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「す、好きになった人と結婚した方が、この国を守っていこうって思えるんだって。でも、……ねぇ、好きな相手ってどう探せばいいの? 好きなモノすら、今の僕には、なにひとつ、思いつかないのに」
そこまで喋った時だった。
視界の真ん中で、丸い透明な球が、落ちていくのが見えた。
ぽたぽたと、堪えきれなかった涙が落ちていくその先で、じっと青い瞳が僕を見上げている。
しゃくりあげることもできず、僕はただ、自分の瞳から涙が溢れ、彼の頬を濡らしていくのを、見つめた。
静かで、まるで時が停まったような、不思議な時間が過ぎていく。
僕の瞳からいつまでも溢れていく涙だけが動いている。
壊してしまうのが怖くなるようなその時の中で、どれだけの時間、僕を見つめる青い瞳と見つめ合っていたのだろう。
実際にはほんの少しの間かもしれない。
でも、僕の涙が止まるくらいは長い間をそうしていると、ブレトが口を開いた。
「好きは、探しても見つからないです。あれは、堕ちるものですから」
その呟きこそ、僕が求めていたこの世の真理なのかもしれない。
意味はまったく理解できていないのに、何故か世界が明るくなった気がした。
「堕ちる? 落下するの?」
「物理ではないです。心理的にです。そうとしか思えない体験です」
「よく分からない」
「ですよねぇ。俺も、自分で体験するまで分かりませんでした。肉欲を勘違いしたこともありましたが全然別物でしたね」
「に、にくよく」
あまりにもさらりと告げられた言葉に、かっと頬が熱くなった。
この国では、魔法によって妊娠の有無が判別できるだけでなく、避妊も男女の産み分けすらも可能になってからは、貴族であっても純潔であることを求められなくなって久しい。
勿論、遊び廻られて誰もかれもがその人のベッドの中での行動を知っていると噂されるのは恥ずべき行為であるというのは今も変わらないが、本気で好きになった相手とならばそういった経験をすることは好意的に受け止められるようになっている。
だからブレトにそういう人がいたとしても、当然なのだ。
なのに、僕の胸がずきずきと強く痛みを訴えてくる。
「そうですよ。ディード様が向かわれるおつもりだった、“摘み取られた薔薇”は、その肉欲の館そのものです。あの街で一番の、娼館ですから。閨教育で教えられているでしょう?」
ニクヨク、ショウカン、ネヤキョウイク──ブレトが口にした単語。
そのすべてが、僕の中の“摘み取られた薔薇”から遠すぎて、その音がなかなかその意味を成さないまま、ただの音として頭の中でぐるぐると渦巻いた。
けれど、どれだけ頭の中で知識を漁り、結局それ以外の意味を見つけられなくて、ようやくその意味を頭と心が受け入れた途端、僕の顔といわず全身が、カッと熱くなった。
どうしようもなく溢れ続けてきていた涙が、ピタリと止まる。
「ねや? え、えっ? に、にくよくの、やかた? え。そん、な。えぇっ!?」
「そうですよ。あいつ等が言っていた愛っていうのは、肉欲のことです。それを優しく満たしてくれる相手からは、愛されているような錯覚を起こす。金で優しさと肉欲を満たしているだけなんですけどね」
「金で買える、愛?」
「だから、娼館で売っているのは愛に似た違うものなんですよ。さっきもちょこっと言いましたけど、肉欲っていうのは愛によく似てるんですよ。あの莫迦ふたりも混同したんです。ディード様はそれを聞いてしまっただけです」
「そう、か。そうなのか」
「ですから、ディード様はあの館へ行っても意味ないんです。肉欲を満たす場所でしかないですからね」
「……うん」
頷いてみたものの、つまりそれは、僕がずっと追い求めていた真理など、そこにはないという最終通告みたいなものだった。
ぽっかりと心の中に大きな穴ができてしまったような気がして、動けない。
「ご理解して貰えてよかったです。では、王宮に帰りましょうか。お送りいたします」




