崖に咲くはな
優しい瞳をしたその花は私の手から零れ落ちて雨に打ち付けられていた。流れ落ちた花びらは水に飲まれて小さく弾かれて、私をただじっと見ている。それは私の片割れだった。だから私は今、半分しかない。
五月雨の不幸にあった片翼の蝶は一人で森の草陰で休んでいた。それはゴールデンウィークが終わった日の翌朝だった。私は先客である蝶から遠い席を選んで座り、頬杖をついて公園の小さな東屋から街の信号機をみていた。交差点にはまばらに人が行き交っている。
半分しかない。それは私にとっては明白だった。そしてそれは淋しくて、静かで、いつも雨を被っているように冷たい。私はパンの袋を破ると中から潰れたクリームパンを取り出した。赤い半額シールは私の視力でもよく見える。私には半分の価値になることってよくわからない。でも半分であるのには理由がある。このパンだって少し前まではもっと完全だったけれど今はこうして潰れてしまって、味も少し落ちている。このパンの半分は簡単に落っこちてしまった。
静かに熱を帯びた私の手が雑にシールを剥がす。こんなのビリビリに破いたらいい。ビリビリに破って、それから踏みつけて、脅かされた半分を取り戻す。そうやって私もあなたも悪い夢から逃れたらいい。
私はこの晴天の中、まだ悪夢に魘されている。心地よい風の中先客の蝶はそこに横たわって眠った。私は立ち上がって鞄を手に取る。交差点には子どもたちが列を成して、その頭上をまばゆい光の粒が降り注いでいる。私の握っている傘は陽光に輝きながら雫をこぼした。流されてしまった半分はまだこの世界のどこかで横たわっているのかもしれない。それはどこか遠いところで、とても美しい場所だ。私はその場所を心の何処かに覚えている。だから私はこの世界を愛すことができる。きっと今はそれでいい。私は学校に行く途中、青い羽がちぎれているのをもう気にしなかった。
引越し前のことだ。まだ肌寒い頃で、私は一人暮らしのために荷造りをしていた。何を持っていくべきかわからずに六年ほど前の旅行の写真に誕生日プレゼントにもらった小さなポーチなんかを手に取っては取り敢えず箱に詰めていた。その度どこか感傷的に鬱々としてくるので気が滅入ってしまう。一時間ほど作業をして、私は結局物置行きの段ボールにすべて閉じ込めてしまった。
引き出しの中には初めて百点満点をとった時のテスト用紙と何枚かの原稿用紙、それから何枚もの手紙の束がある。私は引き出しの中をしばらくぼうっと眺めた。何十枚もの手紙の束。私はちゃんと返事を返していただろうか。懐かしい名前が並んでいる。小学校の同級生。みんな顔もしっかり覚えている。私は気づけば手紙に書き添えられた友達の名前を手でなぞっていた。こんなことをしていては部屋は一向に片付かないのだけれど。こうして手紙を撫でているとどこか遠いところからあの頃の声が聞こえる気がした。それはもう、いつの間にかとても遠くなってしまっていた。
それから数週間がたった頃、私は引越し先で母とともにランチをした。二人前のスパゲッティを囲みながら談笑する私たちはもう友だち同士みたいな感じだ。最近の趣味は何だとか、たまに恋バナなんかもする。私はピリ辛スパゲッティを頬張りながらこれからの学校生活の話しをできるだけ華やかに話してみせた。
誰も私が半分だとは思わない。誰か半分しかない他人がいるなど考えない。だから分からない。私は鏡の前に立って自分の背中を見ていた。最近になってから恐ろしいほどの欠乏感が常に付き纏うようになった。私は私の大切なものをどこかに忘れ去ってしまっていて、でもそれは蝶の羽とか賞味期限とかではない何かなのだ。そういうとき私はどうしていいかわからないまま突っ立っていることしかできない。私のこの気持ちは誰かにわかってもらえるのだろうか。あの片翼の蝶ならわかってくれるだろうか。半額パンはどうだろう。私から欠落した半分はこの世界のどこかにあるのだろうか。
食事が済むと私は母と別れた。私はそのまま電車に乗って帰路につく。満腹感とは裏腹に私の中にはただ「美味しかった」という言葉がぽつんと一つ置かれたような感じがした。なぜか、わからない。でも今はそんなことはどうでもいいような気がした。その日私は雨に打たれる夢を見た。
目覚めてもまだ雨が降っていた。梅雨入りしたから仕方がない。私は身支度を始める。今日は学校が休みだからご飯を作って、それから本を返しにいく。私は朝ご飯に割引シールの貼ったおにぎりを食べた。
それから私は服に着替えて軽くメイクをした。図書館は電車を乗り換えて20分ほどのところだ。雨傘を畳んで駅のホーム階段を降りる。雨で濡れた床は少し不愉快だった。駅の改札を抜けて電車に乗る。灰色な景色は遠くまで続いていた。
