の前で次々と水滴は溢れ、
「うう~」
みるみるうちに眉が下がり、顔をクシャクシャにして男は泣き出した。
なるほど、泣くのを堪えている顔だったのか。私は内心ホッとしながらハンカチを取り出し、座っていても高い位置にある男の顔を拭こうと腰を上げたところでめいいっぱい抱き寄せられた。
「あぶねっ」と一瞬化けの皮が剥がれた私に気づいているのかいないのか、男は映画の主人公の名前を呼びながら「なんで死んじゃうんだよ~」と子どものように咽び泣く。実際に抱っこされているのは私だが。ミニスカで思いっきり男の足を跨いでいる上に、骨張った指が遠慮なく縋り付いてきた拍子に、薄手のニットが捲れ上がって腰に外気を感じる。ついでに視線もビシビシ感じる。
ところで、身長が高いということは上背があるのはもちろん、当然足も長いわけで、立ち上がらない男のせいで通路が完全に塞がれていた。
しかし、映画の後の謎の一体感というのか、皆さん怒ることもなく、「あー、俺らあっちから出ますんで」と若いにーちゃん達は遠回りしてくれるし、「私も悲しくて涙止まんないです~」とカップルのねーちゃん(推定同世代)はもらい泣きするし、「その、なんというか、大変ですね…」と労わるような声をかけてくるおじさんまでいた。多分、最後の人には絶対何か勘違いされている。
最終的には劇場スタッフも寄ってきて、ポップコーンや飲み物の容器を座席で回収してもらうハメになりながら、私はなんとか男を宥めすかして立ち上がらせ、映画館を出た。
しゃくりあげながら女に手を引かれて歩く大男。すれ違う人に何事かという顔で見られながらモール前の大通りを突っ切り、裏道に入る頃には彼もだいぶ落ち着いていて、鼻をグズグズ鳴らすだけになっていた。会話はないが、どうせ行き先はこれまでと同じ。テラス席に青いパラソルが広がるお洒落なカフェ…の斜め向かいの、くすんだウィンドウの中でパスタのフォークが浮いている昭和っぽい喫茶店に入る。
「アキラさん、いつものピラフでいいですよね」
「…うん」
注文を取りに来たのは無愛想でパンクないつものおねーさんで、見上げたことに泣き腫らした顔の成人男性を前に眉一つ動かさなかった。耳だけでなく、眉にも唇にもピアスをしているから、表情筋が動かしにくいのかもしれない。店内に客は私たちの他に一人しかいなかった。それも、前回も、前々回もいたような気がするツイードスーツのおじいさんで、窓の外をぼんやり眺めてこちらを見向きもしない。
BGMすらない静かな店内で、ようやく肩から力を抜いたところで男がいきなり「ああっ‼︎」と叫んだ。
「ハンカチが!」
「え?…ああ」
繋いでない方の手に握らせていた私のハンカチは大いにその役目を果たしたらしく、ビショビショのヨレヨレになっていた。
「ごめん弁償するから!」
「いいですって、その辺の安物ですし」
「じゃあクリーニングに出して返す!」
「そこまでしなくても洗濯すれば大丈夫ですって」
「だって僕の顔面から出た汁が全部染み込んでるんだよ⁉︎」
「いや言い方」
「多分、ポップコーンの油も!」
「いやだから普通に洗濯してくれれば取れますって」
「大体、僕なんかに洗濯させたら何をするかわからないからね⁉︎」
「むしろ何をする気だよ」
おもむろに彼はスマホ画面を突きつけてきた。
「何コレ」
「何だと思う?」
全体的に薄い茶色(?)をベースとして、ピンクやら青やら黄色やらが複雑怪奇な模様を成した、ボロボロの布の塊が映っている。
3秒考えてから私は言った。
「………前衛芸術?」
「正解は僕のパーカーでした」
「はあ」
「元は真っ白だったんだけど、ジーンズと赤いTシャツと革ジャンとスニーカーと一緒に回したらこうなっちゃって」
「一緒に回した…って、え?まさかそれ全部そのまま洗濯機にぶち込んだの⁉︎」




