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好きを取り上げられた王子様は  作者: 喜楽直人
第二部 王太子教育
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2-2-2.



 部屋に戻されたら侍従のジェラルド・キーツがいるんじゃないかと思いついた途端、足が重くなる。


「さぁ、どうぞ。ただいま入浴の支度をさせております。それまで、軽食は如何ですか」


 軽食、と言われて少しだけ空腹を覚えたけれど、あのなんだか分からない不味い何かでブレトが買ってくれた飴の味を上書きしてしまうのが勿体なく感じて首を振る。

「お腹は減ってない」

 そう口で言った傍から、お腹がぐぅと鳴ってしまって赤面した。

 身体を縮こめて俯いていると、侍従長は「では寝る前ですし、ミルクをたっぷり入れたハーブティをご用意いたしましょう」と淹れてくれた。


「さぁ、どうぞ。お熱いのでごゆっくり」

 サーブされたカップのソーサーに、ちいさなビスケットが添えられていた。


「実はこれ、私の孫が贈ってくれた特別なビスケットなのです。とても美味しかったので、是非殿下に一緒にご賞味頂きたく存じます」

 特別なビスケットという言葉に、ごくりと咽喉が鳴る。

 バターの香りがするビスケットは見るからにほろほろしていて美味しそうに目に映る。


 それでも、香りや見た目に何度も騙されてきた僕の口の中には、あの不味い味が蘇ってくるのだ。ふるふると首を振って「いらない」と繰り返した。


「そうですか。残念です。では、勿体ないですし、失礼しますね」


 そう宣言するやいなや、侍従長がぽいっと口の中へビスケットを頬り込んだ。


「ううん、おいしい。ミルク入りのカモミールティとの相性も最高です」


 豪快に、僕の為に自分で淹れたはずのミルクハーブティまで飲んでいく。

 そんな侍従長の姿を見たのは初めてで、あっけに取られて見上げることしかできない。


 侍従長は丁寧な所作でカップをテーブルへ戻すと、僕の前で跪いた。

 そのまま首を垂れて言い募る。


「さぁ、毒見は済みました。あとは何か不快なことや、不安なことはございますか? この老いぼれに取り除けるものならば、なんなりとお申し付けください。できないことも、ご相談ください。必ず排除してみせます」


「侍従長……」


 呼びかけると、侍従長は顔を上げて、今度はしっかりと視線を合わせて言葉を続けた。


「王太子殿下が生まれてくる前から、わたくしは貴方様にお仕えする日を心待ちにしておりました。疑われているのかもしれないと思うだけで胸が張り裂けそうでございます」


 まさかの言葉に、目を見開いた。

 けれど膝をついて見上げてくる侍従長の瞳に嘘はないように見えた。


「ありがとう。侍従長からそんな風に思って貰っているなんて。これまで気が付かず申し訳なかったと思う。ただ……説明するのは、父上と母上を先にさせて欲しいんだ」


「勿論でございます。ただ、ディードリク殿下を敬愛する臣下としての心を、疑われたくなかっただけなのです。それだけで、老い先短い老いぼれの寿命が、さらに半分になりそうです」

「それは困る! 父上も母上も、侍従長のことは大切に思っている筈だ!」

「……ディードリク殿下は? やはり」

 しゅんと頭を下げる侍従長に、慌てて声を張り上げた。

「ぼ、僕も! 僕だって、侍従長のことは、その、今まで気が付いて無くて悪かったと思うけど、大切にされていることが分かって、嬉しく思う」

 途中から、怪しいほどたどたどしくなってしまったけれど、それでも礼を告げると侍従長は嬉しそうに笑って、「では、お茶とビスケットを食べて貰えますね?」と言ってきた。

 まるで誘導されたようなその会話に若干の圧を感じて慄きながら頷くと、笑顔を深めた侍従長がそれはもう嬉しそうにお茶の準備を再開した。


 先ほどよりも豊かにハーブの香りが部屋に立ち上っていく。

 柔らかな香りを嗅いでいるとそれだけで緊張が解れていく気がした。


 そうか、僕はまだ緊張していたのか。

 手のひらを何度も握ったり閉じたりしながら、そう思った。


「さぁ、どうぞ。蜂蜜もたっぷり垂らしておきました」


 それは、子供の頃の僕が好きだったものだ。

 紅茶が渋くて飲みにくかった時や、体調を崩して何も食べられなくなった時も、黄金色の蜂蜜を入れて貰った紅茶に、何度助けられただろう。


 信じると決めてはみたものの、やはり緊張で震え出しそうな手を心の中で叱りつけ、カップに口をつけた。


 咽喉を潤していく、優しいミルクと蜂蜜、そしてカモミールの味わいに、頬が弛んだ。

 自然に声が漏れる。


「おいしい」


「それはようございました。ビスケットも、まだございますぞ」


 侍従長のポケットの、どこにそれだけの量のビスケットを隠し持っていたのだろう。

 差し出されたビスケットを躊躇うことなく頬張ると、口の中にバターとミルク優しい甘みが広がる。


 記憶の底に沈んでいた『おいしい』を思い出すのは、今日、二度目だ。


 ブレトと食べた飴のおいしさは、これまで知らなかった初めてのおいしさ。

 そうしてこれは、懐かしいおいしさだ。


「うん。おいしい。おいしいね」


 頬張りながら喋るなんて不作法もいい所だ。

 けれど、今だけは、侍従長も厳しいことをいうことも無く「お替りもありますぞ」なんて言ってくれた。




 食べている内に、メイドがお風呂の準備を整えてくれたようで、侍従長がそのまま介助にも入ってくれて、湯上りに髪まで乾かしてくれて、僕は心地よく寝支度ができた。


「おやすみなさいませ、ディードリク殿下」

「おやすみ、侍従長。ありがとう」



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