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好きを取り上げられた王子様は  作者: 喜楽直人
第一章 ブレト・バーン
2/124

2.



「ホント、無理すぎる」

 ちいさく呟いて、誰もいない部屋へ王子を連れて入り、暗い部屋の灯りを点ける。

 とはいっても間接照明しかないブレトの部屋は、窓から差し込む月の灯りの方が明るいくらいだ。


 結局、手を離したら逃げ出されてしまいそうな気がして、腕に乗せたまま部屋まで来てしまった。


 ここは王城内の宿舎ではなく、ブレトが騎士として独り立ちしてから個人で借りている部屋だ。

 実家はすでに代替わりして長兄夫婦が取り仕切っていて、両親と次兄夫婦が領地で差配を請け負っている。

 領地に戻るには休暇は短すぎるし、かといって長兄家族が暮らす王都のタウンハウスに転がり込むのも気が引ける。三男坊は肩身が狭いものなのだ。


 なのでここは、連休が取れた時のみ使用する避難小屋みたいなものだった。

 ワンルームのちいさな部屋。一時は当時の恋人を引き入れたこともあったが、それも遠くなった。

 炊事場とトイレとシャワーが付いているだけでも上等な部類ではあるのだが、決して王族を招き入れるようにはできていない。

 ちいさな部屋には前はベッドも置いてあったが、今はベッドにも使えるソファとテーブルしか置いていなかった。


 昨日も帰っていたものの、外で酒を飲んで帰ってきて眠っただけだった。

 締めきっていた部屋に残るアルコールで淀んだ空気へ、浄化(クリーン)の魔法もついでに掛ける。


「少し、待っていてください。お茶位ならお出しできると思います」


 途中で何か買って来るべきだったいいや、この部屋ではなくどこか宿屋に入るとか個室の取れるレストランへ連れていくべきだったかといろいろと悔やむが、もう手遅れだ。


 昨日持って帰って来た蒸留酒ならまだ大丈夫だと思うが、まさか尊き王太子殿下に直飲みした飲み差しの安酒を出す訳にもいかない。


 棚の中の茶葉がどれくらい前に買ったのか必死に思い出しながら、あれにも浄化を掛ければいけるだろうかと考えつつ、殿下をソファへと下ろそうとした。


 しかし、そのまま王子はぎゅっとブレトへしがみついてきた。

 どうやら降ろされたくないらしい。


「お茶もなにもいらない。近衛隊長を信じていない訳じゃないし、僕には毒も効かないけれど、何かあっては迷惑を掛けることになるから」


「なるほど」


 確かに、王宮での手入れの行き届いた調度品に慣れた身には、ブレトの普段使いのカップも無理だろう。わかる。ちょっと胸が痛んだが、そこは気が付かなったことにする。


 ちらりと視線を下へと向けた先にある、古びたソファも駄目だったかもしれない。

 浄化をかけても、何度も洗って干したカバーは撚れも酷い。


 どうやら尊き王太子殿下には、諦めてブレトの腕の中で会話の続きをして貰うしかないようだ。

 ただし、天井が近いのも気になるので、ブレト自身はソファへと座らせて貰う許可を貰った。


 自分の部屋なのに、という呟きは胸にしまい込み、早々に確認に入った。


「えーっと。それで、その。殿下は“摘み取られた薔薇(ピケットローズ)”について、どの程度の知識をお持ちですか?」


 明るいところで落ち着いてみれば、あまりにも近い場所にある殿下の顔と、その会話の内容に顔が引き攣る。


 なにしろ、“摘み取られた薔薇(ピケットローズ)”は、あの街一番の娼館なのだ。

 一般庶民には手が届かない、けれど上位貴族が通うような高級娼館という程のものでもなく、懐の温かい商人や若い騎士たちには人気である。ブレトも若い頃はよく誘われた。


「殿下と呼ばなくていい。ディーまたはディードと呼んでくれて構わない。僕も近衛隊長を、ブレトと呼ぶから」


 近衛隊長という栄えある地位を頂いてはいるが、所詮しがない伯爵家の三男としては王族、それも王太子殿下を愛称呼びするなど震えがくるが、そこはぐっと我慢した。


「わかりました。では、ディード様。コホン。“摘み取られた薔薇(ピケットローズ)”について、どの程度の知識をお持ちですか?」


 できるだけ平静を装い、尋問? を再開する。

 まずはどこで名前を知ったのかだけでも聞き出さねば。悪い芽は早めに摘むに限る。


「『摘み取られた薔薇(ピケットローズ)のロザちゃんに、俺は本当の愛を教えて貰ったんだ。最高に好きなんだ。彼女こそが愛の化身だ!』って。この間、サルコン卿がノンツォ卿と喋っていたのを聞いたんだ」


