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そんなことを言う蘭さんに私は苦笑した。懐かしいも何も、今だってその手の番組はほぼ毎日見ているではないか。
これもまた蘭さんの習慣で、平日の夕方に幼児〜小学生向けの子供番組が立て続けに流れるチャンネルに合わせ、テレビを垂れ流しにしているのである。曰く、シンとしていて自分以外の声が聞こえない状況が落ち着かないのだとか。
見たい番組があったらチャンネル変えていいからねと言われているものの、私は基本的に日本のテレビ番組はほぼ見ないので問題はない。というか、私が見るものといえばスマホ&パソコンで開く動画サービスばかりでそもそもテレビを見ることがほぼない。ごくたまに見たとしても、海外旅行の番組や、BS放送の海外ドラマくらいだ。それも、続けて見る習慣はなく、気が向いた時になんとなく眺めるという感じだった。
しかし、そんな私にもこの家に来てから新たな習慣ができた。金曜ロードショーで洋画を放送するときは、必ず蘭さんと二人で見ること。そういえば明後日がその日だ。確かサスペンス系の映画をやるんだったはず…と記憶を探りながら、私は口を覆って欠伸をした。コーヒーが足りない。
「Make a wish?」
蘭さんが顔を近づけてきたと思うと、私の頬から睫毛を摘み上げた。
流暢な英語にキョトンとする私に、蘭さんは説明してくれた。抜けた睫毛に願い事をしてから、フッと息で吹き飛ばす。そんなおまじないがアメリカにあるらしい。バースデーケーキの蝋燭のようなものだろうか。
「前から思ってたんだけど、蘭さんって帰国子女だったりする?」
先ほどの「Bless you!」といい、日頃のちょっとした仕草に出るアメリカンな感じといい。私の半ば確信をこめた問いに、しかし、彼はあっさりと首を横に振った。
「ううん、全然そんなのじゃないよ。でも僕、海外の文化には割と詳しい方かも」
シャワー浴びてくるね、と蘭さんがリビングを出た後、私は窓を閉めに行った。
窓枠に手をかけたとき、カーテンが一際強く吹いた風を孕み、私を白一色の世界に包み込んだ。まるで映画のワンシーンだ。
低血圧な頭でぼんやりとその世界に浸っていたのも束の間、バタバタと足音がして蘭さんが飛び込んできた。
ギリシャ彫刻のように美しい全裸を晒して。
「いやいやいやいやなんで裸なの何事⁉︎」
「え、だってシャワー浴びるときは裸になるでしょ誰だって。ねえ、それよりこれ見てよ!」
「せめて下は隠して⁉︎」
「えー?裸なんてお互いさんざん見てきたのに今更、」
「いいから隠せ!」
「ええー」
蘭さんはその大きな手を股間に当てると、
「そんなことより」
「そんなことより⁉︎」
「ほら、これ見て!窓から入ってきたのをキャッチしたんだよすごくない?」
もう片方の手で握っていた何かを差し出してくる。私の手のひらに落とされたソレは小さく薄紅色をしていた。
「桜の花びら…?」
「そうそう!綺麗だよね!それに可愛いよね!じゃ、今度こそシャワー浴びて来るね!」
嵐のように再び部屋を出て行った蘭さんを呆然と私は見送った。
「…え?で、これはどうしろと?」
捨てていいのだろうか。
いやでも見事空中キャッチしてあんなに喜んでいたし。でも正直要らないし、こういうのって押し花にするんだっけでもやり方なんて知らないしじゃあ何に使えるんだよ君は可愛いね美しいねと日々愛でたらいいのかでもそのうち枯れてくるだろうしやっぱり要らないでも捨てたら彼は傷つくのでは。
とりあえず、窓を閉めた。ごくごく小さな軽い花びらが風で飛ばされないように。せっかくくれたものを無くしたら優しい彼はがっかりするだろう。多分。私は人に常に優しく有りたいだなんて死んでも思わないが、自分に優しくしてくれる人を積極的に傷つけたいとは決して思わないのだ。多分。
さんざん処理に悩んだ挙句、私は桜の花びらを自分で淹れた二杯目のコーヒーに浮かべて飲み干し、その日は一日中彼にお腹の具合を心配されることになった。
