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ヒトの感情を食べる魔女と感情を食べてほしいお客の話

感情を食べる魔女と恋心を食べてほしい少女の話

作者: みそ
掲載日:2024/11/18

その日、城下町の複雑に入り組んだ路地の先、銀色のドアベルを鳴らして扉を開けたのは一人の少女だった。貴族だろう。仕草も物腰も下町のものとは明らかに違う、美しい少女。

悲しみに彩られた瞳をした彼女を椅子に座らせ、魔女は温かな紅茶を淹れた。


「ご存知だとは思うけれど、ここはわたしの店よ。店、というのは便宜上のことで、実際にはここは私の食事処なの。私はヒトの感情が欲しい。唯一わたしが食べることができるものがそれだから。けれど、誰彼構わずヒトの感情を食うことはできないの。それがこの世の理だから。ヒトが不要とした感情を、わたしは食べる。ヒトは気持ちが楽になる。ここはそういう場所なの」


背筋を伸ばして椅子にかける少女に説明する。

世の中に数多存在する魔女達は、様々な薬を作り、魔法を使うことができる。それを生業にする魔女もいる。だが、この店の魔女は怠惰だ。薬を作ることも、魔法を使うこともそれほど好きではない。他の魔女と違い、ヒトの感情を食って生きるこの店の魔女は、いっそのことヒトの感情を食うことそれ自体を生業にすることにしたのだった。それまでは絶望するヒトの前に降り立ち、感情に起因するその絶望を食ってやろうか、と取引を持ちかける生活だったのだが、今では定住してヒトの来訪を待てばいい。魔女の店にはいつも一定数以上の客がいた。


「貴方は自分でここへきた。無くしてしまいたい感情があるのでしょう?貴方が望めば、わたしはそれを食べることができるわ。記憶は一切なくならない、ただ、感情だけがなくなるの。例えば…そうね。家族を無くしたヒトが、「悲しみ」を取り除いて欲しいとするわ。わたしは「悲しみ」を食べる。すると、家族の記憶を思い返す時、「悲しみ」以外の感情を持って反芻することができるようになる。例えば、「愛しさ」や「憧憬」あるいは思いの外「恨み」を感じたりすることもあるかもしれない。けれどそこに「悲しみ」を抱かなくなる。そういう感じね」


魔女は己の分のティーカップに口をつける。

華やぐ香りが鼻腔をくすぐる。今回の茶葉はあたりだ。


「はい。ぜひ、わたしの感情を食べてください」


少女は膝の上に置いた手のひらを握り込んでいる。

緊張しているのだろう。それとも決意の表れだろうか。

魔女は少女の顔を覗き込む。意志の強い瞳が、魔女を見つめ返した。


「どんな感情を食べて欲しいの」


聞けば、少女の瞳がわずかに揺れる。しかし、意志が変わることはないのだろう。

少女は小さく頷き、


「恋心を」


といった。


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私が忘れたいのは、婚約者への恋心なのです。

婚約して5年になるのですが、私たちはうまくいっておりません。

婚約者は…あの人は、きっと私との時間が楽しくないのです。だから、別の方とばかり時間を費やしていて、私たちの間にはもはや会話もない。…それでも、私はなんとかしようと抗いました。私の気持ちを伝え、もはやアカデミーに知れ渡っている彼の行動について改善をお願いし、私なりに努力したつもりだったのですが、あの人は聞き入れてはくださいませんでした。

そんなあの人の態度はもはや周囲に知れ渡り、私の両親はおろか、あの人の両親もそのことをご存知で…全て私の気持ち一つで決めて良い、とそう言われました。こんな風になってまで、私を傷つけることにしかならない婚約を続ける意味などない、いつやめても構わない。と。あちらのご両親は優しい方々で、大変可愛がっていただきました。私は幸せものです。

