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同棲を始めるにあたってまず、話し合ったのは部屋割りだった。
一目見てこの高級マンションは男1人で暮らすには間取りが広すぎるのでは、と私は思ったものだが、どうやら蘭さん本人もその広さを持て余しているらしかった。
モノが一切置かれていない、文字通りスッカラカンの空室が2つもあり、私はそのうちの1つを仕事部屋として使わせてもらうこととなった。そう、あくまで仕事部屋として、である。
寝室は蘭さんが一緒にしたがった。私も彼となら一緒に居ても問題なく眠れるのは初日で実証済みだったので、異論はない。なんせ、一つの布団で彼に抱きしめられて密着した状態でも朝までぐっすりなのだ。
これまでどんな男とどんな激しいセックスをしても、疲れて微睡むor一瞬気絶する、なんてことはあれど完全なる眠りに落ちることはなかったこの私が。
しかし、これまでのどの男とも、どんな人間とも違うのが早見蘭という存在なのだった。
「それで、その同棲相手の彼はどのようなお方なのです?」
「…うーん、どういったら良いのか…」
早見蘭という人間を一言で表すなら?
私の中で、人に聞かれると一番困る質問はダントツでこれにつきる。だから私は今、非常に困っている。
少々風変わりな性格をしていることは知っていたが、一緒に暮らし始めてわかったことは、彼の“生態”がとにかく特殊だということだった。
例えば、今まさに壁の向こうで繰り広げられているであろう光景なんてまさにそれだ。
『今日はコンドルの気分よ〜!腕を広げて勝利の雄叫びを!』
「『ビークトリーーー‼︎』」
今日も今日とて、レオタード姿で全力で”体操”しているのだろう。
彼のそんなエキセントリックな習慣にも私は慣れつつあるのだが、案の定電話の向こうのエンマさんは困惑したらしかった。
「……今のたいへん奇妙な掛け声は?」
「件の彼です…」
言った後につい“件”なんて難しい言葉を使ってしまったと気づいたが、教科書のように綺麗な日本語を操るエンマさんにはなんてことなかったようで感心した。
蘭さん曰く、「しないと1日が始まらない」らしい毎日の体操は、およそ30分続く。最初はストレッチのような静かな動きから始まるらしいが、クライマックスにかけてどんどん派手になる動きと共に掛け声もうるさくなっていく構成なので、今で多分20分を過ぎたところだろう、と私はアタリをつけた。いつもそのあたりで彼は人間から動物に変身しているので。
ちなみに大体、鳥類ネタが多い。ああ、でも先週のはバジリスクだったか。バジリスクとは水上を爆走するトカゲのことである。手足を横に大きく広げ地鳴りのように足を踏み鳴らすその姿を見て、一体バジリスクとはなんぞやと思わずスマホで検索してしまい、しばらく笑いが収まらなかったものだ。
しかし、いかに高級マンションとはいえど毎朝こうも暴れ回っていれば、下の住人に音が聞こえるんじゃないかと心配もある。幸い、今のところ何のお咎めもないようだが。
「まあ、私はおかげさまで何とかなってますけど、エンマさんは今どうしてるんですか?」
言いながら、蘭さんが昨夜脱ぎ捨てたパーカーを拾って羽織り、リビングに移動する。覚悟はしていたが、リビングは風が吹き抜け少し肌寒かった。
というのも、窓という窓が全開だからだ。
これも彼の習慣の一つで、毎朝家中の窓を開け放し、換気をするためである。寝室は私がまだ寝ている時もあるということで閉めたままだが、以前は真冬だろうと雨や雪さえ降っていなければ、朝起きて一番に寝室の窓の開放していたという。私なら凍死しているところだが、彼は体温が人より高いから平気なのだろう。確か、平熱でも37度を超えると言っていた。そのせいか、彼は風呂上がりには暑いと言って上裸で部屋を彷徨つき、しばらくすると素肌の上に直にパーカーを着て過ごし、布団に入る前に結局それを脱ぎ捨てる、という習慣も持っている。
今私が羽織っているのがそんな彼のパーカーだから当然生地も薄く、カウンターの前の椅子によじ登ると同時にクシャミが出た。
「「Bless you!」」