ファックス兼コピー機を買いたいと私が言うと、“プリンター”を買いたいんだねと蘭さんは言った。
「そうそうプリンター。今って相場いくらくらいなんだろ」
「別にそんなの気にしなくていいよ」
「え?」
「え?」
「いや気にしますけど普通に。高すぎるのはヤだしファックスとコピーさえできれば中古でもいいし」
「遠慮しないで最新の機能良いやつ選びなよ」
「遠慮って?」
「え?」
「え?」
そこから熾烈な戦いの火蓋が切って落とされた。言うまでもなく自分で買うつもりで話していた私と、ハナから自分が買い与えるつもりだった蘭さん。まずその前提がおかしい。
「仕事で使うんなら多少高めでも新しくて質がいいヤツの方がいいじゃん!お金はいくらでも出すから!」
「だーかーらー、わ、た、し、の!仕事で!必要なものなんだからそれは私が決めるの!自分で買うってば!」
「アキちゃんに必要なものは僕が買うから!」
「いやだからそれは何故⁉︎」
別に、私は自分のお金をケチっているわけじゃなくて、本当に必要な機能さえついていればそれでいいのである。
以前、蘭さんの前で思いっきりお金に困っていたのは事実だが、それは火事のせいで諸々が消し炭になって一時的に貯金を引き出せなくなっていたからであって、問題はとうに解決済み。それでも彼からすればそのときの困っていた私のイメージが抜けないのか、それとも取締役の彼の基準では私なんて貧乏人ってか。きい!とわざと大袈裟に喚いたら蘭さんは「だって…、だって…、」と子供のように言い募った。
「アキちゃん、全然僕に甘えてくれないから…」
彼の視線の先には、大きなガラス瓶。中にはお札がバサッと如何にもテキトーに放り込まれており、それは私が彼に「生活費」として渡したものだった。同棲するにあたって、私はこの家の部屋を間借りしていると想定し、それに相応しい額を支払っているつもりなのだが、蘭さんはがんとして受け取ろうとしないのだ。
曰く、
「僕はアキちゃんの大家さんじゃない」
「なんか、揉めずに後腐れなくいつでも出ていけるようにしてるみたいで不安」。
彼を大家と思っているわけではないが、他人に世話になっているという感覚が抜けないのは事実だし、後半に関してはもろに図星だったので内心ギクッとしたものだ。
「あのね、とにかく、私の欲しいモノを蘭さんが何でもかんでも全部買うっていうのはやっぱりおかしいよ」
「僕、お金持ちなのに?」
「そういう事を迂闊に外で言わないように。あと、もっと自分のお金を大切にしなさい」
「僕がアキちゃんのために使いたいんだけど、ダメ?」
「…だから、そんなこと言って、私がわがまま放題の金食い虫になったらどうするの?」
「アキちゃんは少しくらいわがまま言って、ちょうどいいくらいじゃないかな。もっと僕に甘えてよ、せっかく一緒に暮らしてるんだからさ」
「甘えるのと依存するのは違うと思うんだけど。ていうか、こんな綺麗なマンションに置いてもらってる時点で十分甘えてるから。私の稼ぎじゃとてもこんなマンションの家賃は払えないし」
「ちなみにここ賃貸じゃないけどね」
「…とにかく。これ以上蘭さんに頼ってたら私、そのうち蘭さんなしで生きられなくなっちゃうじゃん」
「…………なっちゃえばいいのに…………」
「え?」
「ううん何でも。ねえ、どうか気を悪くしないで欲しいんだけど、女の人って奢られたり貢がれたりしたら嬉しいものじゃないの?」
「うーん…」
世間にはそういう種類の女がいることは知っている。愛情や賛美といった気持ちを金やブランド物のバッグといった、わかりやすい形で受け取るタイプ。
そりゃ金を使わずに済むなら楽だし、何かの折に欲しかったものをプレゼントされたら嬉しいと思う気持ちは、私にだってある。
でも、私は幸い自分の身の回りのものくらい自分で買えるし、そもそも自分のことは自分の力ですべきだと思うし…という私のこの感覚は、割と一般的ではないだろうか。