でも…どうしても私はあの人との婚約をやめられない。

何故なのでしょう。

どうして私はあの人を諦められないんでしょうか。

もうあの人を思う時、以前感じていたような温かな気持ちにはなれないのに。

怒りなのか悲しみなのかわからないぐちゃぐちゃの感情が押し寄せてくるだけで、幸せな気持ちになどなれないのに。

なのにどうして私はあの人との婚約解消が受け入れられないんでしょうか。

私の両親に心配をかけて、あちらのご両親に悲しそうな顔をさせて、それでも婚約解消に首を縦に振ることができないのです。

もう、私の感情ひとつで全てを終えられるのに。


だから、恋心を消して欲しいのです。

私が楽になるために。婚約解消を選択できるように。

これ以上、両親達を悲しい顔にさせないために。


あの人を見ても、心に漣を立てず。

あの人を憎まなくて良いように。

あの人に恋していた自分を忘れたい…


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少女は訥々と話した。

悲しみに沈んではいるが、自暴自棄ではない。もはや怒りに狂う時期を過ぎ去ったのか、怒るのが苦手なのかはわからなかったが、今現在彼女が本当に苦しんでいて、心の底からその感情がなくなればいい、と思っていることは確かだった。


「恋心、というのはとても難しい注文ね。恋心はいろんな感情と結びつくでしょう。そういった感情を総合したものを『恋心である』と私は認識しているわ。一つの感情を抽出して食べておしまい、というわけにはいかないの。だから、時間がかかる」


それでも構わなければ、ぜひ、貴方の感情を食べさせて頂戴。


魔女はにこりと微笑んだ。

少女は不安そうにしてた顔をわずかに綻ばせ、小さく頷いた。


それから、少女は2週間から3週間に一度程度の割合で、魔女のいるその店を訪れるようになったのだった。


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私が彼と初めて会ったのは、彼のお屋敷の小さな庭園でした。

どういう集まりだったのかは覚えていません。お気に入りのドレスを着ていて、手を繋いでいた妹の頬が桃色に染まって可愛かった。両親同士が古くからの友人だったそうで、お互いの子供たちもそんな関係になればいい、と考えてのことだったそうなので、お互いの家族だけの集まりだったのかも知れません。その日に私たちが知っていたのは、両親たちがいつも笑顔で話しているお友達のところへいくことと、そこに私たちと年回りの近い兄弟がいることだけでした。「お友達になれるといいわね」とだけ言われていたので、それが余計に私たちの心を浮き立たせていたんだと思います。少しの緊張と、大きな期待に満ちて、何かが始まるような気がいたしました。

彼は妹みたいにほっぺたを染めて、私たちを迎えてくれました。キラキラした目をして、ああ、この子も私たちに会うのを楽しみにしてくれていたんだなって、その時思ったのを覚えています。小さな手を差し出してくれて、彼と、彼の弟と、私たち姉妹で庭園を走り回りました。彼は私たちの中で一番年長だったので、私たちの面倒をよく見てくれました。


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懐かしそうに目元を細め、少女は紅茶に口をつけた。

前回は緊張していたのだろう。ほぼ紅茶に口をつけることもなかったが、今回は落ち着いた雰囲気で思い出話を語る。恋心を食うために、魔女が少女へ依頼したのは『婚約者との思い出を語る』ことだった。その思い出に付随した感情を少しずつ食べることで、さまざまな感情が複雑に入り組む「恋心」なるものを少女の中から消し去るのだ。

