9
待ってて。
そうは言ったものの、正直母さんと向き合う勇気はない。
会ったらまた、自分が抑えられなくなるようなそんな気がする。
でもそんな俺を幸は肯定してくれた。
だったら、しばらくそれに甘えたいと思う。
焦る必要はないと、幸は教えてくれた。
だから、自分の気持ちに整理がつくまで待ってもらおう。
きっと時間が解決してくれることが、あるはずだから。
ーーーー
「やべ、あいつらのことすっかり忘れてた」
日曜日、俺はスーパーで買い物をしながら、篠原たちの例の要求を思い出していた。
正直一昨日家に帰ってきてから、そんなことを考える余裕なんてなかった。
「てか、そもそも二人の連絡先なんて知らないしな」
園田はともかく、福村の連絡先すら俺はもっていない。
謝罪は、うん。
「どうせ今日は無理か」
忘れていたこともあって、どの道今日謝るのは無理だし、そもそも謝る気も元からない。
まぁ、福村のことが気にならないのかと聞かれれば、それはーーーー
「ーーーーもしかして、先輩?やっぱり!先輩じゃないですか!!」
考え事をしている俺に、背後から声がかけられた。
「え?榊原?」
彼女はゆらゆらとポニーテイルをたなびかせ、そのラフな格好から想像できる通りの明るい声音で話す。
「そうですよ!榊原汐音ですよ!先輩、なんで急にバイト来なくなっちゃったんです?」
俺に声をかけてきたのは、つい先日まで働いていたカフェのもう一人のアルバイト。学校は違うが、一個下の後輩。
榊原汐音だった。
ーーーー
「もー先輩が来なくなってから、仕事増えちゃって大変ですよー。店長も新しい人雇う気、ないみたいですしー」
俺は榊原に、近くのファミレスに連行されていた。
断ろうとしたのだが、絶対に逃さないという気迫に折れた形だ。
「新しいバイト、入ってないのか?」
「入ってないですよー。まぁ私としては、その?先輩が辞めちゃうよりは良いですけどー」
新しい子は入ってないのか。仕事が多くはないとはいえ、一人じゃ大変そうだな。
って、え?辞めちゃうよりは、良い?
「俺クビにされてるはずだけど」
「……はい?んえ?え、ええ?ちょ、ちょっと待ってください?」
俺の言葉に一瞬固まった彼女は、どこかに電話をかけ始めた。その表情からは明確な怒りが見て取れた。
榊原ってこんな子だったんだな。
「ちょっと店長!?修也先輩、クビにされてると思ってますけど!?……は!?誤解!?「来なくていい」ってのは、はぁ、わかりました。とにかく、直接謝ってくださいよ。そうです。はい。今目の前にいます。はい。このまま先輩辞めちゃったら、私も辞めますから!!はい、はい。じゃあ、失礼しまーす。……このっ!店長のバカ!」
「ど、どうしたんだ?」
おそらく相手は店長だろうが、一体何が……?というか最後の一言、まだ電話切れる前に言ってただろ。
「先輩、店長になんて言われました?」
「え……?「来なくていい」って、そう言われたけど」
あの現場を見られた後だったし、クビにされたと思ったんだが。正直俺でも首を言い渡すかもしれないし、早計だとしてもそこまでおかしくはない。
「それ誤解です」
「誤解?」
「来なくていいっていうのは、「落ち着くまで」来なくていいって意味だそうです。はぁ。ほんっと、あの人は言葉が足りなすぎるんですよ!!」
「じゃあ俺、クビになってないの!?」
まさかまさか、衝撃の事実である。
「なってないですよ。誤解させてるって知って、すごい動揺してましたよ、今」
「マジか」
「マジです。多分、謝罪文が……夕方くらいですかね?来ると思いますけど。それはもう、めちゃくちゃ考え込まれたやつが」
「なんか想像つくな」
顔を見合わせて、クスリと笑った。店長はすごい不器用な人だから、一言謝るのにも考え込むだろう。半分は榊原のあの剣幕のせいな気もするが。
「じゃあ!またバイト来てくれるんですよね!?」
「あ、ああ。そうだな。早ければ明日から顔を出すことにするよ」
「やった!……そうだ。ねぇ、先輩?そろそろ連絡先交換しません?」
「え、あー連絡先か」
喜んだのもつかの間、彼女はどこか恐る恐るといった様子でそう提案してきた。
今まで、連絡先は色んな理由をつけて断っていた。教えたくない性分だとか、訳わからない理由をつけて。
それでも彼女は、折に触れて連絡先を聞いてくる。
根気強いことだ。俺なら一回で諦めるね。
「いいよ」
「え、いいんですか!?やったー!ついに鎖国解禁ですね!」
鎖国か。その通りかもしれないな。
だけど今は、そんぐらいはいいか、ぐらいに思えた。
