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好きを取り上げられた王子様は  作者: 喜楽直人
第一章 ブレト・バーン
6/124

6.




「それは、やっぱり無理」


 素直になってみれば、答えなんて簡単だった。いつだってそれはブレトの心の中の真ん中にあったのだから。


 笑顔でいて欲しいのも、笑顔にしたと思うのも、ディード様ただひとり。

 そうして他の誰でもない、俺自身が、ディード様を笑顔にしたいのだと認める。


 覚悟を決めて、差し出された想いよりも実のところずっと重い、自分の心を捧げようと閉じていた目を開いた。


「……えっと。なんで、泣いてるんです?」


 ディード様が、その形の良い鼻を真っ赤にして声も出さずにボロ泣きしていた。白い肌をしているからこそ、今の赤さが目立つ。


 慌てすぎて涙を頬を指で拭った。

 けれど、拭える量を遥かに凌ぐ勢いで、ディード様の金の瞳から涙が溢れ落ちていく。


「なん、でって。それを、ぶれとがいうの?」


 訳が分からない。しかし一層激しく涙を溢れさせたディード様は、視界を確保しようというのか、自身の袖で、目元を強く拭った。


「あぁ、擦らないでください。赤くなってしまう」


 そう言ってみたものの、元々の俺は、ハンカチという気の利いたものを持ち歩く習慣はなかった。

 ディード様の側近として身だしなみを整えねばと思って、できるだけハンカチも持ち歩くようにしていたけれど、焦っているせいかポケットの中に目当てのそれを見つけることはできなかった。


 袖口を伸ばしてチョンチョンと拭いてみたけれど、それこそ川の水を匙で掬い取ろうというようなものだ。何の役にも立ちはしない。


「泣かないで。いいや、泣いてもいいですけど、俺の前でだけにして下さい。そうして、できればその涙の理由は、俺に、教えてください」


 俺にだけ、というのは恥ずかしすぎて口に出せなかった。

 そんな不甲斐ない俺にディード様は何も教えてくれようとはせず、ただ黙って顔を横に振って泣き続けた。


 拒否された事など、あの夜以来だった。ショックだった。


 けれど黙って泣く姿を見ていたら、何かがわかった気がした。


 たぶんきっと、口にしてはみたら思っていたのと何かが違うというのだろう。


 ──好きの、練習だったんだ。


 好きには種類がたくさんある。肉親への愛とか、友情とか。

 中には、愛に育つ訳がないのに本物なのだと勘違いするようなものだって、ある。肉欲とかね。俺も間違えたことがあるからね。わかる。


 冷静になってみれば、俺は身長が197センチもある13歳上で。騎士という職に就いていたガタイのいいオッサンな訳だ。


 気が付いたんだろうなぁ。こんなオッサンへ心を捧げ、愛を育てていこうとする滑稽さに。


 それでも、たったいま心を差し出そうと決めたからには、『やっぱり要らない』と切り捨てられるとしても、伝えることだけはしておきたい。一度は言葉を贈ってくれたディード様の心意気には報いたい。