少女は冷静に思い出話を語る。それは淡く優しい思い出だった。現状とはかけ離れた、過去の幸せだった記憶。口元に淡い微笑みを載せて、少女はそれを語り切った。


少女が去ったのち、机の上には小さな花が残されていた。

薄い花弁が幾重にも重なった、精緻な花。

魔女はその花をつまむと、わずかの間、両の手のひらに包み込んだ。少女がこれまで育てた感情の欠片に敬意を表すかのように。そしてそれを口に含む。

それはほのかに甘く、清涼な味がした。


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幼い頃は、頻繁に行き来することはありませんでした。

お互いの両親も忙しかったですし、領地同士の距離の問題もあります。社交シーズンでも基本の社交は大人だけが行うもの。子供たちが頻繁に会うことなどありません。

だから、私たちは文通を始めました。手習を始めて幾許かがたった頃でした。ただ学ぶ事に飽きてきていた頃で、私はその文通に心を弾ませました。

まだまだ拙い手跡でしたが、そんなこと気にならなかった。本当に小さなこと…妹と見つけた庭の小さな花のことや、ばあやの昔話が面白かったこと、そちらは何をしているのか、出会った時は青々としていた庭園はきっと綺麗に色づいているんでしょうとか、そんな、本当にたわいのないことを書き連ねました。

本当に彼のところに届けられているのか不安で、郵便配達人の集荷に合わせて裏口を確認しに行ったりして、メイドに微笑まれてしまったりしました。

お返事が来るかしら、どんなことが書いてあるのかしら、なんて妹とベッドの中で話し合ったりして、本当にお返事が届いた時には喜び過ぎて、母に叱られました。つい、少し飛び跳ねてしまったのです。今となっては恥ずかしい記憶ですね。

…お返事には色々なことが書かれていました。ゆくゆくは猟に参加できるよう、猟犬の世話の仕方や扱い方を覚え始めたこと。最近読んだ面白い本の話。お勉強は言語よりも数学の方がお好きなことや、鶉がお好きなこと。逆に、豆のスープはどうしても苦手であること。『苦手な食べ物があるなんて、格好悪いだろうか?』なんて書かれていて、その素直さが嬉しかった。だから、次のお手紙に私にも苦手な食べ物はありますよ、と書きました。彼のお手紙は彼の心の形を私たちに教えてくれるみたいでした。柔らかくて、温かな…。だから私も、精一杯の心を込めてお手紙を書きました。本当に、楽しくて…幸せな時期でした…。

あちらの弟君と私の妹は途中で飽きてしまったようで、当初はお互いの家族の皆様へ、とだしていた手紙は、そのうち、私と彼の間のやりとりへと変化していきました。


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少女は真摯だった。

昔話をする間、本当にその時のことしか考えていないのだろう。

彼女の残す感情のかけらは、彼女の語る思い出を示す味しかしない。

婚約者への感情、それも恋心を失おうという少女であれば、昔話を語るうちに、現在少女が置かれている状況や、婚約者からの仕打ちを思い出して、憎しみの感情に染まってもおかしくない。実際に魔女がこれまで食べてきた感情のかけらはそういったものの方が多かった。純粋な感情を凝るのは難しいのだ。

混じり気のない憧憬と親愛。

彼女が立ち去った後、テーブルに残された淡いオレンジ色の封蝋は林檎のような瑞々しさの感じられる味がした。



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婚約したのは私が12歳の時でした。

魔女様はアカデミーというものをご存知ですか?

王都にある学舎です。貴族の子女が規定以上の年齢になると所属する事になります。事情があって入学しない方もいらっしゃいますけれど。所属する期間は人によって差異がありますけれど、男性は並べて女性に比べて長い期間を過ごすものです。

彼は15歳で入学する事になりましたので、その前に婚約を、という事でした。

それまでの何度か会っていましたし、文通もしていましたが、改めて『貴方たちは将来夫婦になるのですよ』という顔合わせになるのだと思うと、緊張いたしました。朝からソワソワして、今までにないほど真剣に自分を飾り立てて、それでも不安で、妹に何度も褒めて励ましてもらいました。期待と喜びと恐怖と、よくわからない気持ちで、世の中の女の子たちはみんなこんな気持ちを経験するのかしら、なんて益体もないことを思いました。