ハモった。電話の向こうの世話焼きな南米女性と、数多のおかしな習慣を持つ日本人男性が、奇跡のシンクロを起こした。んふ、と思わず笑い声が出てしまい、双方に不思議そうな反応をされ、慌てて唇を噛んだ。最近、よく笑うようになった自分に気づいて自分でも不思議な気分になる。
「じゃあ、エンマさんは、ずっとそのお友達のところにいるんですか?」
「ええ、他に行く当てがなくて」
無理矢理話を戻すと、私が電話中だと気づいたらしい蘭さんがハッとした顔をしたかと思うと両手の指先を口に添えて乙女のようなポーズをとった。だから笑わせるなと言っているのに(言ってない)。
エンマさんは私も一晩だけ世話になった、あのシングルマザーの女の人(名前忘れた)の家に今もなお逗留し続けているらしい。
電話の向こうで不意に子供の奇声が上がり、その度にエンマさんが外国語で嗜め、会話が何度か中断されたりした。
「子供ってにぎやかですよね」
「ええ、それはもう。なんだか懐かしいです」
「懐かしい?」
「ええ、昔は私にも子供がたくさんいたものです」
あっけらかんとした物言いだが、過去形なのが気になった。
「…へえ、子沢山だったんですね。ちなみに何人くらい…?」
「17人」
「多いですね⁉︎」
もちろん、全員と血が繋がっているわけではないのですよとエンマさんは笑いながら言った。
ああ、私の子供たちに会いたい、とも。
聞けば、エンマさんの子供たちは、てんでバラバラの場所に散らばってしまったのだという。今も連絡が取れるのは17人のうちのほんの数人で、他の子供がどこで何をしているのかすら把握していないらしい。色々と複雑な事情がありそうだが、エンマさんが自ら話す以上のことを、こちらから聞くべきではないだろう。
「だから、私はひたすら祈っています。私の子供たちが毎日幸せであるようにと」
その声が、世間で言うところの愛情的な温かい何かで満ちていて、きっとエンマさんの子供たちは幸せだろうなと思った。
他の人の口から出れば鼻で笑ってしまうだろう綺麗事も、彼女が言うとホンモノに聞こえる。
アパートに住みはじめた当初から定期的に食べ物を持ってきたり、お茶に呼んだり何かと構ってくる彼女を、私は何故か拒めなかった。そうさせる雰囲気が彼女にはあった。ちなみに、洗濯機で靴を洗えることを教えてくれたのもエンマさんだったりする。
お互いの近況報告を終え、最後にエンマさんはいつもの決まり文句を言った。
「では、また今度お茶でもしましょう」
「ええ、ぜひぃいッ⁉︎」
膝に突然、暖かく湿った感触。
「……アキラ?大丈夫ですか?」
大丈夫です何でもないですすみません変な声出しちゃって!そう捲し立てて通話を切り、私は犯人を睨んだ。
「だって、可愛い膝が目の前にあったから」
先ほどまでコンドルだった男が、今度は子犬の目をして「ごめんね?」と上目遣いで見上げてくる。蘭さんはかがんだままのその姿勢で、どこからか引っ張り出してきたらしいブランケットを私の足に巻きつけ、その上からもう一度膝にキスをした。
ブランケットは長い間仕舞い込まれていたのかクシャクシャで、「日本人はお茶こそ命!」と筆字のようなフォントで一面にびっしりプリントされていた。どんなセンスだ。
「それ、昔ペットボトルのお茶のおまけで当たったヤツでね」
と、どこか得意げですらある蘭さんから差し出されたホットコーヒーに口をつける。私は日本人だが、お茶よりコーヒーこそ命!だ。
「ところで、誰と電話してたの?なんか、若そうな女の人の声だったけど」
「…と思うでしょ?焼けちゃったアパートでご近所さんだったんだけど、もう60歳とかになる人だよ」
「嘘ッ⁉︎」
「実際見た目も若いんだな、これが」
「声だけ聞いてて、てっきりアキちゃんより少し年上くらいの、優しそうな女の人だなーって思ったのに」
「実際優しいのは間違いないよ。私のこと心配して電話くれるくらいだし」
しかも、その優しさというのが押し付けがましくないし。とまでわざわざ口には出さないが。
「それに、なんか懐かしい感じがした」
「懐かしい?」
「うん。子供番組の歌のおねーさんみたいな」