 いいや、違う。自分のためだ。それだけ。自己満足。


 受け取ってもらえなかったとしても、ここで伝えなければ俺は一生伝えることはできなくなる。


 だってもう、傍にいることなんてできない。


 他の誰かの横で笑うディード様を支えるなんて、できそうにないから。


「ディード様。そのままでいいので、聞いて欲しいことがあるんです」


 俺の言葉に、ディード様がビクッと身体を固くさせた。

 そうして俯いてしまったまま、何度も何度も、首を横に振った。


 乱れた髪からのぞく、俯く首の後ろが赤くなっている。

 嗚咽を我慢するその姿が胸に迫った。


 きっと俺がこれから伝えようとしている言葉が分かっているのだろう。


 なにしろ、魔力の相性がいいということは間違いないし、それだけで「本物だ」と飛びついてしまったとしても仕方がないのだ。


 その幼い頃の体験から好きだと思うことに対する経験が少ないディード様が、意味を取り間違えたからといって誰が責められるだろう。


 愛だと思ったから伝えてみたけれど、やっぱり違っていたとしても、俺はディード様を責めるつもりはない。


 だから、これから俺が、ずっと気が付かないようにと心の奥底に沈めていた重すぎる想いを伝えることだけは、許して欲しい。


 気付かないままにしておきたかった気持ちを引きずり出されたことも、心に傷を負う必要などないから。


 ただ、聞いて欲しい。受け入れて貰えるなんてことは期待していないから。


「好きです。ずっと、あの夜、あなたが流した涙が忘れられませんでした。俺が、あなたを笑顔にしたかった」


 俺の言葉を、聞きたくないと全身で表すように首を横に振り続ける姿が胸に痛い。


 笑顔にしたいと言いながら、ディード様を泣かしている自分が滑稽で惨めだ。

 けれど最後まで、聞いて欲しい。


「ご安心ください。さきほどあなたが口にした言葉を撤回しても恨むつもりはないです。いいんです、口にしてみたら、なんか違うって分かっちゃったんですよね。そういうことってよくあることですよね」


 俺の言葉に、弾かれたように顔を上げてくれたディード様に、笑顔を向ける。

 よかった。顔を見て、告げられる。


「愛しています。俺にとっては人生最後の恋で」


 愛に育てたい、想いです──と続けるつもりだった、その告白は、最後まで言わせて貰うことはできなかった。


 ガツン。


 唇に、鈍い痛みが走る。なぜか口内に、鉄錆の味が広がっていく。


 温かく震える、それは──。


「なにを……」


 離れてしまったそれが、寂しい。死んでも口に出したりしないが。


「くちづけ」


 別れの贈り物なのか。それとも。


「なんで」


 もしかして、違う意味なのではないかと、つい自分に都合のいいように考えてしまう。


 何故なら。俺は今、ディード様の手によって、首元にしがみつかれているというか、首を絞められているというか。


 飛びついてきた愛しい人の身体が、抱き締められるほど近くにある。

 体温が、細い身体が。あまりに近くて、動悸が激しい。


 あんなにあったディード様との身長差は、この一年で半分ほどまで縮まった。

 お陰で、今はすこし背伸びをすればこんな事までできてしまう。栄養すごい。新しい料理長すごい。


 心が落ち着こうとして変な方向へと思考が向かっているのだと理解はしたが、それ以上に感慨深くあるのは本当だ。


 だって、綺麗すぎる顔が、近い。


「好きな人に好きだ愛してるって言われて、くちづけたいって思ったら、悪いの?」


 真っ赤だった顔を更に真っ赤に染めて、ディード様が、再び俺の唇を奪った。

 ただまっすぐに唇を重ねるだけの、くちづけは、ひどく熱いものだった。


 しばらく重ね、不意に離れる。


「同情だっていい。愛の種類が違ってたっていい。僕に、勘違いさせたブレトが悪いんだもん」


 離れる度に、ひと言。

 唇をツンと尖らせて、目に涙を溜めて言い張る。

 意味が、わからない。


「ううん、僕はたとえそれが肉欲から始まったって構わない。ブレトが僕のものになるならいい。どんな始まり方をしたって、そこから絶対に、愛へと育ててみせるから」


 言い終わると、熱い思いをぶつけるように言葉を重ねてくる。

 すぐ目の前にあるその金の瞳には、呆けた自分しか映っていない。


「あの……」


 意味がわからず、問い掛けようとする俺の唇を塞ぐように、急いでディード様がまた唇を重ねてくる。


「だから、ブレトの心、僕にちょうだい」


 何度も、何度も。


 離れては、想いを告げられて。

 答えをいう間も貰えずにまた唇が重なってくる。


「ブレトの全部がほしいんだ」


 体格差を考えればどうとでも逃れられたはずだった。

 所属が近衛ではなくなろうともブレトは騎士なのだ。今も毎朝の鍛錬は欠かしたことはないし、ディード様の訓練だってご一緒している。

 爪先だちしているディード様の顔を避けることくらい簡単だ。


 けれど、ブレトにはそんな事できなかった。


「僕ね、ブレトといると嬉しいの。ブレトが傍にいない時はブレトいたらなって思う。美味しいモノを食べるとブレトにも食べさせたくなるし、不味くても一緒に食べれば笑いあえるのになって思う。新しく覚えた知識はブレトに話して聞かせたいし、感想を話したいし、聞きたい。僕の幸せは、ブレトの傍にいること」