我が家にいらした彼は、とても素敵でした。正装に身を包んで、背筋を伸ばして、今まで見たことのないような真面目な顔をして。…私をエスコートしてくださいました。

差し出された手に手を重ねた時、彼の手が少し震えていることに気づいて、彼の方を見ると、いつもの子供っぽい表情を見せてくれました。それで、ああ、緊張していたのは私だけではないのだわ、と思って…なんでしょう、ストンと緊張が落ち着いてしまって、私は彼に微笑むことができました。ああ、私は将来、この方の妻になるんだ、とその時に思いました。あの日を思い出すと、私はまだ幸せな気持ちになってしまうのです。

それが、いけないのでしょうか。次の瞬間には絶望するのに。



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数回の来店ののち、忙しかったのだろう、次に少女が来るまでに少し時間があいた。

魔女が最近の調子はどうか、と尋ねると、少女は微笑んだのち、「アカデミーで彼を見かけても、以前ほど心がざわつかなくなったような気がいたします」と言った。

恋心とは本当に難しい。少女の、婚約者に付随する感情を幾許か食べてきたが、まだ「気がする」程度なのだ。魔女としては、食糧に困らないので有難いが、長引くことは少女にとって良いことではないだろう。ヒトの命は短く、ヒトの考えはすぐに変わる。

少女の両親や婚約者の両親がいつまでも同じ気持ちでいるとは限らぬし、結婚のことを考えれば婚約解消をするタイムリミットとてあるだろう。

少女が立ち去った後、テーブルに残された羽根飾りを口に含むと、綿菓子のように儚く魔女の口の中で溶けた。キャンディのような甘さの中に、わずかに感じた苦味。

ああ、これは絶望の味だ。魔女はそう思った。


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私がアカデミーへ入学するまでの間、私たちは文通を続けました。

以前とは異なり、彼からの返信は途絶えがちになりました。返信もないのに、何度も重ねて送るのは非礼だろうと思うと、こちらも中々手紙を送ることもできず、彼の手紙には日々の勉強の忙しさや、新しい友人のことなどが書かれていて、充実した日々を過ごす彼に時間がとれないことは仕方がないことだ、と思うようになりました。いえ、本当はそんなに聞き分けよくありませんでした。思おうとしていた、が正しいですね。

彼が新しく出会ったもの。それは人や、勉学や、価値観、…それこそ多岐にわたる、私にはわからないもの。それらに対して、羨望とも、憎しみとも思えるような感情を感じました。

きっと、その頃から、あの人が私から離れていこうとしていることに気づいていたのでしょう。でも、見ないふりをしてしまった。新しい世界に、きっと初めて会った時にようなキラキラした瞳で向き合っているだろう彼を思うと、邪魔なんてしてはいけないような気がしました。邪魔をして、嫌われるのが怖かったのかも知れません。

彼の誕生日に贈りものをするのが、唯一、私に与えられた権利な気がしていました。その時ばかりは、あの人のことを心ゆくまで考えて、彼の手紙を読み返して、何を送れば喜んでくれるだろうか、今興味があることや、必要としているものはなんだろうとかとあれこれ考えて、ーーー…妹に苦笑されるくらいに。そうして送っても、次の手紙におざなりなお礼が書かれているくらいで、本当に喜んでくださったのかもわからなかったのに。私がアカデミーへ入学してから、あの人が私が贈ったものを使っているところを見ることは、ついぞありませんでした。

ああ、私。

私、あの頃に何か新しいことをしていればよかった。

あの人のことを考えるばかりではなくて…もっと、私のことを考えればよかった。


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少女の表情は、以前に比べて格段に明るくなっているようだ。

穏やかになった、というべきだろうか。微笑みに影が落ちることが少なくなってきた。

他の魔女がどうだかは知らないが、この店の魔女はヒトの表情に割と敏感だ。

その表情の奥に、魔女の味わう感情があるためだろう。

少女が去ったのちにテーブルに残されたカフスボタンは、献身と後悔の味がした。


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私がアカデミーに入学した時、あの人が私を食事へ誘ってくださいました。

