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「おはようございます、先生」
「お、おお。体調は良くなったのか、喜多見」
いくつかの視線を受けながら、何週間ぶりかに登校した俺は、先生に挨拶をしながら教室に入った。先生は特にそれ以上何かを追求することなく、職員室の方へと歩いていった。
夏休みが終わるまで学校に来るつもりはなかった。だけど今日、こうして俺は何事もなかったかのように登校していた。結局俺は、何かに流されやすい人間だったというわけだ。
自分の席に着く。教室の居心地の悪さは、効きの悪い冷房も相まって多少期間が空いたところで健在だった。篠原がご丁寧に俺の悪評を声高々に広めてくれたせいだろう。
今思えば、どうせ風化するものだと弁解しなかったが失敗だったかな。
実際俺はいい。今でもその考えは変わらない。これも榊原に言ったら怒られそうだな。
ともかく、俺以外が良くなかったのだから。
良くないと、そう思ってくれる人がいたのだから。
「おいお前、いったいどのツラ下げて学校来てんだ?」
いくらなんでも前時代的ではと思うような、そんなセリフを吐きながら俺の机の前に立ったのは、篠原と白河だった。
ご丁寧に朝からご挨拶だ。
白河の表情を見やると、やはりどこかばつの悪そうな表情を浮かべてこちらを見ていた。
「おいてめぇ、何無視してんだよ」
クラスメイトたちも、また何かあったのかとこちらに注目している。目立つのは苦手だ。何というか、否応にもなくどこか緊張してしまう。きっとそれは、俺だけってこともないはずだ。
「聞いてんのかよ!!」
ダン!!という机を叩く音が教室に響く。そんな剣幕に、俺は動揺することなく返す。
「なに?」
「てめぇ……舐めてんのかよ」
凄み方が昭和。平成超えて令和だというのに、こいつはどんな育ち方をしてきたのか。
「白河。俺決めたんだよ」
「……決めたって、何をだよ」
篠原の後ろで特に何も言うことなく、所在なさげに立っていた白河に、俺は急に話しかけた。大方今日も、篠原に仕方なくついてきたんだろう。もう引き返せない、その一心で。
「次何かされたら、俺も黙ってないからな」
それは正真正銘の脅しだった。篠原にはきっとわからないが、真実を知っている白河には正しく伝わったことだろう。今までは遠回しのものだったが、今回はそうじゃない。
「そ、それは」
わかりやすい動揺を見せる白河。その反応を見るに、白河はきっと手を引きたがっていたのだろう。だけど篠原は止まらなかった。どんな事情があるのかは知らないけれど、篠原は止まれなかったのだ。
「おい、無視してんじゃねえぞ!」
「篠原!今はとりあえずやめた方がいい!」
「あぁ!?お前まで何言ってんだよ!!」
「いいから!!ちゃんとお前にも説明するから!!」
傍目から見れば急に心変わりした白河に、篠原も動揺を隠せないようだ。白河は有無を言わせぬ剣幕で、篠原の怒りを抑え込むように言った。
「今ならまだ間に合うから!一旦ここは俺の言うこと聞いてくれ!!」
「お前、急に何言ってんだよ……ちっ、ちゃんと後で説明しろよ!?」
その勢いに押されたのか、篠原は納得はしてないものの、仕方なくといった表情で教室を後にした。
去り際にこちらをひと睨み。白河が振り返ることはなかったが、おおよそどんな表情をしているかは想像がつく。
(こんなもんか。何というか)
思ったよりもあっさりしていた。自分のクラスにおける扱いは大きく変わった気はしないが、彼らは、白河は一体どんな行動を取るだろうか。
関わりがなくなるならそれでよし、というわけにはいかない。きちんと精算をしないと、きっとどこかで帳尻が合わなくなる。落とし前が、今の俺には必要なんだ。
それを榊原の責任にしてはいけない。
影響を受けたのは間違いない。それでも自分の意志でやることから逃げてはいけない。
「喜多見?」
「おはよう、福村」
福村には、昨日の夜学校に来ることを伝えていた。だから、福村が俺のことを尋ねてくるのも予想はしていた。
教室に入ってきた彼女は、俺の席まで来ると聞いてきた。
「放課後、時間ある?」
「うん。じゃあ正門の前で待ってるな」
予想通りの提案に、二つ返事で了承する。彼女には伝えておきたいこともある。
「じゃあ、また後で」
福村はそれだけ言って教室を出た。言いたいことも聞きたいことも、後でゆっくり話すつもりなのだろう。
(また後で、か)
俺はその言葉が好きだった。関係性が途切れていない証明だから。次が保証されるから。
言葉には意志が宿る。だから俺は、その言葉の響きが好きだった。
ーーーー
時間は過ぎゆく。あっという間に放課後だ。
「ありがと、急だったのに」
「や、俺も学校来ないって言ってたのに、急に来たからね」
学校が終わり、私たちは駅前のファミレスに来ていた。
