2-2-15.
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「顔を上げて欲しい。ブレト・バーンよ。確かに規律を正すことは大切だ。部下のたるみを許すわけにもいかない。それは確かに上司であるお前の罪だろう。だが、もしその近衛たちの会話をディードリクが聞くことにならなかったとしたら、どうなっていたと思う?」
「ならなかったとしたら、ですか」
しばし考えてみる。
サルコン卿が、摘み取られた薔薇についての馬鹿な会話をせずにいたとしたら、ディード様は王城を抜け出して、危険な夜のギョルマクの街を目指そうとはしなかったはずだ。
王城を抜け出そうとはしないから、禁止魔法に手を出すことも無かっただろうし、破落戸に目をつけられることもなく安全だったはず。
……安全?
「ディードリクはきっと賢者を探しに出るという無茶な行動にはでなかったかもしれない。だが、その結果、ドラン師によるふざけた帝王学に基づく教育は表に出てくることなく、ディードリクを苛んだだろう。そうして、多分きっと、そう遠くない時期に、成長を阻害され続けたあの子の身体は、魔力では補うこともできないほど蝕まれていったことだろう」
「魔力で、補っていた?」
「あぁ。ドラン師から、ディードリクの魔法は安定に欠けるとの報告を受けていた。『威力はあっても稀に発動が遅れることがある』とな」
あれだけの魔力量を誇るディード様に、そんなことがあり得るのだろうか?
そんな疑問が顔に出てしまったのだろう。
陛下が鷹揚に頷いて補足の説明をしてくれた。
「ディードリクは細いだろう。確かに我が王族は幼き頃は成長曲線が低い傾向にある。しかし、それだけでは説明し切れないほどあの子の身体は幼い頃のままだ」
抱き上げた身体の細さを思い出して、眉を顰めた。
我が国の王族のひとりだから、というだけではなかったのか。
あれがドラン師の教育のせいだというのか。
「この国の王太子殿下が、栄養失調によって、成長できなかった、と」
呟いた言葉に、陛下が頷くのを見て思わず拳に力が入った。
「成長期だというのに著しく偏った食生活を送ってきたことで成長が阻害されたのみならず、生命維持すら危うかった可能性すらある。それを補うために、魔力を使っていたのだろうというのが、王宮医師長の見解だ」
苦しそうな声に、ハッとした。
もしそれが本当ならば、それはかなり危険な状態だったのではないだろうか。
「あの子の心が未熟なのだというドラン師からの報告を信じてしまっていた。だが今の私は、その所見に疑問を持っている。栄養失調に陥りながらもディードリクがあれほど身体を動かせているのは、魔力でそれを補っているからだろうと医師長からは指摘を受けている。そうして、魔法の発動が不安定になってきているということは、魔力を、生命維持に使い過ぎているということではないだろうか。ディードリクが、未熟という訳ではなく」
「ディードリク殿下は、未熟などではありません! 確かに、知識が偏っているところはまだ多いかもしれませんが、それこそ指導者が未熟であったからなのではありませんか!?」
「あぁ。今の私にはそれが分かる。だが長い間、あのドラン師がそういうならば、と思ってしまっていたのだ。権威に阿っていたというなら、まさにそうだな」
「え、あ。いえ、そんなことは……」
不敬な態度を取ってしまったと慌てる。
けれど陛下は俺の態度を批難せず、力なく笑った。
「いいや、私がドラン師をディードリクの教育係に任命したのだ。そうして彼奴のふざけた報告を真に受けて、ディードリクの悩みに気が付かなかった馬鹿な親だ」
「へ、へいか」
突然の言葉に慌てた。
この場にいる俺以外の者も皆、焦っている。
「ディードリクが近衛の私語を真に受けて行動に移さなければ、きっとそう遠くない内にディードリクは体力が尽きその命を終わらせていたかもしれぬ。もしくは、最後のあがきとばかりに体内に残る魔力を暴走させ、すべてを無に帰そうとしたかも。どちらかの結末を迎えていたに違いないだろう」
そんな馬鹿な、と笑い飛ばすことはできなかった。
極稀なことではあったが、奴隷のような扱いを受けた使用人などが魔力を暴走させて魔力嵐を生み、周囲を巻き込む被害を起こすという痛ましい事件が起こる。
ただし平民が体内に持つ魔力は少ない為、家一軒が吹き飛び加害者が巻き添えになって死ぬ程度で終わっていた。
だがもしそれと同じ現象が、王族の中でも魔力量が多いとされるディードリク殿下に起こったとしたら。王城が吹き飛ぶどころか、場合によっては王都が壊滅する可能性だってあり得るだろう。
想像しただけで寒気がする。
そうか。サルコン卿を叱りつけ共に近衛の職を辞そうと思っていたのだけれど、訓告のみにしておこう。彼の仕出かしが王都を救ったと言っても過言ではないかもしれないが、近衛の職務としては怠慢であったと言い聞かせることにしよう。そうしよう。
心の中でそう誓っていた俺に、陛下がやさしく声を掛けて下さる。
「ブレト・バーンよ。お前だけが、ディードリクの苦しみを見つけた。どうかこのままあの子の心を救ってやってはくれないだろうか。今のあの子は、誰かを信じる事がうまくできないでいるように思う。傍にいて、明るく正しい方向へ導いてやって欲しいのだ。お前しかおらぬ。ディードリクを頼んだぞ」
「……勿体なきお言葉。誠心誠意努めさせていただきます」
この時、俺はディード様が失くしてしまったという「好き」を一緒に探していくという、雲を掴むような話に付き合うだけだと思った。
その直後、恐れ多くも手招きを受けて、お傍へ呼ばれてみれば、書面が渡されたのだ。
「これは……?」
「本日付けで、お前の所属は近衛隊ではなくなる。ディードリクの側近として、よろしく頼むぞ」
俺はその場で頽れるようにして膝をつき、その王命を受け入れた。




