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あっという間に次の日の放課後になった。
今日もエルンスト殿下から嫌みのようなことを言われ、ヒロインや攻略対象者とも話す機会がなかった。まあヒロインも、攻略対象者とはうまくいっていないようだ。あの騎士団長の息子のブロアーなんか、結構あからさまに彼女を邪険にしているみたいだし。
「はあ。エルンスト殿下と仲良くならないまでも、こっちは敵じゃないと伝えたいんだけどね。なんだか知らないけれど、すでに嫌われているようだし」
私はため息交じりにつぶやいた。やっと一人になれそうで、独り言を言ってしまった。
私は一人学園のわき道を進んだ。今は通る人の少ないこの道の向こうには、湖がある。学園で見つけた、一人きりで過ごせる場所だった。
「ここでいいわ。皆さん、迷惑をかけるようでごめんなさいね」
「いえ。ベアトリクス様も十分にお気を付けください」
心配してくれる護衛に笑顔を返すと、そのまま道なりに進んだ。公爵令嬢という立場ではなかなか一人きりになることはできない。少しだけ一人になりたくなったときは、人気のないこの場所に来ることにしているのだ。
「――! ――――!」
誰も通らないはずの道の先から声が聞こえてきた。護衛がさっと私に駆け寄ろうとするが、そっと手をかざして止めた。私はごくりと喉を鳴らすと、声がした方向へと歩み出した。
道の先にあったのはボートの船着き場だ。その先に立った誰かが湖に向かって、誰かが叫んでいた。
「ばかやろーーー!!」
聞こえてきたのはそんな言葉だった。
「貴族ってどれほどのものだってんだ! いやこの世界で貴族が偉いのは分かるけど! 平民が絶対に逆らえないのは分かるけど! でも感謝しろとは言わないけど、こっちはあんたらのためにやってるんだ! それを、犬でも追い払うようにしてくれて!」
叫んでいるのは、アティ? ゲームのヒロインのはずの彼女が、こんなところで愚痴を言っているとでも言うの?
「あたしだってこんな学園、来たくなかった! 友達もいないし、仲良くなれそうな人だって誰もいない! 親切にしてくれるのはフィロメナ様とブレヒト様くらいでみんな私をいない人みたいに扱ってくれて! コンタクトを取れても、話なんて全然合わないし! カタリーナ先生がいるから仕方なく学園に入ったのに!」
愚痴を聞いて、なんとなく彼女の立場を察した。
そりゃそうか。ゲームによると、彼女は三代にわたる平民の生まれで、小さいころは友人と野山を駆けまわって過ごしていたらしい。それが光の資質が高いからと言ってこんな学園に放り込まれたのでは、確かにうっぷんがたまるというものだ。
平民が簡単には貴族になれないように、貴族だと認められた人間が簡単に平民に戻ることはできない。彼女を推薦したのはランシー男爵らしいが、後見をしているのはカタリーナ先生だ。カタリーナ先生はあれでも現国王陛下の妹だ。普段は研究等に籠って魔道具の研究をしていたらしいけど、殿下の入学に伴って私たちに担任に駆り出されたらしい。
王族で、魔道具作りの匠たるカタリーナ先生はまさにこの国の宝だ。彼女の顔に泥を塗るような真似は、さすがにヒロインと言えどもできないのかもしれない。
「まあ、愚痴を言いたいときはあるか」
つぶやいて、その場を離れるために後ずさりした。だけど運悪く、落ちていた木の枝を踏み抜いてしまう。音がして、反射的に振り返ると、驚いた顔をした彼女と目が合った。
しばし、静かな空気が流れた。私もヒロインの彼女も何も言えない。あまりの事態に、時が止まったかのように沈黙が流れた。
「あ、あの」
「そ、そうよね。私も夕日に向かって叫びたいときはあるし。うん。私は何も見ていない。だから、気にすることなんてないのよ」
私は慌てて言いつくろった。
身分的には彼女を無作法と責めることもできたが、こちらは元日本人の小市民。さすがに彼女を責めることもできず、言い訳じみた言葉を掛けることしかできなかった。
「えっと、その」
「さて。私は戻ることにするわ。この道がどこに続いているか気になってただけだし。もう用は済んだし。アティさんも気をつけて帰るのよ! 魔獣なんかは出ないと思うけど、ここは本道からかなり離れている場所なんだから」
そう言ってもと来た道を帰ろうとした時だった。
「私、いないほうがいいですかね」
ヒロインのアティがそんなことをつぶやいたのだ。
「え?」
「あ・・・。いえ! ななななんでもないんです! すすみません! ほとんど話したことがないのに」
