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リール侯爵の言葉が終わりもしない内にブレトはおもむろに立ち上がり、執務室の壁に飾ってあった地図を多少強引に剥がしてテーブルの上へと広げた。
リール侯爵領とウィル伯爵領の位置を目で確認する。
リール侯爵が突然届いた見知らぬ工事計画書に基づいて、その施工予定の位置を指で示した。
「我が領の西の端からリリア山を掠めるようにしてウィル伯爵領へと続く街道など。今の街道よりずっと不便で工事自体が難しい場所に、街道を通そうなどする訳がない。そもそもこの予定地は、ほとんどがリリア山の裾を廻り込むように広がるテス河を見下ろすような、高い崖の上です」
しかも地図には確かにもっと平野部にある現存する街道も描かれている。
どう見てもその方が直線的だし、馬車も進みやすいに違いない。
リール侯爵が自分の知らない街道予定地を指し示すと、ブレトは顔を青くした。
「この工事予定地は、殿下の行軍予定地沿い」
その言葉に、サーフェスも頷く。
「さすがにまだ到着してはいないだろうが、遅くとも明後日には着くだろう」
「ででででで、ではっ? ウィル伯爵は、なんの為に私が知らない架空の工事などの補助申請を行ったというのでしょう」
言外に、匂わされた会話の内容を、焦った様子のリール侯爵が問い質した。
「これ、もしかしてウィル伯爵が勝手に出したにしても補助申請ではなく、工事の通達だけするつもりだったのではありませんか? 資材などの買い付けを大量にするにしても作業の人員を雇い入れるにしても、それなりの規模のものを理由もなしに行なえば目をつけられてしまいますから。ただ、それが手違いか、もしくはそのような架空の工事などという不正な工事が行われようとしていると誰かが城内に知らせようとして、するつもりのなかった補助申請書に書き換えた、というのは」
「あるかもしれない」
「それこそ、なんの為にウィル伯爵は、不正な架空工事などを!」
「……殿下の参加する、行軍訓練を邪魔するつもりだった、というのは?」
「この訓練に参加せずに王となった王族はいないからな」
「えぇ」
「しかし! ディードリク殿下ほど魔力量も多く、王族としてその血を濃く持つ者は外にはおりません。ウィル伯爵は、そんなディードリク殿下を王太子の地位から追い払ってどうしたいというのか」
ガタンとソファーセットを蹴り上げるように立ち上がったブレトは、側近になってからというものめっきり腰に下げることの少なくなった愛剣を腰に佩き、緊急用の持ち出し鞄を肩へと掛けると、大股で出口へと向かった。
戸口へ掛けておいた外套をぶわりと身に巻きつける。
「黒幕が、ウィル伯爵とは限らない」
その言葉にリール侯爵が目を見開いた。
「ブレト卿、それはどういう意味ですかな」
「殿下の下へ、向かいます。後は頼みます」
リール侯爵の問い掛けに答えることすらせず、ブレトは執務室を出て行く。
「ブレト卿!」
追い縋る声は悲愴な響きをしていた。
王太子を狙う計画に巻き込まれただけでも大変な不運だ。それが、ただ隣り合わせただけの伯爵家による反乱ではないかもしれないなどと示唆されて落ち着いていられる訳がない。
後に残されたサーフェスが、リール侯爵の肩へ宥めるように手を置き、首を振る。
そうして、すでに執務室を出てしまっている彼へ願いを籠め「任せたぞ」と呟く。
一瞬で表情を引き締めたサーフェスは、部屋に残るふたりに向かって、自分がするべきことを宣言した。
「こちらも騎士団を取り纏めて急いで後を追うことにする」
「では私は、緊急で行軍中止の魔法伝令を手配します。私が出したのでは遅すぎます。それでも現地へ着いた後になってしまうかもしれませんが、それでも襲撃前に警戒を促したり、救護班から人員を向かわせられるかもしれませんし」
ハリスも幾つかの書類を手に取り手配をし始めた。
飛び出していったブレトのために、途中で乗り継ぐ新しい馬を手配しておくなど、後方支援に努めることにする。
「私は……わたしは、宰相のところへ向かって、この件について報告をしよう」
気が向かないのは分かる。
隣り合わせた領地での反乱に一切気付かずにいたことも、下の爵位の者から巻き添えにしてもいいと判断されたことについても、すべてにおいてなんで自分がと憤りたくはあるが、自分が尊敬に足りる存在であったならなかったのかもしれないことだらけだ。
それを自ら報告しなければならないなど噴飯ものである。
それでも、気が付かなかったことにはできない。
慌ただしく其々が、自分にできることを行う。
それがこの国の未来のためだと信じて。