とはいえ、アカデミーの食堂ですが。私は、彼から誘われた、ということに有頂天になってしまって、入学してすぐに仲良くなったクラスメイトに揶揄われてしまいました。

恥ずかしい、より幸せな気持ちの方が強かったような気がいたします。彼に指定された場所へ向かうと、彼はおらず、私は食堂の椅子に腰掛けて待ちました。

半刻ほどで彼は現れて、食事を運んでくると、徐に口を開きました。

その時のことを、正直あまり覚えていません。ただ、お互い忙しいだろうから、無理に会おうとする必要はない、近くにいるのだから、手紙も不要。君は勉学に励みなさい。そんなことを言われたことは覚えています。

いうだけいって、食べるだけ食べて、彼はいってしまったようでした。私はどこか呆然としていて、浮き足立っていた気持ちが投げ捨てられたような気分でした。あまりに私が帰ってこないので、寮の談話室で待っていてくれたはずのクラスメイトが迎えに来てくれるまで、私は食事に手をつけることもできず、ただそこに座っておりました。

クラスメイトは、私を立たせて、半ば抱き締めるような形で私の背中を撫でながら寮まで連れて行ってくれました。彼女の温かな手のひらの温度だけが鮮明で、後はなんだか夢の中のようといえばいいのか…現実味がありませんでした。

それから暫くは、あの人に言われた通りに過ごしました。彼と会うこともなく、手紙も出さず、ただ淡々と授業を受け、勉強に励む。ただ、唯一、彼に言われなかったこと…友人との交流は私の生活の唯一の彩りでした。彼女たちの明るいお喋り…流行りの本やファッション、新しい甘味の話は楽しくて、私は意識せずとも毎日笑っていられました。彼と会えずとも、話せずとも、私は確かにあの日々を楽しく過ごしていられました。

あの日、その話を聞くまでは。

魔女様。私、だんだんと彼への恋心が減っているのを感じております。もはや、彼を見ても悲しみも切なさも感じなくなってまいりました。少し前までは、その事実を悲しい、と思っていましたのに、今はそんな気持ちもありません。ここへ来て、初めて思い出話をした時、どうしても幼い頃のお話しかできなかった。でも今は、あの時は話せる日が来るとも思えなかった話ができるようになりました。魔女様のお陰ですね…。

きっと今日、この話を聞いて頂いたのちは、私はあの人との婚約を無かったことにできます。なにを思い悩むこともなく。何を悲しむこともなく。本当は、それこそが悲しいことなのかも知れません。切ないことなのかも。私は、私の感情を捨ててしまった。それこそがいけないことなのかもしれません。でも、お話を聞いていただいて、感情を食べていただいて、私は後悔しておりません。私の恋心を、食べてくださって、本当にありがとうございます。

…ある日、クラスメイトが青い顔をして教室に入ってきました。私の方を見て、彼女の方が泣きそうな顔をして、落ち着いてほしい、でも黙ってはいられない。と、そのことを教えてくれました。あの人…私の婚約者に、アカデミー内に恋人がいるということを。

その人は、あの人と同じクラスの少女でした。私より3つ年上の、美しい人。学業はそれほど得意でないらしく、婚約者に勉強を教えてもらっているうちに恋心が芽生えていったのだということ。それは、アカデミー内では有名な話で、彼に婚約者がいることの方が知られていないこと。私と会わず、手紙も書かず、彼は彼女との逢瀬を重ねていたのです。

最初、私は信じられませんでした。でもそれを教えてくれたクラスメイトの顔色はそれが嘘や冗談ではないことを指し示していましたし、他のクラスメイトたちの中にも、その逢瀬を目撃した人たちがいて、…それが事実であることを私は理解しました。入学して早々、彼と食事をした後のように、私は呆然としてしまって、何も考えられず…ただ、溢れる涙をどうすることもできませんでした。クラスメイトが私を覆うように抱きしめてくれて、泣き顔を他の方達に見えないようにしてくれました。他のクラスメイトたちも、扉を閉めて、他の生徒から私の悲しみを隠してくれました。でもその時の私はそんな彼らの気遣いにも気づかず、ただ彼女の腕の中で泣き続けました。