多分それは、きっと。
「ふぅ。じゃ、今日は帰りますか!ちょっとこの後、店長にお説教してきたいので!!」
「そうか……あんまりやりすぎないようにな?」
一緒に席を立ち、会計を済ませる。割り勘だ。
「今日は会えて良かったです!誤解も解けて一安心です」
「ああ、俺も助かったよ。じゃあ……」
と、ここで何事もなく別れるはずだった。
なんだろうな。運命の神様とやらは、やっぱり俺のことが嫌いなのだろうか。
「あ……喜多見?それに、えっとーー」
「福村?」
片手に買い物袋をぶら下げた福村が、そこにはいた。
「「「……」」」
気まずい沈黙が三人を包む。
「えっと喜多見、その子は?」
お互いに出方を伺っていると、福村がそう切り出した。三人の間になぜか流れていた緊張感が少し和らぐのを肌で感じる。
「ああ、この子はバイトの後輩で……」
「どうも、榊原汐音です。それであなたは?」
気のせいだった。それどころか、バチっ。なんかそんな音が聞こえた気がする。
心なしか榊原の言葉に棘があったように感じたのは、俺の気のせいだろうか。
「福村よ。喜多見の同級生よ」
お互いに自己紹介をすましたが、別にそこまではっきりしなくても良かったのでは?
「へぇ、クラスメイトですか?そうですか」
「お、おい。もう少し離れてくれ……」
なぜか榊原は俺の方に身を寄せてきた。
彼女は何かと距離感が近い子だ。反応に困るから、そういうのはそういうのに慣れてるやつにやってほしい。
「ど、どうして福村がここに?」
学校からはそこそこ離れた場所だから、誰にも合わないと思っていたのだが。
いや、そう言ってこの前あいつらにも会ったんだった。
「私の家、この辺だから」
「そうなのか」
知らなかった。そういえば以前うちを訪ねてこれたのは、家が近かったからという理由もあるのかもしれない。
「家近いアピールですか、やりますね」
「え?なんか言ったか?」
「何でもありません!」
やっぱり変なやつだな、榊原。
「じゃあ、私は行くから」
「お、おう。またな」
何気なくそう言って、後悔する。
だって彼女は、今ーー
「うん。またね」
彼女もまた、同じように返してきた。
そのまま家の方向だろうか?俺たちとは反対方向に歩いていった。
「じゃ、俺も帰るから」
「はい!では、また明日!!」
「おう。今日はありがとうな」
こうして榊原とも別れた。
今日は、いや今日も、か。いろいろあったな。
とはいえ、榊原とは意外にも普通に話せたな。
もっと気まずくなってしまうと思っていたが、杞憂だったようだ。
しかし福村に言った一言は、いささか無神経だっただろうか。彼女が今どんな状況かも、俺はろくに知らないというのに。
「帰るか」
そう言って一人歩く。
「あ、すっかり謝るの忘れてた」
もともと謝る気もあまりなかったが、バカ二人の命令をすっかり忘れていたことにやっと気づいたのだった。
ーーーー
無愛想な人だなー。
私の先輩に対する第一印象である。
高校生になる直前、春休みに私はバイトを始めた。
場所は近所のカフェで、前から何度か客として訪れたことがあって、その落ち着いた雰囲気というか、お洒落な雰囲気というか、ともかく働くならここだと決めていた。
従業員も多くないみたいだし客がとても多い訳じゃないので、楽ができそうだと思ったということもある。髪色の指定とかもないので、明るい色に染めてた私にとってかなり都合が良かった。
私は無事面接を突破。アルバイトが始まった。
「新しくバイトに入った榊原です!よろしくお願いします!」
「喜多見です。よろしくお願いします」
私たちのファーストコンタクトがこれ。テンション差が半端なかった。
まるで面倒ごとが舞い込んできたかのような表情で、教育係に任命された先輩は私を出迎えた。
まぁ、実際教育係に任命されて面倒だったのだろう。
(でも、何か親近感湧くなー)
そう、無愛想と思いながらも私は親近感を覚えていた。
具体的には、中学の頃の自分を見ているようだった。
そう、高校デビューである。私はそれに成功していた。
もともと陰で、いわゆる地味子なんて呼ばれてた私は、その状況を脱却すべく高校デビューに挑戦。
無理した訳じゃない。もともと少し派手な格好とか、明るい髪色とか、そういうのに憧れがあった。
別に自分を偽ってるとかそういう話じゃないのであしからず。
むしろ自信がついて自然体でいれる点で言えば、今の私が本当の私なんだと、自信を持って言える。
そんな経緯があるからだろうか、彼がとても窮屈な生き方をしていると思ったのは。
