2-3-30.
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疾く、疾く。
風より疾くシルフィード号が駆ける。
「お前も、ディード様の異変を感じたのか」
そういえば王城の馬房でブラックに鞍を付けて貰っている時も、厩務員たちが落ち着かない様子のシルフィードを宥めるのに手を焼いていた。
あれは主たるディード様の姿が見えないことで不安になっているだけだと思っていたのだけれど、違っていたのかもしれない。
「絶対に、助けよう」
鬣へ顔を埋めるように姿勢をさらに前へと傾けて、空気抵抗を減らす。
飛ぶように速いシルフィード号に振り落とされないように精一杯しがみついた。
前方に集団が見えたのは、もう少しで目的地周辺であるウィル伯爵領へと入れるという辺りまできた時だった。
近くづけば、それがポールが同乗させて貰っているはずの、救護班の馬車隊だと分かった。
ディード様たちと同行しているはずの隊が、なぜこんな場所で立ち往生しているのか。
その意味が頭に浮かんで、頭に血が上った。
「シルフィード号、あの一団を、追い抜いてディード様のお傍へ向かうぞ」
魔法解除を何度も唱えたり、強力な土魔法がはじき返されたりしているのを鑑みれば、あの場所に救助を阻む何かがあるに間違いない。
正直なところ、魔法解除は得意ではない。
普段なら「無理」のひと言でお手上げにしている。
けれど、今だけはそういって逃げ出す訳には、いかないのだ。
「弾き返されそうとも、力づくでもなんでもいい。俺達は絶対に、ディード様をお救いにいくんだ!」
俺の言葉に、当たり前のことをわざわざ宣言するな、とばかりにシルフィード号がその速度を上げた。
道を塞ぐ馬車や間に蠢く人々をものともせずに、あっという間に抜き去る
その一歩一歩が大きくて、まるで空を飛んでいるようだ。
見る見るうちに先頭が見えてくる。
どうやらあそこに何かがあるようだ。
俺は、腰に佩いた剣を抜き意識を集中した。
本来ならばこんなことはしない。
けれど今の俺には、そこにある見えない何かを突き破るためには剣を握っている方が、イメージし易かった。
「魔法解除!」
まっすぐに、剣を前へと突きだした。
見えない何かを突き破った手応えが、剣を通じて返ってくる。
そうして俺とシルフィード号は、救護班を置き去りに一直線で駆け抜けた。
「ディード様! ディード様! どちらにいらっしゃいますかー?」
咽喉も裂けよとばかりに何度もその名を呼ぶ。声を張り上げ呼び掛けた。
しかしどこにも気配を感じられなかった。
かなり近くにいる筈なのだ。
そうでなければわざわざ救護班の行く手を阻止するために大掛かりな魔法障壁など用意する必要もない。
「くそっ。どこだ、どこにいらっしゃる」
人の気配どころか鳥や獣の気配すらしないことが、緊張を高める。
見落としが怖いので少し歩みをゆっくりにして貰うとシルフィード号の手綱を緩めようとしたところで、彼が細い街道から林の中へと入り込んだ。
「うわっ」
木の根が張ってボコボコの地面をものともせず、シルフィード号が林の中を進む。
そうして、そこに不自然な足跡を見つけた。
林の中で休憩を取った後に、再び国境への進路を取るのではなく、そこから明るい方へ足跡が進んでいる。しかし、その先にあるのは、たしか?
「国境へではなく、ここから崖下の、河岸へ降りたのか。行こう」
俺が指示を出すまでもなく、シルフィードは崖に向かった。
薄暗い林の中を進んでいた目が、陽の光を遮るもののない崖の上の明るさに眩みそうになる。
しかし、一瞬後に目に入った崖下の光景に、俺は再び腰へ戻していた剣を、反射的に投げつけた。
「うおぉぉぉおおぉ!!!!」
ディード様が何をされそうになっているのかなんて、まるで分からなかった。
けれど、どれだけ遠くからだって、ちいさくにしか見えなくったって、ディード様が苦しんでいるのくらいは、分かる。
俺が投げた剣が、ディード様を苦しめている男へと一直線に突き刺さり、男の身体が傾げた。
「ディード様!」
ディード様、ディード様。いますぐ助けに参ります。
シルフィード号が急斜面に怖気ずくことなく崖を駆け下りる。
そこにしがみついていることしかできない自分が悔しい。
ディード様の足元に光っている魔法陣は、隣の国で発展しているものだ。
少ない魔力で大きな威力を出せるという。
たぶんきっと、あれがディード様を不当にも拘束しているのだ。
もう少し。あと少しでお救いできる。
そう思った時だった。
ディード様の足元にしかなかった魔法陣が広がり、天翔けるようなシルフィード号の足を、取った。
しくじった。
そう思った時には、身体が宙に浮いていた。
投げ出されたまま、未練がましく伸ばした手が、ディード様のすぐ傍、その綺麗な顔の前で空を切る。
ようやく、ここまで来たのに。
ブラックの尽力と、シルフィード号のディード様への忠義まで尽くして。
それなのに、俺は、俺という男は、何もできずに終わってしまうのだ。
──無理、だったんだ。
偉大なるこの国の次代の王となると定められた王太子殿下の側近という栄誉を賜るなんて、俺には分不相応だったのに。
差し出された手を、取ってしまった。
『ブレト』
甘えるように名前を呼ばれ、全幅の信頼を寄せられる幸せを知ってしまったりしたから。
『ブレト』
ディード様、ディード様、ディード様。
駄目なものは駄目だと、嫌われようとも苦言を呈する勇気すら持てなくて。
理解ある大人の振りをした結果が、このザマだ。
万難を排すべき立場としては、ポールに何を言われても、ディード様本人から嫌がれたとしても、御身の安全だけを優先すべきだったというのに。
ディード様が笑ってくれているだけでいいのに。
笑顔を守りたいと、こんなにも天へ祈っているのに。
俺には、なにもできなかった。
なんの役にも立てなかった。
守りたいと願う唯ひとりのために、何もできない自分が、情けなくて、こんなにも悔しい。