「あいつ等、職務中に何を」


 思わず大きなため息がついて出た。

  サルコンとノンツォは、ブレトの部下である。部下達のやらかしに、ため息を止められなかった。ふたり共、近衛としては中堅に入ったところだ。下が増えてきて、緊張が緩んでいるのかもしれない。


 あとで〆ようと心に決めて、ブレトは頽れそうになる身体にグッと力を込めて王太子に向き合った。


 監視の目を掻い潜ってまで王宮を抜け出すような真似を繰り返させないためにも、正しい知識を伝えて、きっちりと納得して頂けるように説得しなければならないのだから。


 左腕に座らせたせいで見上げることになったディード様の王族の証とも言える金色の瞳がよく見えるようになった。


 その美しい金の瞳へ、見る見るうちに涙が膜となって張っていく様に、伝えるべき言葉を見失う。


 そっと、王太子殿下の剣を持つには細すぎる両の指が、控えめに、ブレトの頬へ触れた。滑らかで、冷たい指だった。


「ねぇ、ブレト。帝王学って、知ってる?」


 突然飛んだ会話についていけず、ブレトは混乱し掛けた。

 それでも何とか答えを口にする。不思議なほど咽喉が乾いて貼りつくようだった。


「そ、れは。この国の王となるべき尊き御方が修めるべき学問、とだけ」

「うん。そうだね」

 ちょっと笑顔になったけれど、それはあまりにも痛々しい、形ばかりの笑みだった。


「帝王学は、贔屓を無くす視点を学ぶものなんだ。もちろんそれだけじゃない。人心把握術とかも教わったけれどね。でも一番重要なのは、個人の好悪で国の在り方を捻じ曲げることがないような考え方を身に着けること。そのための学問だ。国法すら変えることができる大きな力を持つことになる国王という地位に就く者として、国を公平に学ぶべきなんだって」


「へぇ。難しそうですねぇ」


 ついつい好きか嫌いかをハッキリしたくなるブレトには絶対に向いていない。

 騎士になるための試験にそれが必修であったとしたら、間違いなく落ちていただろう。


「難しいっていうか、なかなか(つら)かった。好きなモノを作るなっていう教えだからね」


「……え?」


 意味がわからず、頭の悪い返ししかできなかった。


「例えばね、出された食事が美味しいって喜ぶと、次回からそれは出てこない。お茶とかお菓子もそう。ローストビーフだと思ったら、肉にそっくりなマメのペーストを焼き固めて色だけ似せたモノになってる。お菓子もそう。見た目はそっくりで香りもいいけど、粉っぽくてぼそぼそする甘くもなんともない小麦麸(ブラン)のクッキーになっていたりする」


「そ、れは。それを王族の方は皆さん召しあがっているのですね。知らなかったなぁ。王や王妃がおいしそうに口へ運んでいるあのご馳走の中身がそんなものでできていたなんて。ハハッ」


 それは嫌だと素直に言ってしまいそうになって、ギリギリのところで冗談へと繋ぐ。巧くやれたと思ったのに、ブレトを見つめる王太子の視線は、困ったようなもののままだった。


「ううん、違うかな。父上と母上、そして弟たちはちゃんと肉を食べていると思うよ。ちゃんと美味しいって顔をしてるし。黙って食べてても伝わってくるじゃないか。それに、僕だって王太子教育が始まって帝王学の授業を受けるようになるまでは、ちゃんとしたお肉とかお菓子も食べさせて貰えてたから」


「あー……なるほど」


「『好きなモノができれば、嫌いなモノができる。あなた様は自分の内に、この国自体以外には特別な物を作ってはいけません』」


 殿下の教育係の中で、最も高齢のひとりの口調を真似て呟かれたその言葉は、余程何度も繰り返し聞かされていたのか、あまりその人を知っているとは言いかねるブレトにすら、顔が思い浮かぶほど似て聞こえた。


「ずっとずっと。本だって物語や英雄伝記は取り上げられて、この国の歴史書や法律書や近隣国との関係における報告を纏めたものみたいのだけになって、乗馬や剣の鍛錬だって楽しんですることを禁じられて、ただ真面目に熟せって。楽しむなっていわ、言われて。好きな物など何ひとつ作らずにきたんだ。それなのに」


「ディード様」


「それなのに。ちちうえ……国王陛下が、『そろそろ婚約者を決めろ』って。『妃にする相手は、ちゃんとお前が好きだって思う相手を選びなさい』って」


 絞り出すような声だった。

 その続きは、言葉にするのが苦しいというように、何度も何度も、言葉を口にしようとしては、閉じることを繰り返す。殿下の苦し気な呼吸音ばかりが、耳に響く。


 頬に触れているだけだった指に、きゅっと力が入り、そうして殿下は続きを声にした。


「す、好きになった人と結婚した方が、この国を守っていこうって思えるんだって。でも、……ねぇ、好きな相手ってどう探せばいいの? 好きなモノすら、今の僕には、なにひとつ、思いつかないのに」


