6
カタリーナ先生が去った教室は騒然となった。
エルンスト殿下とブロアーは連れていかれ、ベティナたちは茫然としていた。事態の推移に右往左往するうちに、その日の時間は過ぎていった。
放課後になると、私はアティを談話室に呼び出した。アティを呼び出すのは初めてだったが、それにもかかわらず2人きりのその場にあっさりとついて来てくれた。
「アティさん。ありがとう。おかげで私の無実が証明されたわ。でも、本当に大丈夫なの?」
「えへへ。ちょっと調子に乗りすぎたかな。でも、うまくやれました」
私が深々とお辞儀すると、アティは照れたように頭を掻いた。私は心配そうな顔をしながら、気になって問いかけてしまう。
「平民の貴女が、高位貴族のボーフォール侯爵令嬢相手にあんなことを言うなんて。カタリーナ先生が来てくれなかったらなかったことにされたかもしれないのに」
「大丈夫です! あの時間にカタリーナ先生が来るのは読めていましたから。来てくれたら私のことを援護してくれるのは分かりましたし。まあ、あとでいろいろ実験に協力させられるのは、仕方のないことですけど」
あっけらかんと言うアティに私は微妙な顔になってしまう。彼女は彼女なりの想定があってしたことのようだけど、その行動に動揺してしまった。
「なんで私を助けてくれたの? 高位貴族に逆らうような真似までして。その、私はフィロメアやブレヒトのように、あなたを助けてたわけじゃないのに」
「でも、ベアトリクス様は決して私を馬鹿にしたりしなかったじゃないですか。積極的に助けてくれなくても、フィロメア様をフォローすることで間接的に助けてくれたりしましたし。だから、ベアトリクス様が貶められそうになったのを見て、反射的にやっちゃったんですよね」
簡単に言うアティに、私は絶句してしまう。頭のいい彼女のことだ。平民が高位貴族に逆らうリスクもわかるはずだ。たとえカタリーナ先生の支援があるとはいえ、危険なことは変わらない。それなのに、私の冤罪を晴らすために動いてくれたのだ。
「でも、そのためにあなたが」
「それに、同じ転生者の仲間が困っているなら助けるのは当たり前じゃないですか。同郷の人なんて、この先会えるかわからないですし」
何気なく言ったアティの言葉に目を見開いた。彼女はしてやったりの表情で、いたずらっぽく笑ってみせた。
「『夕日に向かって叫ぶ』のが当たり前なのは、日本の文化ですよ。それに、『木を見て森を見ず』っていうのも日本のことわざですし。ベアトリクス様が開発したっていう化粧品も、日本の商品をヒントに作ったものですよね?」
アティは上目づかいで笑いかけた。
「え、えっと・・・。その」
「あ、責めるつもりは全然ないんです。前世であった便利なものを再現しようって言うのは当然のことですし、私も、魔道具の開発なんかで前世の記憶を参考にしたりしているし。ベアトリクス様は商品を開発して終わりじゃなくて、そのアフターフォローもしています。この時代、この国では商品が合わない人までフォローすることは少ない。だから、それにこだわっているベアトリス様は本当にすごいと思うんです」
日本の知識を利用するのにちょっと後ろめたさを感じていたが、アティの言葉に少しだけ慰められた。手放しでほめて呉れるアティを振り払うかのように私は慌てて言い訳した。
「私は今では何にもできていないし。化粧品だって、たまたまうまくいっただけよ。前世の記憶があるだけで私には大したことはない。本当に頭のいい人にはかなわないんだから」
「でも、ベアトリクス様の化粧品に救われた人も多いんじゃないかなぁ。この国ではまだまだ女性の地位は低くて、美しさがその人の価値を決めたりもします。いろんな人をきれいにする化粧品は、たくさんの女性に自信をつけることになったと思いますよ」
優しく微笑むアティに、思わず目をそらしてしまう。
