5.
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「無理ですってば!」
そう何度も頼み込んだのに。恥も外聞もなく涙を見せてまで縋ってみせたのに。
結局誰も、俺の言葉を聞き入れてくれる人はいなかった。
俺の両親家族たちですら、だ。人望のなさが、辛い。
「大丈夫だよ、無理な事なんか何もないよ」
不本意ながらも生涯をかけて忠誠を誓った主、本日ついに17歳となられたディードリク・エルマー・グランディエ 王太子殿下がにこやかに笑って、俺の左手を下から掬い上げた。
そうしてそれを、強引に、はめた。
「うわぁあぁぁっ。俺、まだ受け取るとは言ってないのに!」
「まだ、でしかないなら、いま、受け取ってくれてもいいじゃないか。ブレトが納得できるまで、ゆっくり言葉を尽くすつもりならあるんだし」
「それって、断らせないからって意味ですよね?」
「さすがブレト。僕のことを一番理解してる」
ふてぶてしくも満足そうに笑うディード様に対して、怒ればいいのか叱ればいいのかどうすればいいのか。混乱して言葉にならない。
そんな俺を余所に、ディード様は甘く蕩けそうな顔をして俺の左手の薬指に強引にはめていった物を満足そうに撫でた。
「ブレトの指に僕の印があるの、嬉しい」
白金の土台に、黄色味を帯びたの金剛石。
土台には、ディード様の個人紋の意匠されている。
その指輪は、確かに目の前にいるディード様そのものだった。
「あー! もーー!!」
脳裏には、今も強く、あの夜のディード様の綺麗すぎる涙が溢れていく場面がこびり付いている。
二度とあんな泣き方をさせないと心に誓った者として、幸せそうに笑っている姿を見れるならば、なんでもいいような気がしてしまうことに自分でも気が付いていた。
けれど。
だからといって、これはない。
だって、ディード様はグランディエ王国の王太子なのだ。
その夫が、13歳も年上の、しかもこんなにもガタイのいい男でいいはずがない。
それもバーン伯爵家の三男でしかないブレトだなんて、絶対に許す訳にはいかないのだ。
国民からそっぽを向かれてしまう。
「駄目です。あなたは次代の王となる尊き御方です。法律が許しても、世間は許してくれません。世間が許しても、俺自身が許せない」
「でも過去にも男性の王妃はいたんだよ。女王の王妃も。皆ちゃんと祝福されている。大丈夫、僕の魔力とブレトの同意があれば、ブレトが妊娠することは可能なんだから。勿論、ブレトが僕を妊娠させたいというなら、それも受け入れる覚悟があるよ」
それくらい知ってる。ブレトだってこの国の貴族の一員なのだ。
基礎教育くらい受けているから、この国の歴代国王の名前と簡単な経歴くらいなら諳んじることだってできる。
男性にも子宮はある。母親の胎内で性が決まるまでは同じ成長過程を通っていくからだ。性別が男に定まった時点で胎児の子宮は成長が止まり、精管や精嚢が成長していく。
ただ未発達ではあるものの、そこには子宮となる為に生まれた器官があるのだ。それを魔法により機能が動くところまで成長させていくことは可能なのだ。
勿論、これは胎児を育む場所が体内にできるというだけで、それ以外にもいろいろあるみたいなんだけど、さすがにそこまでは俺は知らない。
でも肖像画に残る男の妃も、女王の妃も元の性別の姿のままだから性別自体を変えるというものではないみたいだった。
それでも人の身体の作りを一部分だけでも変える魔法を使うには膨大な魔力が必要で、更にその魔法は形質の変化を本人が受け入れていない場合は発動することはない。
それが成立するのは相手の片割れが膨大な魔力を持つ王族であり、配偶者側も、体内の器官が変性することを強く望んだ時だけだ。
「王族の膨大な魔力を無駄遣いしないでくださいよ」
力強く宣言された内容に、思わず顔を両手で隠した。
あ゛ーーーーー!!!!! もうっ。
ちょっと頬を赤らめさせながらいうのは反則なのでやめてくれませんかね。
あの夜は、「にくよく」という言葉を口にするだけで頬を赤らめていたというのに。なんということだ。
「俺は教育方法を間違えていたのか。あのクソったれ教育係どもを笑えないな?」
心落ち着けようとしても無理すぎて、どんな顔をしたらいいのか全く分からなかった。
それなのに。顔を隠した手の指を、丁寧な手付きで一本一本、引き剥がしていくディード様は本気で鬼だと思う。
「あはは。ブレトの顔、いつもより更に面白いことになってるね」
「誰のせいですか」
無駄な抵抗だと思いつつ、赤くなっている自覚のある顔を横へと背ける。
「僕のせいだと嬉しいな。でもブレトのせいでもあるんだよ?」
「なんですか、その言い草は」
