2-2-1.
■
「戻ってきちゃった」
王城の高い塀を見上げて呟いた。
この門をこっそり抜け出したのは随分と前のような気がするのだけれど、まだその夜すら明けていないのだ。たった数刻で終わった、僕の大冒険。
“摘み取られた薔薇”も“賢者ロザちゃん”様も、全部僕の妄想でしかなかった。
けれど、何も得られたものはなかったかというと、そんなことはない。
でも、これほど周りを振り回してしまうことを仕出かす必要は、なかったかもしれない。
そんな気持ちが渦巻いている僕の呟きを受け止めるように、ブレトが視線を合わせて頷いてくれた。
抜け出した門とは違う近衛隊の官舎に繋がっている裏門から王城に入った。
ブレトが前もって連絡を入れておいたお陰なのだろう。
外套のフードを深く被ったままの僕を腕に抱え込んだままという状態なのに、
誰からも誰何されることなく迎え入れられ、王宮へと取り次いでもらう。
夜中だというのに執事服をぴしりと着こなした侍従長が迎えに来てくれたことにも吃驚したけれど、案内された部屋に父上と母上が待っていて本当に吃驚した。
扉が閉まると、ブレトがそっと僕を下ろしてくれた。
そっと外套を脱ぐと、自分で纏めただけの髪が、さらりと零れた。
「!!」
怖い顔をして駆け寄ってきた母上から叱責されると思ったのに、飛びつかれて身体中を手で撫で擦られる。
「あぁ! ディードリク。どこにも怪我はありませんね? 無事だったのですね、本当に、よかった」
「ははうえ?」
ぎゅっと抱きしめられて、頬が染まる。
こんな風に母上の体温を感じたのは、記憶の中で初めてのことな気がした。
「顔をよく見せて頂戴。まさか貴方が家出をするほど追い詰められていたなんて。ごめんなさいね、気が付かなかった母を許してね」
涙ながらに頬を強く撫でられ、痛いほどだった。もちろん顔が、じゃない。胸が痛かった。
鼻の奥がツンとする。
「ごめんなさい、母上。でも、家出じゃないんです。朝までにはちゃんと戻ってくるつもりでいました。ただ僕は、どうしても知りたいことがあった。それを探しに行ったんです」
「まぁ!」
僕の告白に、母上が目を丸くして驚いた。
後ろから、苦い顔をした父上の声がした。
「それは、王城を、ひとりで抜け出さなくてはいけないようなことだったのか」
“摘み取られた薔薇”は、僕の想像とは全く違う場所であった。それをどう説明したらいいのか分からなくて、口籠る。
まさかいきなり父上に説明しなければならないとは思わなかったから、一応は今日のことについてどう説明しようか道すがら考えていたのだけれど、家出と勘違いされていたとか、母上が泣いている姿が衝撃的すぎて頭が真っ白になってしまっていた。まさか父上と母上のふたりが揃って待ち構えているなんて思いもしなかった。焦ってしまって、頭が働かない。
答えられずにオロオロしている僕を庇うように、ブレトが声を上げた。
「国王陛下に奏上申し上げます。この度の殿下の行動に関して、殿下への聞き取りをされる前に、お伝えしたき事がございます。なによりもう夜も遅いです。殿下もまだ興奮されているようですし、なによりお疲れの御様子。今夜のところは殿下にはもうご就寝頂いては如何でしょうか。その間に私から報告を纏め、上げさせて頂きたいと思います」
「ブレト卿。休暇中であるのに、御苦労だった。そなたのお陰で、助かった。感謝する。……して、この度の件、ただの家出ではない、ということか」
後半、声を潜めて交わされた会話は僕にはよく聞き取れなかった。
「そうだったな。帰ってきたばかりで、外の汚れも落とさねば寝られないだろう。ディードリクも、そのままベッドに潜り込んでは侍従長に叱られてしまうだろう。寝支度を整え今日はもう休みなさい。話は明日にしよう」
「はい。ありがとうございます。あの……勝手なことをして申し訳ありませんでした」
ぺこりと頭を下げて、侍従長に付き添われて退室する。
子ども扱いされているとは思ったけれど、今だけはそれに甘えてしまうことにした。
最後、扉が閉められてしまう前に部屋に視線を送ると、ブレトがこちらを見て、軽く頭を下げてくれた気がした。
何故かそれだけで、心が軽くなった。
ディードリクが退室していった部屋で、残された三人の大人たちは渋い顔をしていた。
「ブレト卿。先ほどの話なのだけれど」
第二王子であるハロルド殿下によく似た琥珀色の瞳を不安で揺らした王妃が詳しい話を求めようとするのを、ブレトは頭を深く下げて止めた。
「申し訳ございません。できるだけ、内密にお話をさせて頂ければと思っております」
ちらりと部屋の隅に立つ近衛や侍女たちへ視線を向けられたことに、両陛下の眉が顰められた。
「それほどか」
それに答えるブレトの表情も、苦い。
「はい。王太子殿下のお話を聞いた限り、かなり根深い物を感じました。是非、私からの報告を最後まで確認した上で、陛下の冷静で公平な目で、御判断頂ければと存じます」




