2-1-20.
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「では、おやすみなさいませ。ディードリク殿下」
いつもと同じ就寝の挨拶を告げて侍従のジェラルド・キーツはベッドの帳を下ろした。
気取った手付きで部屋の灯りを最小に調整すると、扉の前でもう一度、顎を上げながら頭を下げるという器用で奇妙な動きをしてから、彼は寝室から出ていった。
その様子を、僕はじっと部屋の隅で見ていた。
一度ベッドに入ってすぐ、認識阻害を唱えて抜け出していたのだ。
「本当に、全然気づかないんだもんなぁ」
ただジェラルド・キーツに関しては、この魔法が凄いからってだけじゃなくて、彼が僕を侮っているからなんじゃないかと思ってる。
なんとなく「仕方がない奴だ」と思われている気がする。なんとなくだけど。
「さっきの、あの最後の挨拶だってなんだよ、あれ。マナーの教師から、何も言われなかったのかな」
そこまで考えて、ジェラルド・キーツはドラン師から教えを受けていたのだと思い出して眉を顰めた。
王宮内では、たくさんの貴族家の子女が働いている。
確かに彼らは貴族籍にはあるが、労働者であり王族はその雇用主であり主君である。
いくら他人の目がない場所からといって、あんなお辞儀の仕方しかできないのは失格なんじゃないだろうか。
「なんかさ、本当にドラン師がこの国最高の指導者なのか、ちょっと疑問に思っちゃうよね」
愚痴ってみても、仕方がない。
父が認めていることを覆せるほどの確たるものを持たない僕が反論しても意味はないのだから。
それに、たぶんきっと生徒でしかない僕からは見えないものがあるのだろう。
溜め息をつきつつ、認識阻害を使って集めた服に着替える。
鍛錬の時に着ている生成りのシャツと黒いトラウザーズ、腰にはサッシュを巻いて、そこに貨幣を詰めた革袋を押し込む。
「うわっ」
靴を取り上げて、その酷い臭いに驚いて出てしまった声に、自分で吃驚して肩を竦めた。
祈るような気持ちで、扉を見つめる。
けれど、前に転んでしまった時とは違って外から誰何する声も掛けられなかったし、その扉が開かれることも無かった。
靴を取り落とさなくて、本当に良かった。さすがに、不審に思われてしまうところだった。
臭いを知ってしまうと履くことを躊躇ってしまうけれど、僕は目を閉じてえいやと足を突っ込んだ。
「あ。そうだ。浄化」
知ってるけど自分では使うことがなかった魔法のひとつだ。
下働きの者が使っているのは知っている。お陰で王宮内はいつでもピカピカなのだから。
清潔になった足元を見て胸を撫で下ろした。履く前に思い付けばよかったとは思うけどまぁいいだろう。
僕は調子に乗って、外套にも浄化を掛けてから身に着けると、フードを頭に被って臭いを確認した。鼻をすんすんと鳴らしてみても、汗臭さもなにも感じない。
「よし」
気分が上がったところで、腰のサッシュに剣を差し込んでみた。
貨幣の詰まった革袋との位置関係が納得できず、サッシュを巻き直すことにする。
お陰でまた外套を脱ぐことになって、もたもたしたけれど、結局はちゃんとやり直す方が早くて納得できる仕上がりになると知った。
今度は先に剣を挿し込んでから、貨幣の革袋を詰め込むことで腰骨に当たったり、サッシュがズレたりせずにしっかりとできた。
「準備完了……いや、一応やっとくかな」
ベッドの中に、脱いだ夜着を丸めて詰め込み膨らみを作る。
通用する気はまったくしないけど。一応ね。
寝室の扉の前に立ち、目を閉じた。
深呼吸をひとつする。
「認識阻害」
祈るように、もう一度魔法の呪文を唱えて、僕は扉を開いた。




