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「ただいま」
そんなことを言うのも、いつしか当たり前ではなくなってしまっていた日々だったが、それでもこうして言えるようになったのは、少々照れ臭そうに手を繋いできている妹のおかげだろう。
まだ日が昇って間もない。日差しが強く外にいるには汗をかいてしまう。
それでもドアの前で一歩止まったのは、これからの生活への決意表明のようなものだろうか。
「「おかえり」」
俺を挟む二人にそう言われ、俺はドアノブに手をかけ、ゆっくりとドアを開ける。それ自体はつい最近にもした行動だけど、今はその意味が大きく違う。
(また、4人で)
3人での墓参りは昨日のこと。俺はついに我が家に帰ってくることとなった。
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「そうか、決めたんだな」
「うん、おじいちゃん。明日にはもう、3人で帰ろうと思う」
最初におじいちゃんに報告したのは俺だった。当然母さんは、自分が最初にと言ってきたが、俺にはどうしても最初がいい理由があった。
「あのさ、お母さんのこと、許して欲しい」
「それは」
俺の言葉に、考えるそぶりを見せるおじいちゃん。
きっとおじいちゃんは、お母さんのことをまだ許していない。普段の接し方からはそのことを隠しているようにも思えたが、今の反応を見るに当たりだったようだ。
「俺さ、まだまだ子供なんだなって思ったんだよ」
ここ最近いろんな人と関わった。性格はみんな違って、それは相性だって同じことだ。
「ここ最近で、本当にいろんな人に助けられてさ。自分じゃ絶対に出せないアイデアとか、その中には自分の価値観が変えられるような意見もあったし、逆に絶対納得できない意見もあったんだ」
「すごいありがたいことも、内心では気に入らないことも、本当にいろいろあった。一緒にいたいと思える人とか、一緒にいるにはつらい人とか結構はっきりしたんだよね」
だから、気づけたことがあった。
「人の繋がりって、所詮そんなものなんだなって」
「修也?」
一見否定的な言葉に、おじいちゃんが怪訝そうにこちらを伺うけど、それに構わず続ける。どの道暗い話ではない。
「好きだから一緒にいる。嫌いだから離れる。すごい単純で、簡単な話で。そして一度離れた相手とは、ほとんどの場合関わりあうことはなくてさ」
きっと高校を卒業すれば、ほとんどの人とは関わることはなくなるのだ。それが1%でも繋がりが残れば、それはとっても素敵なことで、その1%の繋がりがないことは、きっと珍しいことではないのだろう。
そして、俺は。
「お母さんとも幸とも、きっとそうなると思ってた」
「なるほどな」
「興味がないとか、そういうのじゃなかったんだよ。嫌って、避けて、そういう風に生活してきた。それも無意識じゃなくて、意識的に」
「それは、仕方ないな。幸はともかく、多恵子さんはそういう過ちをしてしまったのだからな」
「うん、俺もそう思ってるから、別にそのことを後悔も反省もしてないよ。でもね、それを一人で抱え込んだことは後悔してるんだよね」
「そうだったのか」
「うん。俺はもっと人に頼るべきだったって、最近になって分かったというか教えてもらえたというか、少なくとも自分の場合はそうするべきだったなって」
「確かに俺に言っていれば、結果がどうであれ、まだマシではあっただろうな」
そう言って胸を張るおじいちゃん。そんな頼りになるところが、俺は本当に大好きだ。
「家族って、やっぱり大切なんだよ」
無条件の信頼で、無償の愛というで助けてくれる存在。
「だからこそ、それがないのは何よりも辛い。」
「なるほどな。特に修也は、身に染みて感じてきただろうな」
おじいちゃんの言葉には、若干の後悔が込められているように感じた。本当に、優しい人だ。
「それを失ってしまっている人、もとよりそれがない人は一体誰を頼れいいんだろうって思っちゃってさ」
「確かに、そんな子は世界にたくさんいるだろうな」
「家族に頼れるのが一番いいよ。でも俺みたいに、そうできないことだってある。でも人には、どうしても『きっかけ』が必要なんだ」
俺にとって、そのきっかけは間違いなく福村で。
かつてそうありたいと願った想いは、こうして胸の内で再燃している。
きっかけはなんでもいいのだ。ただ味方であること、それだけで救われる心がある。
踏み込む怖さも、踏み込まれる怖さも、それを超える力が必要なんだ。
そんな強さを持った福村に、榊原に救われた。
だから、俺は
「教師になりたいんだ」
明確に目標を持ったのは初めてだった。やりたいことなんてなかったし、そんなことを考える余裕なんてなかった。
