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「ねぇ、ブレト。お願いがあるんだ」
差し出された大きな手。それをじっと見つめている内に心へ浮かんできた言葉。それを、まるでうわ言のように口に出す。
あまりにも身勝手な願いだった。
それでも間違いなく、僕自身の気持ちだった。
この家に入ってからもずっと深く被ったままだったローブを下ろすと暗かった視界が明るくなった。
その真ん中にいる人と、きちんと目を合わせた。
黒い前髪の間から覗く青い瞳がまっすぐ僕を映している。
垂れ気味の瞳が揺らめいて、心配しているのだと訴えてくるようだった。
今、僕はまるで幼い子供のように、彼の腕の上に座らされているのに。不安定さなどまったくない。
太いその腕に、そっと触れると、まるで丸太のように硬かった。
僕の足元を抱える手も、大きくて硬い感触がした。剣だこのある指はごつごつしてる。
──あぁ、大人の男の人だ、と思う。
当たり前なんだけど、今はそれが、とても悔しかった。
ブレト・バーンその人を形成する、すべてに嫉妬する。
僕の持ちえないモノばかり集めて、造り上げられている。そんな訳ないんだけど、今の僕にはそうとしか考えられなかった。
この国の国王の息子として生まれた最初の男子というだけで王太子となっている僕とでは、きっと気構えとか積み重ねてきた努力とか、全部まるっと違い過ぎるのかもしれない。
貴族に生まれても、その家を継ぐのはひとり、それとその配偶者になる者だけだ。
兄弟姉妹が多ければ、たったひとりの嫡子以外は貴族でいられなくなるのが法律で決められている。
勿論、貴族としての血を引き継いでいるのだから魔力量が多い者も多い。
そんな彼らを即、平民としてしまう事は国にとって益を損なうことになるから、掬い上げる為の措置は用意されている。
文官だったり騎士としてだったりと形は違えど、優れている者へ一代限りの爵位を与えているのだ。
魔力があるだけでは駄目だし、自らその地位を手に入れる為に努力できる気概も必要だ。
元々、ご両親から受け継いだ素地も大きいんだろうけれど、この逞しい身体は、彼がこれまでしてきた努力の結果なんだろう。
分かってる。けれど、その素地の部分が羨ましくて堪らないのだ、僕という奴は。
なんで僕の身体は、まったく筋肉がつかないのだろう。
薄っぺらい子供の身体のままの自分が、僕は嫌いだった。
ううん、それだけじゃない。それ以上に、魔法が安定して使えない自分が情けなくて嫌いだ。
今日ここに来るまでだって、自分の魔法が本当に効いているのか不安で、何度も唱えた。
そう。僕の魔法は、いつも同じ威力で発動できる訳じゃない。
発動はする。ちゃんと使える。でもその威力が日によってまちまちすぎて、いつもドラン師にため息をつかれるのだ。
『おとうさまである国王陛下も、いいえ、弟君であるハロルド殿下ですら、このように不安定なことはないのですがな』
僕としては、同じ強さ魔力量の消費で使っているつもりなのに、なぜか毎日、威力が違ってしまって、あのセリフを聞く羽目になる。その度に、情けなさに消えてなくなりたくなる。
──ブレトには、そんなことはないんだろうな。
「如何いたしましたか、ディード様」
目を合わせたまま、思考の中へと沈みこんでいた意識が、ブレトの声で浮上する。
そうして、ふと思った。
──ブレト・バーンというこの人は、こんな顔をしていただろうか。
これまでずっと傍にいたから、よく知っていると勝手に思っていた。
いつも僕をすぐ傍で守ってくれていたから。
普段の彼がいるのは、僕の後ろだ。その彼が、目の前にいるから?
顔を合わせたことがない訳ではないのに。
ずっと背の高い彼のことを見上げてきた。
今は見下ろしているからだろうか。
それとも、彼が見上げてくるからだろうか。
まるで初めて、ブレト・バーン本人を、見ている気がして、手を伸ばした。
「ねぇ、ブレト」
触れた頬に、指を滑らせる。
不意打ちに驚いたのか、僕の指が冷たかったのか。
ブレトがふるりと震える。その様子に、笑みが浮かんだ。
「ブレトが教えて。ブレトは恋に堕ちたことがあるんでしょう? 好きを知っているってことだよね。なら、ブレトが僕に、“好き”を教えて 」




