2-2-10.
あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします
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湯から上がったブレトに用意されていたのは、近衛の制服だった。
それも儀礼用の装飾過多な白地に金モールのついた正装だ。真新しい制服に袖を通していく。
ボタンホールにひとつの撚れも糸のほつれもないそれは、まるでブレトの為に誂えたかのようにぴったりだった。
首元まである鍵釦をきっちりと止めてから、まだ硬い襟元に指を入れてぐっとひっぱり、呼吸を確保する。
普段は使わない髪油をつけて髪を整える。
「制服を着ているのに帽子がないというのは、落ち着かないものだな」
普段は撫でつけても跳ねる髪を強引に制服の帽子の中に押し込んでいる。それができないということは、髪油を使ってきっちりと前髪を上げなくてはいけないということだ。
「まぁいいか。油でベトベトになった髪というのも不潔に見えるしな」
鏡に映る自分へ言い聞かせるように呟いていると、いつの間にか部屋までやってきていた侍従どのにため息まじりに駄目だしされた。
「良い訳がありません。ブレト卿、近衛隊長ともあろう御方がなんということを言っているんですか。今日はこれから陛下の執務室へ呼ばれているのですよ。そんなことでいいと思っているのですか。大体、普段の勤務時はどうしているのですか」
貸して下さいと差し出された手へ持っていた櫛を差し出した。
そうして、促されるまま上着を脱いで渡し、手で示されるままに鏡台の前へ座った。
鏡の向こうで侍従どのが魔法を使って蒸しタオルを作っているのを見つめていると、自分で髪に付けた油をそれで丁寧に拭き取られた後、乾いたタオルでもう一度拭いていく。
「二度手間どころの騒ぎじゃなくてすみません」
思わず謝罪すると、目を眇めて笑顔で会釈を返された。やはり、手間だと思われていた。
まぁ仕方がない。これまであまり身形を整えることに興味を持たずに来てしまったのだ。じたばたせずにお任せするしかないと姿勢を正す。
鏡の中の侍従どのは次に、ほんの少しだけ掌へと髪油を垂らして揉み込んでいた。
その不思議な動作を鏡越しで見つめていると説明をしてくれた。
「髪油は直接髪へ付ける物ではありません。こうして掌の熱で温めて、柔らかくしてから髪に馴染ませるのです。そうすることで、少量で全体に回るんですよ」
そう言いながら、髪油を馴染ませた両の掌で軽く髪を挟み、擦り合わせるようにしていく。
俺が髪に振りかけたよりずっと少ない量だったのに、確かに全体へといきわたっているようだった。
「なるほど」
髪が何も付けていない状態より艶やかで色が深く見える。
「ほら。こうすると油同士が馴染んで、櫛で撫でつけた形に残るでしょう?」
髪油の塗りむらのない俺の髪を、櫛で梳かしつけていくと、綺麗にその跡がついていく。
「おぉー! これは、すごい」
思わず鏡の中に映る自分を確かめた。
何処から見ても、左右に首を振って見てみても、綺麗に整えられた髪型は崩れることもなかった。
「髪質によって選ぶ髪油は違います。ブレト卿の髪は、少し硬めで太さもあって広がり易いようなので、今回ご用意させて頂いた、髪を柔らかくして広がり難くする効果のあるココナッツを使った髪油を選ぶといいです。纏まり難いようなら、髪を洗った後に、濯ぎの湯に1,2滴髪油を溶いて使ってもいいです」
「へぇ。髪油って種類によって効果が違うのか」
爽やかな中に微かに甘い香りの混ざる髪油の入った瓶を覗き込んだ。
「……何の為に、色んな種類があると思っていたのですか」
「香りとか値段とか?」
「勿論、香りも選ぶポイントです。好みではない嫌な匂いが自分の頭からしていたら作業効率は下がりますから」
「それはそうだ」
それが好きかどうかは日々の生活において結構重要で、好きでも嫌いでもないどころか好きじゃないものばかりに囲まれて送る生活は、多分きっと、いいや間違いなく、ディード様の王太子教育の進み方を鈍化させていたに違いない。
王太子として公務もこなされつつの生活だというのに。
抱き上げた時、不自然なほど細く頼りなく感じた、ディード様の細い手足。
自分を見つめる、ディード様の辛そうなお顔が浮かんだ。
あの御方には、いつも笑顔でいて欲しい。そう思う。願う。
その後、侍従どのから、使うべきシャンプーや髪の乾かし方などを教授された。
「なによりも。近衛隊長どのは、ディードリク王太子殿下を支える者がきちんとした身形をしていること。それだけでも、あの御方を守ることに繋がるのだと覚えておいた方がよろしいでしょう」
そうだったのか、と衝撃を受ける。
確かに、陛下つきの近衛隊はいつも隙のない着こなしと一糸乱れぬ動きをしていて、緊張感がある。
自分の髪が跳ねていることで、ディード様が軽々しく扱われていたとしたら、業腹だ。相手というより、自分に対して。反省して心を入れ替えることにする。
男でも身だしなみを整えることは大切なのだと薫陶を受けた。
そうこうしている内に、部屋に呼び出しがかかった。
「準備はいいか、ブレト・バーン近衛隊長」
「はい。大丈夫です」
俺は侍従どのに礼を告げ、ディード様に笑顔を取り戻す為、立ち上がった。
今の自分には、いつものように無理だと投げ出すことはできない。
ディード様のプライドを傷つけないように、摘み取られた薔薇のロザちゃん、についての説明を乗り越えるのだ。