だけど今、こうしてはっきりと告げることができたのは、俺たちを諦めないでいてくれた幸のおかげだ。
「誰かを救いたいとか、驕った考えかもしれないし、そんな力ないかもしれないけど、今そう願っていることを、俺は無駄にしたくないと思ったから。だから俺は、教師になりたい。誰かの、小さくてもいいから「きっかけ」になりたい」
「そうか。応援するよ」
俺の言葉を受け、おじいちゃんは背中を押してくれた。そうしてくれることは何となくわかっていたけど、それでもやっぱり嬉しかった。
「まぁ話はわかった。もちろん反対などしない。けどな、それと多惠子さんを許すというのはどういう繋がりがあるんだ?」
どうするかはともかく、純粋な疑問というふうに問いかけられる。
これは少し照れくさいけれど、こうも素直になれてるのも珍しいと、自分を無理やり納得させた。
「これはほら、第一歩といいますか」
「第一歩……あぁ、なるほどな」
そう、これは夢への第一歩なのだ。
「お父さんがよく、俺と幸の喧嘩を仲裁してたの、いまだによく思い出すんだよね」
それは確かに、俺の理想の姿だった。
「親子だな」
「そりゃ、親子ですから」
言って、二人で笑う。だけど束の間、おじいちゃんは真剣な表情に戻り告げた。
「だが、ダメだね。まだ多惠子さんのことは許さないぞ」
「え、そうなの?」
「そりゃそうだ。そんな簡単に夢が叶ったら面白くないからな」
「なんだそれ。ただの意地悪じゃん」
「そうだな。ただの意地悪だ」
「えー。嫌われても知らないよ?俺、普通に母さんの味方するからね?」
だって俺、もう母さんを許しているし。
「多惠子さんに嫌われても平気だ。修也にも幸にも嫌われたって平気だぞ?何でか分かるか?」
「え……あぁ、そういうこと」
言葉の真意に気づいて、やられたって素直に感心した。おじいちゃんがこんなに話し上手だったとは知らなかった。
「「だって、家族だから」」
離れてもまた、一緒になれるから。
ーーーー
目の前に分岐点がある。
一つ目は静観。否定も肯定もせず、ただ高校生活が終わるのを待つ。
別に俺の過去が『そうだった』ことになったっていい。
騒動の中心にいる白河は(おそらく篠原も)、もう真実を知っているのだろう。これ以上、彼らから踏み込んでくることはもうない。
一人で、独りで、開けてはいけない箱として、この話も自然消滅していくだろう。しかし高校卒業という勝利条件は満たすことができる。
二つ目は、何もかも道連れにしてしまうこと。
これは理屈じゃない。納得のためだ。
園田の、篠原の、彼女らのしてきたこと。それら全てを打ち明ける。
きっと問題にはなるのだろう。それは本来、俺の望むところではない。無かったことになるなら、俺はそれで構わなかったのだから。
その末にあるのが、俺にとっての正解なのかは分からない。
だけどきっと、後悔はしない。そんな確信があった。
実際、やってみなきゃどうなるか分からない。そもそも証拠が不十分として、訴えは虚しく届かないかもしれない。
だけど不信感は残る。誰もが触れ難いものとして、彼女らに負の印象を与えるだろう。彼女らはそれを、明確に恐れているだろう。
その結果、手痛い仕返しをくらうかもしれない。大手を振って、俺を悪者に仕立て上げようとするかもしれない。
あるいは、俺以外の誰かが。
そうなったら、おそらく勝てない。学内ヒエラルキーにおいて、いささか俺は弱すぎる。
きっと賢い選択肢ではないのだろう。
いじめは悪いこと。その本質がこれだ。
いじめは起きた時点で、被害者に納得のいく結末なんて訪れない。
いじめを告発して、問題が発覚して、何らかの処罰が下ったとして、それは被害者にとっての解決にはならない。
結局、待っているのは生きづらい世界だ。
加害者だけじゃない。人間は繋がっている生き物だ。
加害者に友人だっているだろう。その友人の、その友人。繋がりは輪になり、それが悪意として新たにトリガーとなることだってある。
誰だって劇薬には触れたくない。だって、触れなくたって生きていけるのだから。
見て見ぬ振りは共犯?そんなわけはない。
いじめは、いじめる奴が100%悪い。
マイナスでもプラスでもない。ゼロだ。
手も差し伸べるのは当然じゃない。それは勇気ある行動なのだ。
差し伸べた手が、どうなるかなんて分からない。
ましてやそれは、大多数は伸ばさない光で、伸ばさなくたって悪者になるわけじゃない。
あの時、手を伸ばして、光を掴もうとしたことを、俺は後悔しているだろうか。
断言出来る。俺はあの時の選択を後悔していない。
あの日の自分を否定することは、今の自分を支えているものを否定するのと同じことだから。