前提として、先輩は優しい。それもかなり底抜けに、だ。
しかし先輩が私と距離をとっているのは明らかだった。
挨拶等の最低限の会話しかしてくれないし、仮に話しかけてもそっけない返事しか返ってこない。それも、作り笑いで。
作り笑いをしているのはバレバレだった。
でもきっと、先輩もそれはわかっていたと思う。
そもそも仲良くなる気がないから、取り繕っていることを取り繕わない。
そしてそれは、身に覚えがある感覚だった。
私にどう思われてもどうでもいいと、先輩はきっとそう思っている。
そんな先輩だけど、私はどうしても嫌いになれなかった。
親近感が湧いたからではない。
理由は簡単。だって先輩、良い人だから。
まず気遣いの仕方がすごい。
なんて言うか、すごい気にかけてくれるのだ。
私のミスにはすぐ気づく。そしてすぐカバーしてくれる。
だけど先輩は何も言わない。だからそれに気づくのはいつも後になってからだった。
気づいたタイミングでお礼は言うのだが、やはりそっけない返事が返ってくる。
だんだん無愛想という印象は、不器用って印象に変わっていった。
そして私にとって決定的となる、ある出来事が起きる。
私は大きな失敗をしてしまった。
注文されたコーヒーを、つまづいて客にぶちまけてしまったのだ。
今までにない大きなミスに、頭が真っ白になった。
客が何か私に言っている。わかってる。怒ってるのだ。
謝らなきゃ。なんて言う?その前にコーヒーの代わりを。違う。まずは拭かなきゃ。
「何ぼーっとしてんだ!どうしてくれるんだ、この服高いんだぞ!」
落ち着きを取り戻せそうなところで、荒い口調で捲し立てられ、さらに混乱した。
私は何もできずに立ち尽くしてしまった。
「何無視してんだ!このっ!」
「ひっ!」
男は私に痺れを切らしたのか、テーブルに出されていた水をグラスごと私に投げてきた。
私は驚きのあまり腰を抜かしてしまう。
ゴッ、と言う音を響かせた後、グラスが地面を転がった。
「っ痛ーー」
「うそ……先輩!?」
グラスが私に当たることはなかった。
先輩が私と男の間に割り込んで、私を庇ってくれたからだ。
「なんだおま……」
「警察、呼んだんで」
男が文句を言うのを遮るように、先輩はそう言った。
私は先輩が怒っているように見えた。初めて見る表情だった。
「なっ!?お、俺は被害者だぞ?客に向かって何様だ!!」
先輩の言葉に、少し狼狽を見せながらも、男は引かなかった。
「関係ないですよ。もうあんた加害者だ。監視カメラもあるし、諦めろ」
「く、くそっ!こんな店二度と来ないからな!!」
男は逃げるように店から出て行った。
「せ、先輩……ありがとうございます」
いまだはっきりしない思考で、何とかお礼の言葉を捻り出した。私は未だ腰を抜かしたままだった。
「大丈夫か……あー、大丈夫だよな」
「あ……はい。大丈夫です」
先輩はこちらに手を伸ばそうとして、やめた。その表情は、やはり私が見たことないもので、さっきとは打って変わって、悲しそうな表情に見えた。
その手をいつか握りたいと思ったのを、きっと先輩は知らない。
その後、店長が警察に通報して色々処理をしてくれた。
私がしたのはあくまでミスで、それは極論お金で解決できた。弁償という形で。
しかし向こうは明らかに故意。非は向こうにあるとされた。
本当はもっと複雑で難しい話なんだろうけど、先輩はそれしか言わなかった。気を遣われていた。私は守られてばかりだった。
優しくて、だけど不器用な、そんな先輩のことをいつしか私は慕っていた。
そして最近の先輩の異変にも、私は薄々気づいていた。
何か悩んでいるような、そんな様子が1ヶ月ぐらい続いたのだ。
そして、先輩はバイトに来なくなってしまった。
店長が言うには、今はお休みをとっているとのことと、その期限は決まっていないことを教えてもらった。
声をかけるべきだったのかもしれないと、後悔した。悩んでいるのには薄々気づいていたのだから、何か出来たんじゃないかって思った。
でもそれは、ある日突然払拭される。
店長の言葉による誤解が発覚。先輩はバイトに復帰した。
先輩と自然に話せた気がしたのは、これが初めてだった。勝手な印象だが、何か憑き物が落ちたようなそんな気がした。
何かあったのだろう。
その事実に私は、少し悔しいなって思った。
私のいないところで何があったのか、純粋に知りたかった。
福村さんと先輩の関係も気になる。気になることばかりだ。
彼女との関係性はわからない。だけど、きっと先輩にとってただの一クラスメイトではないんだろうと、それだけはわかった。
