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「自分には無理です」
何度でもそう言って、もっとずっと強く主張して、断固として固辞すればよかったと何度思った事だろう。
しかし、何故か急に押しが強くなったディード様の決意を覆すことはできなくて。
先延ばしというか、どうせ陛下か誰かが止めてくれる。
そう思って、とにかく一刻も早く王宮へ連れ帰る為の言い逃れのつもりだったのだ。
「王太子殿下の日々のスケジュールは決められていらっしゃいますし、俺も職務がありますから。陛下から王命でもあれば受け入れますけどね」
ありえない、無理だと思ったのに。
変に理由というか、クリア条件などを盛り込んでしまったのが敗因だったのだろう。
余裕で無理だと思ったのに、あれよあれよという間に本当に、国王陛下より直々に王命が下されてしまったのだ。
何度考えてみても、伯爵家の三男が王太子殿下に何かをお教えするとか無理すぎる。ありえない。
なのに、実際に王命は下されてしまい、俺は正式に所属すら異動されてしまったのだ。
あと半年で近衛から単なる一騎士団員になるはずだったのに。
「どうしてこうなった」
思わず遠い目をした俺を、前を歩いていたディード様が振り向いて顔を見上げてくる。
「あはは。ブレトってば、また変な顔してる」
言うだけ言って、厩舎のある方へ駆けていく。その後姿があっという間に小さくなっていった。
最近、ディード様はよく笑うようになった。
やんちゃな行動もとるようになったし、明るくなった。
「王太子殿下。子供返りしてませんか? 護衛任務がキッツいんですけど」
元近衛副隊長つまり俺の部下であった現近衛隊長が、俺に向かって苦言を告げてくる。
その顔はどこか笑っているので、本気の苦情ではないのだろう。
まぁディード様が楽しそうにしていることに不満を持つなど許しはしないが。
「本来はあの明るい気質の持ち主なのだろう。押し込められていた心を育て直しているのさ。護衛がんばれ」
「うわっ、他人事だ」
「俺はもう近衛隊長ではないからな。他人事さ」
俺だけではない。殿下を取り巻く関係者はその大半が入れ替えになった。
あの騒動の後、殿下の教育係達と料理長などディード様に酷い教育を強いた者たちは皆処罰された。
彼らのように直接殿下に何かをした訳ではないが、何が行われているか知っていながら何もせずに傍観した者もすべて、二度とディード様の視界には入ることはない。
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「そのような酷い教えをディードリクは受けていたのか」
王宮に戻り、報告を上げてからかなり遅くなったことを叱責されたものの、俺はあの夜知った殿下に関する懸念について、詳細に報告を上げた。
殿下に代わって聴取を受ける。何度も。そうして回を重ねる毎に相手の地位が上がっていく。その度に、胸の奥がきゅっとなったが怯むことは許されない。
前言撤回するということは、ディード様にあの重くて苦しい生活に戻れという事なのだから。
そうして、ついに国王陛下直々に聴取を受けることになり俺は失神寸前だった。
いつもなら壁際で周囲に注意を払うだけでよかった小謁見室の真ん中にひとり立ち、王からの応答に直答しなくてはいけないことになってしまったのだった。これで怯まない者はいないと思う。
だって陛下ってば、ディード様と同じ色彩を持っている大人なんだもん。
威厳百倍なんだぞ。現人神そのものだって容姿なのだ。いつも後ろに立って守っているだけだったから、その視線に晒されてるだけで自然と身体が震えてくる。
逃げ出したくなる心を押さえつけ、なんとか全てに答えた俺の前で、陛下は大きなため息をつくと、まったく気が付いていなかったことを深く悔やまれていた。
「帝王学の定義は揺らぎのあるものだ。国によって指導者が求められる強さも正義も違うものだからな。だからといって、人間らしさを奪うような教育が認められる訳がない。王とて人間よ。好きなもの、愛するもの以上に、守りたいと思えるものはないのだから」
確かにそうだ。国によって神だって違う。
善く生きる道が違うのだから、政に求められるものも違っていて当然だ。
「アレがいつからそのような妄執じみた考えに憑りつかれたのか。私の知っている彼は、正しく若者を正しい道へと導ける優れた導き手であったものを」
幼い王太子殿下の教育係に任命されて、この国の行く末を左右する地位に就けた誉れと喜びに、間違った方向へ張り切ってしまったのかもしれない。
まるで人とは別の種であるように見えるほどの容姿を持ち、教えたら教えた分だけ乾いた大地が水を吸い込むが如き勢いで知識を身につけていく優秀すぎるディードリク王太子殿下を、自分の手で、更に特別な存在へと育て上げようとしたのか。
