2-1-15.
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「とりあえず、効果がなかった相手は、ひとりだけ、かな?」
魔力の高い相手には無理だったが、庭師や下女たちのようなそれほど魔力量を持たない相手なら、少しくらい声を出した程度では、僕を認識できなくなるようなのだ。
だから、足音がしようが衣擦れの音がしようがあまり気にしなくてもいいのだ。
むしろ堂々としていた方が、そこに僕がいるとは思わないらしい。
認識しないでもいい相手がいて、声を掛ける必要も無ければ、それが誰かも考えなくていい、そんな気持ちになるらしい。
この辺りは、あれほど意味不明に感じた、あの本へ書いてある通りだったと言える。
だって、皆、僕を避けてくれるんだもん。
廊下の真ん中にいても端にいても、歩いていて邪魔になりそうな位置に立っている僕を、彼らは避けて通っていくのだ。
時には会話を交わしたまま。時には掃除をしながら。
僕は彼らの視界の真ん中にいてすら、誰からも頭を下げられたり話し掛けられたりしないのだ。
この王宮内で、そんな態度を取られたことはなかったから新鮮だった。
ただ、声を出したら見つかる。
ちょっとした物音なら、それこそドラン師相手でも僕を振り返ることはなかった。
授業が始まる前に早めに席に着いて待っていると、「なんだ、入口に近衛はいたのに。ご本人は、まだいらしていなかったのか」と不快そうにしたものの、僕には気付かなかったのだ。そうして、そっと床へ手を伸ばして、ペンを一本転がしてやると、なんと、ドラン師はそれを黙って拾い上げて机の上に置いたのだ。
誰もいない(と、ドラン師は思っている)にもかかわらず、どこからかペンが転がってきても気にしないなんて、普段のドラン師ならば、あり得ない。
ついおかしくなって、声を掛けてみた。
「すみません、ドラン師。ペンを落してしまいました」
席に座ったままだった僕が見えていなかったらしいドラン師は、全身をびくんと飛び跳ねさせて驚いていた。
「ふふふ。ドラン師があんな変な顔したの初めて見た」
思い出す度に笑いが込み上げた。
こんなに楽しい気分になるのは、王太子教育が始まってから、初めてのことかもしれない。
「ううん、間違いなく初めてだな」
不思議な高揚感に、僕はひさしぶりに一冊の本を手に取った。
幼い頃に乳母が読み聞かせてくれたこの国の過去の王たちがどの様に国を盛り立てていったかという建国記を物語仕立てにしたものだ。
パラパラとページを捲って、目当ての部分を読み返す。
初めて同性である夫を持った国王の話。
「同性の配偶者を立てたなんて凄いよなぁ。王族たるもの、この血を次代に繋ぐことは重要な役目なのに」
膨大な魔力をこの身に宿す王族は、国の礎だ。
有事の際は、最大の防御力で、最大戦力となる。
愛する相手だからと手を取っていい訳では無い。筈だ。とりあえず自分の中ではそうだ。
「好きな人と添い遂げる為に、新しい魔法を作っちゃうなんて。凄いよなぁ」
この本は、僕が読んだことのある唯一冊だけの恋愛の物語でもあった。
思わず魔力巣のある下腹の辺りを手で擦る。
魔力を生み出す魔力巣。
この国では、身体が成熟してその魔力が一定以上濃く濃縮できるようになり、身体から排出出来るようになると成人として認められるようになる。
ただし排出する意味が男女で違うけど。
男性は、女性の胎内へ濃縮した魔力を届けるため。
女性は、男性の魔力を受け入れることなく濃くなりすぎた魔力が身体のバランスを崩さないため。
つまり、女性の濃縮された魔力で満ちた子宮内へ、男性の濃縮した魔力を直接注ぎ込むことで、子は産まれるのだ。
2人分の魔力があれば性別など問わない、とは言い難い。
子宮という生命を産み育む為の器官内以外では、魔力が正しく交じり合うことはないし、その魔力が生命となることはないからだ。流れ出て終わる。
内部透視を使って人体内部を調べたのは、治癒の効果を高める為だったという。
それによって、胃袋や心臓といったよく知られた臓器以外に発見された、どんな役割をもっているのか分からない未知の臓器は沢山あって、男女によっても違いが沢山見つかって研究者たちは色めきだったという。
結果として、母の胎内で命として生まれた時は同じ身体から成長していくのではないかという仮説が立った。
男性特有、女性特有でお互いにないと思われていた臓器が成長しない未発達のまま体内に存在していたのだ。
今では定説となっているが、当時は大騒ぎになったらしい。
男性の身体に女性の心を持つ人や、女性の身体に男性の心を持っている人など、自身の性自認に違和感を持っている人達は、特に。
違和感しかない身体を心に合せることができるのではないか、と。
しかし、残念ながらそう簡単にはいかなかった。
魔法でどうにかしようにも、すべての臓器を作り替えることは魔力量の問題で無理だったのだ。
事象を書き換えたい臓器も多すぎるし、各臓器に対する理解も薄くて浅い状態で、魔法を発動させることなど、魔力量を誇る我が国の王族であっても難しいのだ。
けれど魔力の相性がよい愛する人との子供が欲しいと目的が明確になれば、話が違うらしい。
男性の体内に残る未発達な子宮を、成熟した子を育める臓器とすることに成功したのだ。
ただ、勿論子宮を成熟させたからといって子を育めるかどうかは賭けでしかない。
決して高くはない確率でしかなかったはずの夢だったんだろう。
それを掴み取った王と王配のふたりは本当に凄いと思う。
「まぁ、手を取れたのは相手との魔力の相性が良かったからなんだろうけど」
魔力の相性がいいふたりが傍にいると、普段よりちいさな魔力で魔法が使えるのだという。魔法の威力も上がるそうだ。つまりそれまで使えなかったほど大掛かりな魔法を軽々と使えるようになる。
その上、精神的にも安定するし、子もよく為すという。
類を見ないほど魔力の相性が良かった王と王配は、そのお陰で王配の体内にある未発達な子宮を成熟させることに成功できたのだ。