先輩というよりも、彼女のその態度からそれは感じ取れた。
そして同時に、彼の深いところにいる彼女を羨ましく思った。
これは焦燥感だろうか。私は焦っているのだろうか。
嫉妬という感情を抱いているのは間違いない。
せっかく連絡先だって手に入れたのだ。
もっと欲張りになっても良いだろうか。
そんなことを考えちゃう自分に、私は少し笑ってしまう。
「ちょっとだけ、がんばろ……うん!」
小さな宣言が、誰に知られることもなく呟かれた。
ーーーー
私は買い物から帰ると、ベッドに身を投げ枕に顔を埋める。
喜多見に会った。
正直、もっと気まずくなると思った。うまく会話ができないと思った。
彼は、私が今学校に行けてない理由を知っているのだろうか。
知らないでいてくれると嬉しい。いや、助かると言った方が正しいか。
ともかく、私の自業自得で彼にこれ以上の迷惑をかけることはしたくない。
何日か学校を休んで、いろいろ考えた。
これからの身の振り方。みんなとの付き合い方。
そもそも学校に行くかどうか。
そして何より、彼との接し方。
あのばら撒かれた紙のこともあるし、迷惑かけたことは謝るべきか。
それとも、それすらも迷惑になってしまうだろうか、と。
いろいろ考えて、いろいろ悩んだ。
「なんか、馬鹿みたい」
分かってる。私が勝手に一人で悩んでいたということだ。
きっと彼にとっては、些事なことだったというだけ。
それでも、それでも。
「私だけか」
分かってる。自惚だったってことぐらい。
力になれてたかもなんて、そんなこと思ってはいけない。
でも、でも、でも。
「あの子、喜多見とどんな関係なんだろ」
バイトの後輩って言ってた。けど、本当にそれだけかって思っちゃう。
というよりも、あの子の喜多見を見るその目に、その関係を疑ってしまう。
仲が良いんだろう。彼の彼女に対する接し方も、どこか柔らかいように感じた。
「私には冷たかったのになぁ」
口に出しておきながら、別に彼が私に冷たくしたわけではないことを、頭でしっかり理解する。
彼女と比べて、ただそれだけのことだ。
2人の関係値など、まるで知らないのだが。
このもやもやは、おそらく嫉妬だ。
一人で思い上がったが故の末路。
彼にとって、どこか特別な存在でいれているなんて、そんな思い上がりが招いた事態。
自分は。いや、自分だけは、と。
彼のことを理解しているなんて、そんな勘違い。
簡単な話。彼の理解者は他にもいる。それだけ。
私がうだうだ悩んでいる間にも、彼は前に進んでいたんだ。
だから、この感情は、ダメだ。
押し付けるなんて、許されない。
明日から学校にちゃんと行こう。
そして、何気なく挨拶して、それで元通りだ。
クラスメイトたちにはどんな顔をされるだろうかって、昨日までそんなことばかり考えていたはずなのに、ただ彼一人の存在が遠かった事実は、その苦悩をあっさりと超えた。
その事実に蓋をして、私は胸に渦巻く思いを封じ込めた。
ーーーー
そして翌日月曜日、私は予定通りに登校していた。
正直は気は全く乗っていなかったのだが、思いのほか憂鬱な気持ちは薄らいでいた。
それはたぶん昨日彼と会って、私に対する態度がほとんど変わっていなかったからで、彼だけは私の味方でいてくれるのでは?という一方的な心の支えによるものだ。
「おはよー舞華」
「お、おはよう」
そして驚くことに、クラスメイトの私に対する態度が変わっていた。
いや、正しくは元に戻っていた。
(同情?いや、これはきっと……)
飛び火を恐れたのだろうと思った。きっと、私が学校に来なくなって、ことが大きいものだと思ったのだろう。それで加害者にはなるまいと、露骨な態度をとらないようにしているのだろう。
(なんて、そこまで考えてないのかもしれないけど)
別にたまたまかもしれない。
でも、一度悪意に触れてしまった私にはどうしても、そういった裏の思惑があるんじゃないかって、そう思ってしまう。考えてしまう。
素直に他人を信じることができなくなってしまっていた。
(関係ないや)
そう、関係ない。
周りがそう接してくるのなら、私もそれに応じるだけだ。
彼女にさえ過度に接しなければ、問題ないだろう。
あれはきっと、彼女なりの脅しだったのだろう。余計なことをするなという、脅し。
もう、関わらない。それで、おしまい。
何も問題なんて、ない。
ーーーー
「何これ、放課後に校舎裏?」
昼休み、私は自分のカバンに一枚の手紙が入れられていることに気づいた。
内容は放課後に校舎裏まで来て欲しいとのこと。
(告白?)