自らが考える素晴らしい王となるよう導き育てるという夢は、教育者において途方もなく大きく強い誘惑となるなのかもしれない。
「この国で生きる者を笑顔にできるように。そうして総てを愛せる人間になる教育こそ、我が国における帝王学であると私は考える。総てを愛さない人間は、信を得られない。そうして信を得られぬ人間は、臣からの忠義を得ることもないだろうよ」
陛下の意見に完全同意する。俺もそう思う。
自分のことをちゃんと見て大事にしてくれないと思われたら、人間関係は終わる。
思っていても伝わらなければ終わるんだけど。くっ。
「ブレト・バーンよ。お前だけが、ディードリクの苦しみを見つけた。どうかあの子の心を救ってやってはくれないだろうか。今のあの子は誰かを信じる事がうまくできないでいるようだ。傍にいて、明るく正しい方向へ導いてやって欲しいのだ。お前しかおらぬ。ディードリクを頼んだぞ」
「……勿体なきお言葉。誠心誠意努めさせていただきます」
まぁこの時点ではただ「好き」を一緒に探していくという雲を掴むような話に付き合うだけだと思ったのだが。
直後、恐れ多くも手招きを受けて、お傍へ呼ばれてみれば、書面が渡されたのだ。
「これは……」
「本日付けで、お前の所属は近衛隊ではなくなる。ディードリクの側近として、よろしく頼むぞ」
俺は、その場で頽れるようにして膝をつき、その王命を受け入れた。
ちなみに料理長は、「違う素材を使って見た目がそっくりな料理を作ることが楽しくなってしまった。同じテーブルについている王や王妃まで気が付かないというのが自尊心を擽った」というのが、くっそ不味い見た目だけ料理を作り続けた理由だと白状したそうだ。
馬鹿だ。腕を揮う場所を思いっ切り間違えている。
それを食べさせる相手が誰なのか理解できないようでは、料理人という前に、王宮に勤める者として失格だ。
当然、王宮料理長の座を失い、自慢の両腕には罪人の証の入れ墨が施された上で、財産は没収。地位も名誉もすべてを失った料理長は、失意のまま国外追放とされた。
***
「わっ。近いな」
俺を置いて厩舎に向かって駆けて行ってしまったはずのディード様が、すぐ目の前で俺の顔を覗き込んでいるのに気が付いて、思わず声を上げた。
「ふふふ。やっぱりブレトは分かるんだ」
「あ。また王宮内で認識阻害を使いましたね? 禁止だって言ってるでしょう」
「だってブレトしか見つけられないのって面白いんだもの」
「護衛に認識できなくなってどうするんですか。いざという時に困るのはディード様ですよ」
「ブレトが見つけてくれればいいじゃないか」
「俺がいない時だってあるでしょう」
「いない時がないように、ずーっと僕の傍にいばいいんじゃないかな」
ニコニコと笑いながら無休宣言されて落した肩を、元同僚がポンポンと叩いて「側近がんばれ」と笑った。
つい先ほど自分が言い放ったばかりの言葉を返されて苦虫を噛み潰した気持ちになる。
けれど、そんな俺の感傷に耽る時間すら、ディード様は許してくれるつもりはないらしい。
「ねぇ早く行こうよ、ブレト。遠乗りに一緒に行ってくれるんでしょう。僕のすっごく楽しみにしてたんだ。あ、今日のお弁当にはブレトが好きな鴨肉も入れて貰ったんだよ。楽しみだね」
余程楽しみだったのか、これ以上待ちきれない様子で腕を引っ張られる。
まだディード様は、共に愛を育む相手を探す段階ですらないのだろう。
自分の心を差し出しても惜しいと思わないような素晴らしい相手を見つけるためにも、まずは心の中を好きなモノでいっぱいにしなくては。
たぶんきっと、そんな素敵な心でなくては、永遠に愛を育み合えるような素晴らしい相手に対して差し出せるような褒賞にはならないから。
「俺も負けていられないし、好きなモノ沢山探していかないとだな」
「何の話だ?」
訳が分からないという顔をした新近衛隊長に笑いかけると、俺の腕を引っ張ていたディード様をあの夜のように抱き上げて、俺は厩舎に向かって駆けだしたのだった。
「すごい、ブレト速い! すごい!!」
ディード様はこの数カ月で一気に背が高くなってきた。肉もついてきて、身体の厚みも幅もでてきた。剣術をされている時も楽しそうだ。成長が著しい。
美味しい食事が出るようになったのは大きいのだろう。
つまり、あの夜のように腕に座らせて走り回るにはキツくなってきている。かなりギリギリだ。
けれどこればかりは「無理です」という言葉をいう訳にはいかないのだ。そんな様子は微塵も表に出さないように気をつけながら、俺は懸命に走った。
「ブレト、空があおいねぇ」
今は、まだディード様を楽しませる方が先だ。
ずっとひとりで苦しんでいたこの御方が、安心して笑っていてくれる時間を増やしていきたい。