 溜まり過ぎた涙は、ついに金色の瞳の縁を越えてしまい、


 真珠のような輝く雫が、パタパタとブレトの頬へと降ってくる。


 ──綺麗だ。


 不謹慎すぎると後になって思ったが、ブレトは何度思い起こしても、あの涙を綺麗だとしか思えなかった。


 金色の瞳が、溶けだしたように。窓から注ぐ月の灯りを受けて輝く光の粒が、ブレトの頬に降り注ぎ、弾ける。


 透明で温かい恵の雨のように、ブレトに降り注ぐ。


「好きは、探しても見つからないです。あれは、堕ちるものですから」

「堕ちる? 落下するの?」


 涙をぬぐう事すら思いつかず、そのまま、ディード様へと語り掛けた。


「物理ではないです。心理的にです。そうとしか思えない体験です」

「よく分からない」

「ですよねぇ。俺も、自分で体験するまで分かりませんでした。肉欲を勘違いしたこともありましたが全然別物でしたね」


「に、にくよく」


 青白かった頬へ、さっと朱が走った。


 ディード様はこの国の成人の儀を15歳の誕生日を迎えた時に終えている。

 つまりはそれに伴う閨教育は、ひと通り終えているということだ。


 魔法により妊娠の有無だけでなく、避妊も男女の産み分けすらも可能にできると分かってからは、貴族であっても純潔であることを求められなくなって久しい。


 勿論、遊び廻られて誰もかれもがその人のベッドの中での行動を知っていると噂されるのは恥ずべき行為であるというのは今も変わらないが、本気で好きになった相手とならばそういった経験をすることは好意的に受け止められるようになっていた。


 だから、娼館が合法化されるようになった。

 娼婦も客も病気に罹ることもないし、望まれない子供が産まれることもないのだから。


 男性用も、女性用もあり、それぞれ同性を対象とする娼婦や娼夫がいる。


「そうですよ。ディード様が向かわれるおつもりだった、“摘み取られた薔薇(ピケットローズ)”は、その肉欲の館そのものです。あの街で一番の、娼館ですから」


 閨教育で教えられているでしょう? そう続ける。


「ねや? え、えっ? に、にくよくの、やかた? え。そん、な。えぇっ!?」


 真っ赤になって慌てたからだろうか。涙がピタッと止まった。

 戸惑い恥じらうディードは、普通の少年のようだった。

 

 いや。膨大な魔力を持とうが、天才といわれようが王太子であろうともまだ16歳なのだ。

 普通の青年だ。今はちょっと幼く見えるので青年と呼ぶのに躊躇するが。年齢的には間違っていない。

「そうですよ。あいつ等が言っていた愛っていうのは、肉欲のことです。それを優しく満たしてくれる相手からは、愛されているような錯覚を起こす。金で優しさと肉欲を満たしているだけなんですけどね」


「金で買える、愛?」


「だから、娼館で売っているのは愛に似た違うものなんですよ。さっきもちょこっと言いましたけど、肉欲っていうのは愛によく似てるんですよ。あの莫迦ふたりも混同したんです。ディード様はそれを聞いてしまっただけです」


「そう、か。そうなのか」


「ですから、ディード様はあの館へ行っても意味ないんです。肉欲を満たす場所でしかないですからね」


「……うん」


 ちいさい声ではあったが、それ以上否定してくることもなく頷いて受け入れてくれたことにホッとする。


「ご理解して貰えてよかったです。では、王宮に帰りましょうか。お送りいたします」


「ねぇ、ブレト。お願いがあるんだ」


 この家に入ってからもずっと深く被ったままだったローブを、ディード様がぱさりと脱ぎ去った。


 直系王族にしか現れないと言わる白金の髪が露わにされ、思わず目を瞬いた。

 初めてすぐ目の前で見たそれは、まるで髪自身が内包された光を発しているようだった。

 白金の髪に、金の瞳。

 現人神と呼ばれるようになる訳だ。こんなに美しく膨大な魔力を持った存在が、人間などという、ちいさき存在なはずがない。


 それでも、普段はきっちりと髪油で整えられて上げている前髪が下がり気味になっているせいだろうか。今は妙に幼く見えた。


 けれど、強く光る金色の瞳が、彼がこの国の次代の王であると主張していた。


「如何いたしましたか、ディード様」


「ブレトが教えて。ブレトは恋に堕ちたことがあるんでしょう? 好きを知っているってことだよね。なら、ブレトが僕に、好きを教えて」




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