行くかは迷ったけど、一応行くことにした。
いろいろと思うことはあるけど、問題の先送りは面倒だと思ったからだ。それにシチュエーション的にも、まぁ何度かは経験があることだし。
待ち合わせ場所にいたのは、同じクラスの男子だった。
白河だ。一体なんの用だろうか。
「舞華。俺と付き合おうぜ?」
「え?」
なんの前置きもなしに、いきなりそんなことを言ってきた。
意味がわからない。まさか白河に告白されるとは思わなかった。てか、告白というより提案?なんのつもりだろうか。
とはいえ、返事はしなければいけない。
「ごめんなさい」
一言、そう言った。普通に彼と付き合うとかは考えられない。
まず仲良くないし。名前呼びされても正直気持ち悪い。
「な、なんでだよ!俺と付き合うのが嫌なのか?」
嫌に決まってるでしょ。今までだって少し話したことがある程度の仲だろう。
「……くそっ!なんでだよ!なんで俺と付き合えないんだよ!!」
理由なんかない。付き合う理由がないからだ。
どれだけ自信があるのだというのだ、彼は。
とはいえ、理由を言わなければ、こいつはきっと納得しない。
なんて答えようかと迷った私は、気づけばこう返していた。
「私、好きな人がいるから」
「す、好きな人?」
ズキン。
何気なく放った言葉のはずだった。ただの言い訳。
この状況をやり過ごすための、でまかせ。
だけどその言葉は、私の胸に重くのしかかった気がした。何かが軋む音がした。
「くそっ!喜多見か?あいつ!無視しやがったな!?」
「……え?ど、どういうこと?無視って」
私の好きな人に、彼が浮かぶのはわかる。
誤解を受けるような行動をとってしまっていたし、あの紙のこともある。
だけど、無視ってなに?ドロリとした、そんな嫌な感覚が全身を走る。
「いいのか?あいつ、彼女いるぞ」
「……彼女?」
白河の言葉に、明らかな動揺。だけど悟られないように押し殺す。
「ああそうだぜ。土曜日に二人で腕を組んで歩いてたぜ。名前呼びまでしてたぜ、その彼女はな」
白河の口が、ニヤリと歪む。分かってる。喜多見のことを陥れようとしているんだ。別に喜多見に彼女がいたって悪いことはないのだから。
だけど。
(今日は会えてよかった、って榊原さんは言ってた。ってことは、また、別の人?)
ちらりと聞こえた会話から、二人が久しぶりに会ったのはわかっていた。
関係ない。関係ない。だから、考えるな。
「あんな二股野郎のことなんて信じるなって。な?また今度、話でもしようぜ、ゆっくりとな?」
そう言って白河は去った。その目は、静かな怒りに満ちているように見えた。
(私には関係ない)
そう、無関係だ。
彼が誰と何してたって、良いじゃないか。
彼女がいたって、いいじゃないか。
なのに、何でこんなに胸がざわつく?
知らない。知らない。知りたくない。
暗い感情を押し殺し、私は帰路に着く。
どこか世界に取り残されたような、そんな感覚を覚えた。