 側近になってからのディード様の笑顔がブレトの中をいっぱいにした。

 たくさんの笑った顔、怒った顔、悔しそうな顔。それでもいつも最後は笑顔になった。

 それは、恋をしていたあの頃の自分そのものではなかろうか。


 更に言えば、今のブレトだってそうだ。

 何をするにもディード様が優先だ。

 それ以外には何もない。

 無理だ無理だといいつつ、すべてを受け入れ求められるままお傍に侍った。

 それが、ブレトの幸せでもあったから。


 それがようやく、すとんと胸に落ちた。


 経験値の差とか、大人としての尊厳とか、歳上の余裕とかすべてモロモロ、何の役にも立たてられずただディード様の情熱に当てられて、思考が溶ける。


 そうしてついに想いを返すように、ディード様の唇へ、自分の舌を這わせた。


 押し付けられるばかりだったディード様の唇は、体当たりのような最初のくちづけで俺の前歯とぶつかって切れている。


 そこも優しく労わりを込めて舐めた。癒すように何度も往復させていく内に喰いしばっていた硬い唇が綻んでいく。


 甘い。


 弛んだ隙に、そのままぬるりと歯列の間へと舌を滑り込ませた。

 そのまま歯列の奥の隅々まで奥歯まで全部。確認するように舌を這わせ、縮こまっていた舌と強引に絡んで擦り合わせる。


 あまい。


 蜜のように甘いディード様の口内を、貪るように味わい尽くしていると、ふいに、ずっと強くしがみついているばかりだったディード様の手が震えてきたことに気が付いた。やり過ぎた。


 慌てて身体を離すと、ディード様が真っ赤な顔をして激しく息を吸い込んでいた。


「窒息しちゃうかと思った」


 息が整ってきたのだろう。眉を下げて首を傾げながら呟いている。可愛い。


「すみません。止まらなくなっちゃって」

「ブレトは息が長く続いて凄いな。さすが近衛だね。鍛え方が違うのかな」


 なんて可愛らしいことをいうのかと思わず顔が綻んだ。

 閨教育でくちづけの方法や種類などもすべてを教えられているはずではあるけれど、実践は初めてなのだろう。知識なんてふっ飛んで当たり前か。

 これから少しずつ、ふたりで経験していけばいいのだ。


「肉欲から始めようというお誘いも悪くないんですけど、すでに俺の心の真ん中にはディード様がいるので。どうか、そのままの俺の心を受け取ってくださいませんか」


 ようやく伝えることができた、何度も遮られていた言葉。

 それはディード様にとってはよほど予想外なものだったのだろう。目をまんまるにして動かなくなっている。本当に可愛い。


「一緒に、愛に育てていって下さるのでしょう?」


 勝手にはめられた俺の指で輝くディード様そのものの指輪。

 なかなかにゴツイそれがはめられた手を前に差し出せば、満面の笑みを浮かべたディード様が、そこへくちづけを落してくれた。


「ああ。生涯をかけて。決して枯れさせないと誓う」


 13歳も年下の生涯の主と決めた御方は、俺が思っていたよりずっと男前に育っていたようだ。


 たぶんきっと、俺は死ぬまでずっとこの方の行動に、右往左往させられ続けるのだろう。


 それでもきっと、最後の一瞬まで俺はディード様の笑顔を守るためなら何でもしてしまうのだ。




お付き合いありがとうございました。


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