「あの桟橋で出会ってから、失礼ながらベアトリクス様のことを調べました。カトリーナ先生やフィロメア様たちにも話を聞いて確信したんです。ベアトリクス様も、私と同じ転生者だって。そして、いい人ということもわかった。普通の人なら富を築くことしかしないと思うのに、化粧品が合わなかった人のためにちゃんとしているんだから」
私は固まってしまった。掛け値なしに褒められたのは本当に久しぶりのことだった。それも、私の成果だけじゃなく、取り組んだ方針を褒められるとは。
「私はベアトリクス様を尊敬しています。あなたが新しい商品を開発したからだけじゃない。万が一、自分の商品が合わない人がいた時のために尽くすその姿に。たとえ今、新しい商品が開発できなくても、ベアトリクス様ならまた温かい商品を開発できるって、信じられるから。私とおんなじ意思を持つ人だって、わかりますから」
彼女の言葉に癒されるような思いがした。
そうだ。私はほめられたかったのだ。前世の記憶から新商品を開発したことじゃない。転生した私が頑張って、努力して成果につなげたことを、人のために商品を開発したことをほめられたかったのだ。
「え、えっと・・・。その・・・。でもあなたは? 魔道具作り以外でも前世の知識を利用してるんじゃない? 殿下じゃなくてブロアーやブラムが推しキャラだったの? 今回のお礼に力を貸したいけど」
「えっと・・・・。あはは。私はもう嫌われちゃったみたいで。でも、もういいんです。目的は達しましたし。あれなら、もうあんまり不幸なことにはならないし」
そう言われて、はっとしてしまう。
そうだった。アティが攻略しようとしたブロアーとブラムには共通点があったのだ。2人とも、放っておけば他人の将来や人命にかかわる事故を起こしてしまうことだったのを。
騎士団長の息子であるブロアーは、放っておけば同学年の生徒を傷つけてしまうはずだった。傲慢な彼は、訓練中の事故で同級生に大けがを負わせてしまい、それがトラウマになって信頼関係を築けなくなるといったストーリーだったはず。魔術団長の息子のブラムは婚約者と些細なことで不仲になり、それが原因で婚約者を死に追いやってしまっていた。
「へへへ。一応私も、『コール・リリィ』のゲームはやりこんでいましたから。私がうまく立ち回れば彼らに不幸が来るのを防げるかもって思ったんです。まあ、そのせいで彼らに嫌われちゃうってことになりましたけどね。でも、彼らに不幸が訪れるよりはいいかなと」
恥ずかしそうに笑う彼女を見て、私は実感してしまう。彼女の優しさを。彼女は自分への好感度を稼ぐよりも、たとえ嫌われても彼らに不幸が訪れることを防いだのだ。
「ああ。そうか。そう言うことか」
私は納得してしまった。彼女がこの世界の『ヒロイン』としてこの場にいる理由というものを。
彼女は優しいのだ。自分が嫌われても、それでも他人のために行動できるほどの。平民出身でも、演技が全然できなくても、たとえ嫌われてもその人に必要な行動をすることができる。リスクを背負ってもそれができる資質こそが、彼女がこの世界の『ヒロイン』に選ばれた理由ではないだろうか。
「アティさん。ありがとう。私、この世界に転生したけどどうしていいかわからなくて。とりあえず、前世の記憶を頼りに化粧品の開発をしたけど、それに続くものは失敗続きで」
「私も一緒ですよ。展望なんて全然なかったりします。前世みたいに便利な生活にあこがれて、それで魔道具作りに取り組もうと思ったんです。前世の知識があればいろいろできると思って。その過程で、人を助けることもできるんじゃないかと」
アティと目が合うと、お互いにクスリと笑ってしまった。
「私たち、思いは同じなのかもね」
「そうですね。倫理観とかも結構似ているかも。私も気づかないこともあると思うし。でもベアトリクス様が一緒なら、それも思い出せるかも? 三人いれば文殊の知恵って言いますし」
殿下やベティナたちとの対立が決定的にあったのに、私の心は晴れやかだった。私とアティなら、よりよい未来を選び取ることができる。そう確信することができたのだった。