「ブレトったら何度説明しても理解してくれないんだからもう。まぁ僕はブレトがだいすきだから、何度でも説明してあげるけどね。ふふ。ブレトって僕が本気で使った認識阻害を見破れるでしょ。父上ですら破れないのに。いつだってあっさりと見抜いちゃう。それってね、僕とブレトの相性がすっごくいいからなんだって」
「魔力の、っていう言葉を、抜かさないでくれませんか」
魔力の相性がいい相手というのは、数万人にひとりの確率で現れるとされる。
一生巡り合わない事も多いので、本当の確率は分かっていない。それくらい会えることは極稀であるとされるだけの数字でしかない。
魔力の相性がいい相手同士はお互いの傍にいることで魔力が安定し、普段より少ない魔力でより大きな魔法が使えるようになったり、精神的にも安定して幸福度が上がると言われている。
「同性婚をした王族ってね、みんな、魔力の相性がいい相手とだったの。それでね、えっと、あの……」
ブレトとの子供を魔法を使ってまで望む言葉をあっさりと口にした癖に、顔を真っ赤にして言いよどむ。
その顔を見ているだけで、自分の顔の熱が上がっていくのを感じて、大慌てで首を激しく振った。
「教えてくれなくていいです」
その拒否の言葉は、最後まで言わせてもらうことはできなかった。
もうあまり背の変わらなくなったディード様が背伸びして俺の耳元へと口を寄せた。
囁くようなちいさな声が、ブレトの耳に届く。
「魔力の相性がいい相手との行為って、ものすっごく気持ちいいんだって」
せっかく背けていた顔が、勝手に彼の顔を真正面に捉える。
まっすぐに自分だけを見つめる金の瞳に、間違えようのない熱い情熱が灯っていた。
思わず、ごくりと咽喉を鳴らしてしまった。
どれくらいそのまま見つめ合っていたのか。
身体中の血管が破裂してしまうんじゃないかと思うほどの熱に言葉を失った俺へ、瞳を蕩けさせたままのディード様が微笑んだ。
「勿論、同性だからって訳じゃなくって、異性間でもだけどね」
魔力の相性がいい相手というものが唯一無二な存在かどうかまでは分かっていない。
ひとりと出会っただけでも幸運で、その人といられれば十分すぎるからだ。
他の誰かなど目に入らなくなるものらしい。探そうとする訳がない。
しかし、探せば自分以外にも、ディード様にふさわしい誰かがいるかもしれない。
それなのに。
「僕は、ブレトがいい。ブレトしか嫌だ。ブレトが、好きなんだ」
『好きなものなんか、何ひとつ思いつかないのに』
そう言って、『ブレトに好きを教えて欲しい』と泣いていたあの夜からずっと、この御方を笑顔にするためならどんなことだって出来ると思ってきた。
強く願ったこの心の理由は──
「参った。無理だろ。このクソッタレ」
天を仰いでそこに御座すであろう神に向かって呪詛を投げつける。
本来ならば、この世の総てから惜しみなく祝福されて然るべき美しく才能に溢れる我が主に、幼くして数多の苦難を強い、更には愛を捧げる相手としてこんなにも不適切な男を用意した底意地の悪さは、そうされて当然だ。
せめて。そう、せめて甘いマスクを活かした話術を駆使して交渉事で負けたことがないと言われる冷徹宰相補佐とか、再婚だしブレトより更に歳上にはなるが普段はキリッとしているのに笑うと可愛いと令嬢たちに人気の高い王国騎士団の団長だっていいと思う。あの方々ならディード様の神々しい美しさからすればちょっと、いやかなり格は落ちるがそれでもきっと並んで立っても絵になるだろう。もしくは隣国の第二王子でも、……ちがう、隣国には美しい王女がふたりいらっしゃる。下の王女にはまだ婚約者はいなかったはずだ。いいや、そもそも国内にだって才色兼備な令嬢はたくさんいる。
ちょっと考えただけでも、瑕疵のないお似合いだと誰もが祝福してくれるであろう結婚相手は、幾らでも挙げられる。
ディード様が望めば、どんな美姫だって喜んで受け入れること間違いなしだ。
けれど。
真摯に想いを伝えられて、この胸が高鳴った。驚きと共に湧き上がるこの喜びからこれ以上目を逸らすのは無理だ。
他の候補たちを数え上げてみただけで胃の腑が捻じれるほど、こんなに苦しい。
もし他の誰かの手を取って微笑んでいる姿を見たら、死にたくなってしまうかもしれない。
いいや、間違いなく死ぬ。心だけでなく、心臓が止まってしまうに違いない。
※小室を使えるようにする魔法をTS魔法だと勘違いされてしまいそうなので
少し説明を加えました。大筋には変化ありません。
TSは視線の高さが変わったり、骨が細くなって吃驚したりを愉しむものなので
今回は違うのです。
あれはあれでいろいろ美味しいですが、ディード君はブレトそのままの見た目や
性格までまるっとすべてを愛しているので変えたいと思っておりませぬ