アティは慌てたように首を振った。私は笑顔を固まらせて、アティをまじまじと見つめてしまった。
「す、すみません! いきなりぶしつけなこと言っちゃって! あの! 忘れてください!」
「誰かに、何か言われたの?」
取り繕うアティに私は真顔で問い直した。冗談めかしたように言うけど、つい本音を漏らしたように聞こえたのだ。あの時と違って言葉は棒読みじゃなかったから、おそらく彼女は嘘を言っていないと思う。
「だ、誰かに何か言われたわけでは」
「教室ではベティナたちがあなたをからかっているみたいだし、殿下やブロアーもあんまりいい対応をしていないように見えた。それがエスカレートして、ついには直接文句を言われたとか? 暴力とか振るわれてない?」
私は厳しい目で問い詰めた。私は基本的にアティのことを放置する方針だけど、いじめにまで発展しているなら何とかしなければならない。私自身も何かしなきゃいけないし、カタリーナ先生に相談するとか何かできるはずだ。
「い、いえ! すみません! 私が勝手にそう思っているだけかもしれません。貴族のみんなは、平民の私が同じ教室で学ぶのが疎ましいかなって」
慌ててアティは言いつくろった。
私はいぶかし気にアティを見た。本当に本人が思っているだけなのか、それとも、殿下たちが本当にアティを無視するようなことをしているのか・・・。
でも彼女、嘘をつくとすぐ態度に出るのよね。ということは、今言っていることも真実なのかもしれない。
「本当に、何にもされていないんです。ブロアー様はちょっと乱暴だし、殿下はたまに舌打ちするけど、それくらいで」
「でも、ベティナたちには何かされているのよね?」
アティは静かに下を向いた。彼女は殿下やベティナたちの心無い対応に胸を痛めているようだった。もしかしたら彼女は、クラス中から迫害されていると思っているのかも。
「ねえ、アティさん。フィロメナとはどんな感じ? 彼女と話しているのを見ているけど」
「いえ、フィロメナ様は、色々助けてくれたりします。あと、ブレヒト様も。カタリーナ先生も、一応は助けてくれたんですけど」
アティーの言葉にちょっとだけほっとした。彼女が完全に孤立していないことが分かったのだ。
「そう。でもそれなら、あなたの言うようにクラスのみんながあなたを疎んでいるわけではないじゃない?」
「えっと。そう言われるとそうなんですけど」
私はそういうけど、アティの顔色は変わらない。私がおためごかしを言っているような気分になっているのかもしれない。
そのまま会話を切り上げることもできた。でも、以前の私と同じような悩みを漏らした彼女をほおっておけなくて、少しだけ言葉を続けることにした。
「声の大きい人が断言しちゃうと、クラスの全員が思っていると勘違いしてしまうわよね。それが殿下や侯爵令嬢みたいに影響力がある人の口から出たのならなおさら。でも、彼らが何かを言ったとしても全員が同じ印象を持っているわけじゃないと思うわ」
私が言うと、アティは上目遣いになって私を見つめてきた。
「フィロメアやブレヒトがあなたを助けるのは彼女たちの意思だと思うし、うちのオーガストだってあなたのことを頭がいいとほめている。私だって、あなたのことを疎ましく思っているわけではない。カタリーナ先生の考えも、察することができるしね。私みたいに、あなたのことを理解している人はクラスにも多いはずよ」
私は言うが、アティはまだ半信半疑の顔を崩さない。
「大事なのは、アティさんが何をしたいのかだと思う。アティさんは将来に魔道具作りに携わりたいと言ってたけど、確かにそのためにはこの学園で学ぶのは最適だと思うわ。カタリーナ先生はこの国一の魔道具技師なのだから」
「それは! そうですよね! カタリーナ先生はすごいです。いろんなことを知っているし、指摘は勉強になることばっかりで。あの人の手伝いをできるのは、本当に勉強になります」
やっと笑顔になったアティに、私はほっとしたように微笑んだ。
「殿下やベティナたちのこと、気にするなって言うのは無理かもしれないけど、自分がクラス中が敵だなんて気負う必要はない。木を見て森を見ずというでしょう? 一部の人の行動で全体を勝手に予想しても真実とは違うと思うわ。ちょっとしたことをあげつらう人もいるけど、カタリーナ先生のように貴女を全面的にバックアップしてくれる人もいるんだから」
そう言うと、私は彼女に背を向けて歩き出した。偉そうなことを言うのはちょっと照れ臭いけど、彼女の気が少しでも晴れたのならと思う。
去っていく私に向かって、アティが頭を下げていた気配を感じながら、私は護衛たちが待つ馬車へと戻るのだった。