お互いにドリンクバーを頼み、軽く近況を話し合ったりする。まだ本題には踏み込まない。私としても、きっと彼としても心の準備が必要だった。
均衡を破ったのは私だった。
「ねぇ、篠原たちのこと、喜多見は一体どうするつもりなの?」
「それは」
彼が学校に来たということは、何か心変わりあったということだ。時間を置いて、問題を風化させる。それ以上の目的を持って、彼は登校したに違いなかった。
(私は、なんにも知らないや)
別に彼は、私に特段隠し事をしているわけではないんだろう。現にこうして私の誘いを断らなかったし、きっとこの質問には答えてもらえる。
だけど、その答えに至った理由を、私が知ることはないのだろう。
知らないということが、こんなに悔しいことだなんて思わなかった。
「ある程度はさ、俺も黙っていないことにしたよ」
ある程度、と彼は言った。それだけでもかなりの変化だと私は思った。だって泣き寝入りに近い方法をとっていた彼だ。些細な変化として扱うには、それは大きすぎる変容だった。
「と言うと?」
胸中の複雑な心境を悟られないように、私はなんでもないようにそう問いかけた。
「少なくとも、やられた分の清算はするよ。何もやり返すわけじゃないし、その辺は色々考えてるよ」
「そっか、もう決めたんだね?」
「ああ。もう引かない。達観したふりは、もうしないって決めたんだ」
その決意のこもった目を見て、あぁ、本当に彼は変わったんだなって思った。
彼はきっと、この件について何かを諦めたりはしないんだろう。結果がどうなるにせよ、彼はきっと納得するんだろう。
だから私は何も言う必要はない。ただその背中を押してあげるだけでいい。
なのに。それなのに。
「変わっちゃったね、喜多見」
次いで出たのはそんな言葉。
ちがう。言いたいことはそんなことじゃない。
喜多見はすごいねって。私なんかちっとも耐えられなかったよって。出来ることがあったら言ってねって。
私も頑張るからって。
そう言うべきで、そう言うつもりだったのに。
「福村?」
言葉は意味を伝えるだけじゃない。言い方から感情を読み取ることだって出来るのだ。
だからきっと伝わってしまった。私の言葉に宿る負の感情が。
「あ、ううん。なんでもないよ?」
「なら、いいけど」
なんでもなくなんかない。訂正しなきゃ。そんなつもりじゃないって言わなきゃ。きっと彼は気づいてる。私が何かに引っかかっているって。
だけど言葉は出てこない。流してくれた彼の優しさに甘えてしまった。
(変わったって、私は全然構わないのに)
私がこんなことを言ってしまった理由は明確だった。
自分じゃなかったからだ。
喜多見を変えたのが私じゃなかったことに、その事実が悔しくてたまらないのだ。
それはただの負け惜しみだった。
喜多見を変えたのはきっとあの子だ。喜多見にとって、頼りになる心優しい後輩だ。
彼女のことは嫌いじゃない。むしろ好感触で、一人の人間として尊敬すら出来る良い子だ。
彼女は喜多見のことが好きなのだろう。そんなのきっと、喜多見自身だって気づいている。
二人の関係性が進んだのでは?そんなことを不意に思った。
きっと彼女が、彼の背中を押したのだ。
その事実に歯痒い思いをしてしまう自分に嫌気が差す。
私だって、と。
自分で勝手に首を突っ込んだくせにそう思ってしまう。
なんで彼女は、って。
二人の関係性なんてろくに知らないのに、そんなことを思ってしまう。
どうして、どうして、どうしてーーーー
「福村?どうした?もしかして調子悪いのか...?」
「ーーーーあっ」
ハッとして前を見ると、心配そうに顔を覗かせる喜多見と目があった。
その目を見て、私は気づいてしまった。理解してしまった。どうしようもなく、納得してしまった。
(私……自分のことばっかりじゃん)
「ううん。本当に大丈夫だよ。ちょっと疲れちゃっただけだから」
嘘をついた。疲れてなんかいなかった。
彼は優しいから。私はこの後に続く言葉をわかっていた。
「そうなのか?だったら無理はしちゃダメだ。今日はこの辺にしておくか」
そう言って帰る支度を始める喜多見。いつもそうやって、私が気を使う前に先に行動してしまう。
でもそれは、私が特別ってわけじゃない。
そんな彼だから、私はーーーー
(なんかもう、わかんないや)
ただわかるのは、あの子が真っ直ぐな思いで喜多見と向き合っていたってこと。私にはそれができなかった。ただ彼のために行動することができなかった。
私は、私のために彼を助けようとしていた。
だから私には、彼を変えることができなかった。
こうやって自分の立場を特別視したからだ。なんでもないうちの一人なのに、舞台の上に立っていると勘違いしたからだ。
(完敗だなぁ)
勝ち負けの意識がある時点で、こうなることは決まっていたのだ。だから私は納得してしまったのだ。
彼のような人に相応しいのは榊原さんだ、と。




