2-1-12.
■
ベッドの枕元へ新しい水差しを置いて、侍女は深々と頭を下げる。
「では、なにかご所望がございましたらお呼びください。おやすみなさいませ、ディードリク殿下」
そう言ってシュルシュルと四柱式ベッドの帳を下ろすと、部屋の明かりを一番ちいさく調節して出ていった。
窓に掛けられたカーテンはすでに全部下ろされているから、そうされると僕のベッドの中は、薄ぼんやりとした明かりしか差してこない。
目を閉じてしまえば明るいとすら認識できなくなる柔らかな暗闇の中、清潔な寝具に包まれれば、いつもすぐにやってくる眠気も今夜はなかなかやって来ようとはしなかった。
滑らかなシルクのシーツと上掛けの間で、何度も寝がえりを打つ。
頬を撫でるような感触はいつもと同じだ。けれど今夜はこのままではどうやっても眠りにつくことはできそうになかった。
諦めという名の、覚悟を決めて、僕はそっと呪文を口にした。
「灯り」
辛うじて自分の指先が見える程度の視界が、確保できるだけの灯りを点す。
そうしておいて、僕はゆっくりと、ベッドから滑りおりた。
いつもの癖で室内履きを履こうとして失敗した。靴を蹴っ飛ばしてしまった。
「あ」
焦ってしまったせいだろうか。重心を崩してベッドの帳にしがみついた。
ギシギシと嫌な音が部屋に響く。
「!」
しまったと思った時には、扉が静かに開かれた。
「如何されましたか、殿下」
扉の前で控えていた近衛だった。暗がりに近寄ってくる栗毛色の髪に眉が自然と寄る。しかし昼番だったノンツォ卿がいるはずはなく、夕方からの担当となったキンケード卿だった。
「あ、あの。咽喉が乾いたから、水を飲もうとしただけなんだけど、ちょっと室内履きを踏んずけたら、バランス崩しちゃって」
思わず目に付いた水差しを言い訳に使う。
ノンツォ卿じゃなくて本当に良かった。
夕食時にも同じような言い訳を使ったばかりだ。言い訳の乏しさに恥じ入る。
僕の視線の先にあった水差しへと視線を送り、キンケード卿は表情を緩めた。
「あぁ。氷をご用意してきましょうか?」
「いや、いい。ちょっと喉を潤したかっただけなんだ」
「そうですか。では、良い眠りを」
「ありがとう」
目の前で閉められた扉をしばし見つめる。
静かに行動するつもりだったのに。異様に大きな音を立ててしまった。
恥ずかしすぎたが、だからこそベッドから起き上がって室内を歩き回っても今なら気にされないだろうと開き直る。
「せっかく持ち出してきたんだし。この本だけでも確認しよう」
書き物机の上に置いておいた本をベッドへ持ち込む。
美しい装丁の本だ。王宮の図書館に沢山並んでいる魔法の書は、どれも一定以上の魔力量がないとページを開く事すらできないという。
この国の貴族ならば誰でも開けるという訳でもないらしいが、僕にはそれがどの程度のランクに相当するのかわからなかった。
暗がりの中、読み進める。
とはいっても熟読する訳ではない。斜め読みして概要を掴み、関係なさそうだと判断したら次にいくだけなので、時間はそれほど掛からない。
「複写。なるほど、手で書き写さなくても良くなるのは便利かも」
確かに、これが使えたなら色々と楽になりそうではあるが、実現するには膨大な魔力ばかりが必要となって、人権を無視した利用をされそうな魔法はこうして扱い注意な魔法の書にだけ残されているのかと納得した。
人の手で書き写していた時代はすでに遠い。
印刷技術というものが発明された今となっては、いくら魔法を行使すれば設備投資などなくともできるとはいえ、必要ないと判断されたのだろう。
「あぁ、そうか。今となっては、秘密を盗む為の魔法になっちゃったのか」
この魔法も、禁断とまではいかなくとも取り扱い注意とされるだけの理由はあるのだと納得する。
あと数ページを残して終わるというのに、使えそうな魔法が見つけられずに落胆しかけた時だった。




