2-1-8.
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「まずは、王城内を自由に動き回れるようにならないと」
情報を集めるにしても、王城を1人抜け出すにしろ、今のままでは無理だ。
協力者を作るのは無理だろう。
なにしろ僕の周りには、ドラン師の協力者が多すぎる。
「あの紅茶もどきを淹れてる侍女は完全にドラン師側だろうし。他の侍女も無理だろうな。というか、陛下が付けた教育係から『王太子教育の為に必要だ』って言われて断れる人間なんか、王宮にはいないよねぇ」
思わず大きくため息をついて、椅子の背にだらしなく凭れた。
視線を横にすれば、サイドテーブルの上は未決書類の山だった。
これをひとりで熟しきれなくなったら、ドラン師が推薦している伯爵令息を側近に迎え入れることを拒み切れなくなる。
ただでさえ侍女や侍従たちの誰がドラン師の手先だろうと思ってしまって、頭も体も休まらないというのに。これ以上、生活を浸食されたくなかった。
「でもこのままでは、婚約者までそうなっちゃう」
想像するだけで、身体が震えてくる。
「絶対に嫌だ」
口に出してしまえば、それはあまりにも素直な気持ちだった。
たぶんきっと、僕が父上から言われた言葉の解釈についてドラン師の言葉を受け入ることができないでいるのは、このまま雁字搦めに縛り付けられるまま、何も考えずに、与えられたものを受け入れるだけにはなりたくないからだ。
天井に向かって手を伸ばす。
何もない空間へ手を伸ばしてみても、何も掴めない。当然だ。
「ドラン師の教えに背こうとしている僕に力を貸してくれそうな人なんか、……あ」
『勿論です』
『身体を動かしていた時の殿下のお顔の方が、私は好きですね』
そう言ってくれた時の、彼の顔を思い浮かべる。
彼なら協力してくれるかもしれない。
「そうだ、もしかしたらブレト卿なら」
──でも、してくれないかもしれない。
「やっぱり駄目だ。相談して、『駄目だ』って言われたら目も当てられない」
断られるだけならまだマシも、無駄に真面目なブレト卿がドラン師に報告を上げてしまう可能性だってある。
監視が厳しくなっしまっては元も子もなくなる。
「うん。駄目だ。これは僕がひとりでやらなくちゃ駄目なんだ」
少し考えて、図書館へ移動して魔法の書を調べてみることにする。
決裁に関する資料を探すと言えばそれほど不自然ではない、はずだ。
気になっていた地方の農産物の収獲量に関するここ10年の資料を探す振りをして、参考にできそうな魔法の書もこっそりと読む。
禁断というほど禁忌扱いはされていないが、それでもその魔法について広く知らせることはできないと判断されたものばかりが集められている本だった。
「この本ならなにか使えそうな魔法が載っているんじゃないかな。何か無いかな……あ、これはどうだろう。盗聴だって」
風を操る魔法のひとつ。風を使って遠くの会話を盗み聞きする魔法だ。壁の向こうの声でも聞こえるようになるらしい。
魔法はイメージだ。
呪文はイメージを固めやすくする為のモノであり、実際には口に出さなくてもできるようになる、らしい。それができた人は、我が国の始祖や中興の祖と呼ばれるような国王たちばかり。いま現在、それができる人はいない。
目で当該箇所の説明を追う。
盗聴がしたい相手や範囲を想定し、風に乗ってそこでの会話が伝わってくることをイメージしながら呪文を唱えればいいのか。結構簡単なようだ。
これが身体強化なら、自分の血流の流れや筋肉の繋がり方を勉強し、それをどう動かすかを実際に目で見て確認し、こうなって欲しいとうイメージと、実際の感覚を照らし合わせて何処まで魔力を流していいのか、少しずつ覚えていくのだが。
「ふうん。これなら今すぐ試せそう」
まずは隣の司書室での会話でも試しに盗み聞きしてみよう。
目を閉じて、そこで作業をしているであろう司書たちの顔を思い浮かべた。
背の高いウェイン卿、眼鏡を掛けたマルト卿、そして白い御髭の司書長ワーン卿。
仕事中の会話ならば盗み聞きをしても構わないだろうと当たりをつける。
目を閉じて、耳を澄ませて、呪文を唱えた。
「盗聴」
…………。
「そうか、しまった。彼らはそうそう喋ることもないか」
図書館での会話は厳禁だ。そのすぐ横で仕事をしている彼らもまた普段から無口なのかもしれない。
「しまったな。では……そうだな、えぇっと普段は近衛たちも黙っているし」
周囲に人の声が他にしないからこそ、サルトル卿の浮かれた声が執務室まで届いたのだ。
「そうだ。女性はお喋りが好きだというし、きっと無言ということはあるまい」
侍女長の執務室は侍女長しかいない可能性がある。
いつも威厳たっぷりの侍女長がひとり言を言いながら執務をしているとは思えない。いやしているかもしれないが、それこそ盗み聞きしていいような種類のモノではあるまい。プライバシー問題だ。
「うーん、難しいな。あぁ、そうだ!」
今の時間ならばきっと厨房では料理人たちが忙しく働いているところだろう。
そこでの会話ならば、きっと誰に聞かれても問題ないだろう。
盗聴の練習にピッタリだ。
僕はそこで忙しく働いているであろう料理長のオービルと副料理長コパーの顔を思い浮かべた。名前が分かる者はそのふたりだけだったけれど、多分大丈夫だろう。むしろ名前が分からない者の会話が聞こえてくるかどうかも確かめられて好都合だ。
「……盗聴」
そう呪文を口にした途端のことだった。
頭が割れるほど痛かった。
沢山の人間の怒鳴る声が頭の中で交差する。
『ばっかやろう、そのソースはもっと丁寧に混ぜろ。均一にするんだ』
『なんだって馬鹿やろう。その皿はあっちの料理用だろうが』
『うるせぇ、こっちは今繊細なデザートを作っている最中なんだよ話し掛けんな』
『○§×¶△Й!!!』
『φ■№@▼%○β?!!?』
耳の奥がキーンと鳴る。痛い。
ぐわんぐわんと響く、頭の中を飛び交う沢山の言葉で、頭の中をかき混ぜられているようだ。目が回る。
がたん、と大きく膝が折れた。
「殿下?」
少し離れた所で待っていたノンツォ卿が慌てて近付いてくるのを手で制した。
いくら焦っていたからといって、自分の軽率さに呆れる。
「だいじょうぶ。ちょっと睡眠不足だったみたい」
仕事が溜まってきているのは間違いないから、そんな嘘もすぐに信用された。
「無理はなさらないでください。資料は私達が運びます。侍従を呼びましょう。少し休まれた方がよろしいかと」
「大丈夫。今日は早めに寝ることにする。けどその前に、今日の分の執務は終わらせないとね」
安心させるように、笑顔でそう伝える。
大丈夫、僕は笑えている。
嘘ばっかり上手になる。そんな自分が一番嫌いだ。