本が永遠と並んだ巨大図書館には子供も老人もいて、若い女の子はそれほどいないがそれでも私は図書館が自分の居場所として適切な気がして気に入っている。ここは数少ない私を受容してくれる空間なのだ。もともとそんなに本は好きではない。けれども本を読んでいれば誰も私の世界を壊してしまうことはない。私は時々、自分の世界が危うくなるのを感じて私の世界が崩壊する前にここで療養を行うのである。
二冊目に手に取った本は知的に遅れがある子供が主人公の本だった。本には拙い文字が並んでいて、私はその本に嫌悪感を感じた。読んでいて疲れそうだ。私は本を閉じるとまた違う本棚ヘと移り本を取りった。いつもそうやって好みの本を次々重ねていく。不幸なことに今日は読みたい気持ちを掻き立てるような特別な本には出会えなかった。その代わり私を不快にさせた例の本をもう少し読む気になったのでしばらくはその本を読んでいた。
結局、私は二冊目に手に取った本を借り、読みながら電車に乗った。物書きを生業としてるような人間が科学的に分析して頭の悪い子供の文調を再現する試み。漢字をあえてひらがなにしたり、間違った言葉遣いをしたり。細かい表現にまで拘った一風変わった本だった。こういう本を称賛する人間はきっと本が好きなのだろうと思う。やっぱり私は本が嫌いだ。作りものなんていうのは不快だ。私は思い出したかのようにやってきた空腹に耐えながら電車に揺られていた。
降りる頃にはちょうど半分を読み終えたところだった。途中、私は何度かページを捲るのを躊躇った。同じ言葉が繰り返されて、それはまるで私をじっと見つめてくるような文章だった。そこには揺るぎない彼女の世界があるのが分かる。不思議で、少し怖くもある思いの世界。彼女の世界に何があるのか、私は知らない。けれど私は彼女のために何か話さなければならないことがあるのだと思う。唐突にそんな事を思ったのはこの世界の向こう側で彼女が今、私を見つめながらそんな風に訴えかけた気がしたからだ。真偽を問う必要もない。今この瞬間を異質な世界の狭間に隣り合って生きている私たちは少しでも誰かと分かり合い、誰かを知りたいと思い言葉を探しにいくだけだ。だから誰かの言葉を今こうして読んでいるのだ。車内アナウンスが鎮まってドアが閉まる直前、私は慌てて電車を降りる。それから近くのコンビニでツナマヨおにぎりを買って急いで家に帰った。
私は部屋に帰ってからすぐにまた続きを読んだ。私はその時まるで取り憑かれたように本を読んだ。本当に取り憑かれていたのかもしれない。その不思議でよくわからない言葉は私に確かなことを語って聞かせた。すっかり私の世界に入り込んで行った彼女は私を知っていくために次々ページを捲っていった。
私は文字を追いながら心臓が高鳴るのを感じた。私は部屋からカバンを持ち上げるとマンションの階段を駆け下りた。次の新幹線に乗ったら家には日が暮れる前に着く。私はまた何かに引き寄せられるようにして真っすぐもと来た道を歩いていた。
今になって思えばこの本の文章は私が小学校2年生のときに書いた日記の文章にそっくりだった。引っ越し前に掃除をしていて偶然見つけた一冊のノート。そこに書かれたある春の日の記録。私がつい先月捨ててしまったそれは私にとって何だったのだろうか。私は頭が悪くて文章なんか全く書けなかった。だから私は部屋でひとり日記みたいなものををよく書いていた。私はあの頃私だけのどこか素敵な場所に住んていたような気がする。
私は大人になるにつれて大切なもの以外がすごく増えた。それは私が嫌いな本をそれでも何冊も読んだからだろうか。それとも大人になるってそういうことなのか。あの頃は人が私を半分だって言ってもそれで良かった。今はどうしてあの頃よりもこの美しい世界を言葉にすることが出来ないのだろう。私は新幹線の中で夕焼けに照らされた高層ビルがいつの間にか小さな家の瓦屋根を映すのをただ眺めていた。
母には言えなかった。私は庭の物置小屋の扉をそっと開け、中から昔の小学校時代のいくつかのノートをひろげた。そこには私が遠い昔に置いてきたはずの小さな私が変わらずそこに座っていた。そのページにはたんぽぽの花の絵があった。昔私が見たその花があの日のまま咲いている。ここにある美しい世界は私を優しい語りで招き入れてくれたのだった。私は崖に咲く小さな花を見た。私はもうそこにはいない。けれども彼女はいつもそこにいるのだ。彼女は私をじっと見ている。それからキラキラのついた鉛筆を握って、優しい光の中で私に花をくれるのだ。