泣いて泣いて、泣き止んだ私に、クラスメイトの皆さんが口々に私の力になれる事があれば言ってほしい、と言ってくださいました。悲しくてどうしようもない時だったけれど、皆さんのその気持ちは嬉しかったーーー…。

それから、私はあの人に会いに行きました。どうにか時間を作っていただいて、噂のことを話し、私の気持ちをつたえて、このままではいけません、とお伝えしました。けれど、彼は聞き入れてくれませんでした。ついには、私の顔をみるだけで顔をしかめて、背を向けるありさま…。そこまできて、私の手にはあまる、と判断するにいたりました。そして、私は両親にそのことを報告しました。彼がアカデミーに入ってからの文通のこと、入学してすぐの食事会のこと。そしてアカデミーの噂と、クラスメイトの目撃証言。両親からすぐにあちらのご両親へお話が行き、お互いに事実確認を行ったそうです。そして、私からの手紙の内容が事実であることが確認されました。

後は、初めてここへきた時にお話しした通りです。両親たちは私たちの婚約解消を提案してくれました。無理矢理に婚約解消させるのではなく、私の意志に委ねて、私の意志が固まるのを全員が待ってくれました。あちらのご両親からは、慰謝料のお話もいただいているんです。申し訳なかった、あなたの幸せを願っていたのに、不幸にしてしまった。何を差し出したところで、あなたの気持ちが癒えるわけではないけれど、とそう言って。

私はーーー…私は、あの人には愛されなかったけれど、こんなにもたくさんの人に愛されている。そんな私を、私が愛して、幸せを考えてあげられないのは、いけないことだと思えるようになりました。私は、私を愛したいと思います。私は、私の幸せのために、あの人との婚約解消を受け入れます。

魔女様、長らくお時間を割いていただき、本当にありがとうございました。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


少女がそう言って頭を下げると、テーブルの上にこつりと小さな音がして、おもちゃのような指輪が現れた。魔女の細い指先をそれをつまみ上げる。魔女はいつものようにそれを両手で覆い、まるで何かを祈るかのように睫毛を伏せた。

そして次の瞬間、少女の目の前でそれを口に含んだ。それは、苦くて酸っぱい味がした。けれどその奥に感じる、濃い甘露。さまざまな感情の奥底に息づく、それは純粋な恋の味だった。


「魔女様。私、今のお話をして、感情をあなたに食べていただいた時、あの時感じたクラスメイトの温かさや、両親たちの優しさを忘れてしまうのではないかと、それが少し怖かったのです。でも、そんなことありませんのね」


少女がにこやかに微笑んでそういう。

今まで見た中で一番華やかな明るい笑顔だった。


「私はそんなミスをしないわ。恋心と指定されたからには、恋心にかかわる感情しか食べません」


魔女も少女に微笑む。


「あなたの恋心、大変美味しくいただきました。極上の甘露だったわ。貴方が育てた恋心は、貴方の身に起こってしまった事象とは関わりなく、純粋で、真摯で、極上のものでした。この恋心を育んだことを、あなたは誇っていい」


魔女のその言葉に、少女は微笑みながら、一粒の涙を流した。

それは己の恋心へ、永遠の別れを告げるものだった。涙を拭いて、少女は立ち上がる。

魔女に笑顔で別れを告げて、少女は扉を出ていった。魔女の舌にはまだ、甘い余韻が残っていた。


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― 新着の感想 ―
切ない(´;ω;`)
すごく綺麗なお話でした(´;ω;`)♡ ぜひ、彼視点や続編をお願いします(*^^*)
面白かったです!!続編があれば是非読ませていただきたいです^_^
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