2-1-5.
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16歳の誕生日まであと3カ月となった日、父王から呼び出しを受けた。
「婚約者を、僕が、自分で探すのですか?」
「あぁ、そうだ」
8歳の誕生日に王太子の任命を受けたからには、いつか自分も王妃となるべく育てられた令嬢と婚約を交わすのだと知っていた。
けれど、僕はずっと、父王が選んだ令嬢とするのだと思っていた。なのに。
「妃にする相手は、ちゃんとお前が好きだって思う相手を選びなさい。それがこの国を守ろうと思う原動力となる」
「……」
「難しく考える必要はない。実際に婚姻を結ぶのはまだ先だ。だが、ある日突然王妃になれる訳ではない。お前が厳しい王太子教育を受けているように、未来の王妃となるその令嬢には、王太子妃教育というものが必要になる。それを乗り越えることができるのも、相手にお前の隣に立ちたいという気持ちがあってこそだろう」
僕は今、どんな顔をしているだろう。
視界が歪む。床の木工象嵌で描かれた美しいモザイク模様がぐにぐにと動いて見えた。足元から力が抜けていきそうになるのを、お腹のところに力を込めて踏ん張って堪えた。思わず目を閉じる。
「ただ権力者になりたいという相手ではなく、お互いにきちんと想い合い、支え合える相手を探してくるんだ」
「わかりました」
深く頭を下げて、そのまま父王の執務室から辞去したけれど、正直、それ以後の会話をまったく覚えていない。
自分の執務室へ、どうやって帰って来たのかもわからなかった。
*****
「ドラン師。質問があります」
「なんでしょう、王太子殿下」
父王との会見後、最初の授業で、僕はどうしても訊きたかったことを最初に確認してしまうことにした。
後回しにしても、まったく授業の内容が頭に入ってくる気がしなかったからだ。
これからする会話の内容を考えただけで緊張するが、まず質問を受けて貰えるかどうか。緊張する。
「ふむ。いいでしょう。」
僕の思いつめた顔をじっと見つめ、ドラン師は鷹揚に頷くと、手で話の先を促した。
「今日、父王から呼び出しを受け、婚約者を探すように言われました」
「おぉ、それはそれは。お喜び申し上げます。殿下が正しくこの国の王太子として認められつつあるという証左ですな」
ドラン師の言葉に、机の下で手を握り締めた。
つまり、今の僕は王太子として正しく認められている訳ではない、まだ足りないのだと指摘したいのだろう。
「そこで、僕は父王に、『妃にする相手は、ちゃんとお前が好きだと思う相手を選びなさい』と言われました』
伝え方については前もって考えておいたのだが、それでもドラン師の教えに反することを父王から申し付けられたと主張することは緊張を伴った。
「なるほど。少々混み入ったお話のようですな」
ドラン師はそう言うと右手を軽く振って呪文を唱えた。
「遮蔽」
術者の任意の範囲外に光と音の波を伝えないようにする一種の結界だ。
そこに誰が居るのかも認識し難くなる。自分だけを認識し難くする認識阻害との違いは、場が固定されるという事だ。その代わりに範囲内にいる者同士で会話が出来る。
美しい結界に包まれた途端、くらりと目眩と言うほどでもない軽い違和感に襲われるが、気づかれないように気を引き締めた。
「ふむ、やはり駄目ですか」
上手に隠せたつもりだったがドラン師にはお見通しなようだ。
「こんな軽い魔法力に干渉されてしまうとは。王太子殿下におかれましては少々鍛錬が足りないのでは?」
「干渉と言われましたが、別に魔法が使えなくなる訳でも、倒れてしまう訳でもありません」
言い返してみるが、実のところこういった遮断系の結界に包まれてしまった時の僕の魔法は少しだけ威力が落ちる事がある。落ちない時もある。つまり不安定なのだ。
ドラン師が、わざとらしく大きく息をはいた。
あの表情。あれは僕が一番言われたくない言葉を投げつけてくる時の表情だ。
思わず手を握り締め、その言葉が僕の心を引き裂いていく衝撃に備えた。
「おとうさまである国王陛下も、いいえ、弟君であるハロルド殿下ですら、このように不安定なことはないのですがな。何故王太子殿下にはお出来にならないのか」
一字一句代わり映えのない言葉だ。
けれど毎回僕の劣等感を的確に刺激してくる。
そうして、常ならばここで終わる言葉だが、今日は更に続きがあった。
「陛下は王太子の選定を早まられたのかもしれませんなぁ。まだ幼いとはいえ弟王子にも同じ教育を施して、その結果を以って判断なされれば間違いなかったものを」
ギュッと握り締めた手の爪が、てのひらに食い込んだ。悔しい。
「父王がこのディードリクを指名したその判断に、異を唱えるとおっしゃる?」
「不敬に聞こえたなら謝罪を。しかし正しき臣下というものはただ頷いていれば良いというものではございません。道を間違えたならばそう進言できてこそ」
悔しくて、自分が情けなくて。俯き涙に暮れたくなるのを必死に堪えた。
「まだまだ陛下の治世は長く続くでしょう。これから一層の研鑽に励まれれば宜しいかと」
垂れた瞼の奥で、瞳がぎょろりと満足げに動いた。
まるでディードの頭の中を直接観察しているような気がして背筋がぶるりと震える。
「質問があるのでしょう?」
そう促された。
気持ちはすっかり萎えて居た堪れないが逃げ出す訳にもいかない。
咽喉に絡みつく声を懸命に出して、このところずっと頭の中を占めている疑問を口にした。
「ドラン師。僕は、特定の好きな相手や物を作ってはいけないのではなかったのですか?」
緊迫した空気を、ドラン師の笑い声が破る。
「ふふっ。ふはははは。殿下に於かれましては、まだまだ、言葉の裏を読み取る力が足りない御様子ですな」
嘲りを含んだ言葉に、頬に朱が走る。
父王のあの言葉には裏があって、それは当たり前に通じるはずのものだったということだろうか。わからない。
「どういう、ことでしょうか?」
分からないことについて、教えを乞うことは悪ではない。
それでも今は何故か屈辱を伴った。
「この場合の『好きな相手』というのは、婚姻を結ぶ相手として好ましい者を指しているのですよ。お互いに利を得られる関係を選び取るにしても、どれだけ大きな利を選ぶことができるか。貴方様は、それを試されているのです」
お互いに、利を得られる関係。
確かに自分にとって王妃となることによって利を得られる者ならば、未来の王妃としての王太子妃教育にも耐えられるのかもしれない。
けれど、父王が言っていたことは、ドラン師が説明してくれた解釈とはやはり違っている気がした。
父王は、『相手にお前の隣に立ちたいという気持ちがあってこそ』だと言っていた。
つまり、探すべき婚姻相手は、ディードリクの隣に立ちたい願い、隣にいること自体に利を感じてくれる相手ということではないだろうか。
そうあって欲しい。
そうしてその相手は、僕自身が好きな相手であって欲しいと、父王に願われていたのでは。
──けれど、いまの僕には、好きがどんなものか、わからないのに。
「さぁ、私が、ディードリク様が正しい婚姻相手を選べるように、正しい知恵を授けて差し上げましょう」
黙り込んだ僕を満足げに見下ろして、ドラン師は意気揚々と授業を始めた。




