2-1-11.
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「どうされましたか」
「え、あ。ノンツォ 卿?」
声を掛けられて振り向くと、緊張した顔で扉の前にいた筈の近衛たちが、部屋へ入ってきていた。
「椅子が倒れる音が聞こえましたので。入室許可を取らず失礼しました」
「あ、あぁ。そうか」
焦り過ぎて気が付かなかった。でもそうだ。確かに音を立てて椅子を倒していたら、近衛からすれば侵入者を想定して、許可など取っている場合ではないと即断で入室するところだろう。
でも安全確保の為なんだろうけれど、近付かれてしまっては困るのだ。資料と偽って持ち込ませた魔法の書が見つかってしまうのはまずい。
もうひとりの近衛サルコン卿は窓の施錠を確かめてはカーテンを閉め直し、部屋の隅々まで人影を探して回っていた。侵入者なんていないのに。申し訳ない。
「違うんだ。その、食事中にちょっと……眩暈がして」
「王宮医師長をお呼びしましょう」
「いいよ、倒れた訳じゃないんだから。ちょっと、ふらついただけだ」
「しかし」
「大丈夫だ。食事を済ませたらすぐに寝るから。ただの寝不足で呼びつけるのは心苦しいよ」
眉を寄せて心配される。嘘なので後ろめたい。
書き物机の上に置いた魔法の書を背中で隠し、顔を背けて視線をずらした。
「殿下。直接の進言失礼致します。そろそろ側近をお付けになられた方がよろしいのではないでしょうか。たかが武官から言われるのはご不快かもしれませんが、あの量の書類をおひとりで廻し続けるのは無理です。せめて2人できれば5名、仕分けや資料集めだけでも手分けしてくれる者をお付けください」
「そんなに人数は必要かな」
「決裁をする殿下と違い、手伝いをするだけの人間は幾らでも替えがきくものですから。ひとりでもいれば違うと思いますが、手分けできた方が効率的だと思いますよ」
「なるほど」
ノンツォ 卿の言葉は、間違っていない。実際の所、日々の執務は多過ぎて、ぎりぎりでなんとか廻せているだけだ。
そうして仕分け作業と資料集めを別の人間に振り分けることができれば、当たり前だが仕事は早く進めることができるだろう。
「気心も知れているでしょうし、とりあえずの一人目にはジェルを指名するのもいいと思います」
「え?」
「失礼しました。殿下の侍従をしているジェラルド・キーツ子爵令息のことです」
「……ノンツォ卿は、彼と親しいのか」
「親しいといいますか、父同士の仲が良いのです。私は剣の道を進みましたが、幼い頃はジェルと同じ教育係について基礎教育を受けました」
「そうなのか」
僕は、なんともない振りができているだろうか。
眉間に皺を寄せないようにするのが難しかった。
あの侍従と同じ教育係に教えられ、僕に彼を側近にするよう推薦してくるということは、つまり、ノンツォ卿も、ドラン師側の人間だということだ。
気が付いていなかっただけで、他にもたくさんのドラン師の手先がいるのだと突き付けられた気がした。
側近を選ぼうにも僕にはまだ人脈といえるほどのものは何も持っていない。
父上に相談して選んで貰うのは子供っぽくて恥ずかしいし、母上に相談するのはもっと恥ずかしい。
そうなると僕に残された伝手といえば、ドラン師を筆頭とする教育係たちだけになる。
それだけは駄目だ。受け入れられない。
高位貴族で歳の近い令息の情報を、自力で手に入れなくてはならなくては。
今回の摘み取られた薔薇探しは、そういう意味でも今後の僕の人生を決める重要な件になりそうだった。
「もう少ししたら弟も公務に付けるようになるし。そしたら手伝って貰おうかと思ってるんだ」
「……そうでしたか。お心も知らず、失礼しました。お許しください」
騎士の礼をとり頭を下げるノンツォ卿へ軽く手を振り、頭を上げて欲しいと伝える。説明することもできないし、心苦しい。
「僕の為を思って進言してくれたんでしょう? ありがとう。サルコン卿もありがとう。もう下がっていいよ」
倒れた椅子を直してテーブルに飛び散ったスープの水玉模様を拭き取ってくれたサルコン卿にも礼を添えて、この話は終わりだと告げる。
ちょっとだけ、サルコン卿に摘み取られた薔薇について聞いてみたいと思ったけれど、このタイミングで言い出すのはやはり無理がある。
僕自身、先ほどの盗聴魔法の衝撃が残っているのか動揺し易くなっている自覚がある。
それにまだ背中には魔法の書を隠したままだ。今はまずい。
「新しいお食事を持ってこさせましょうか」
「いいよ。スプーンを落した訳じゃないし。ちょっと眩暈がして、飛沫が飛んだだけで食べられないなんて言わないよ」
心配そうに食い下がってくるノンツォ卿を笑顔で押しやる。
こんな事ばかり上手になる。
そんな自分のずるさが、ちょっと嫌になった。




