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好きを取り上げられた王子様は  作者: 喜楽直人
第二章 ディードリク・エルマー・グランディエ 第一部 摘み取られた薔薇
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2-1-4.



 執務室に着く直前、不意に話し掛けられた。


 いや、これは僕に対して話し掛けている訳ではないのだろうか?

 しかし、副団長の名前はハッキリと聞こえた。


 思わず立ち止まり、そこに控えている大きな男を見上げる。


 少し垂れ目の青い瞳が見開かれ、突然立ち止まった警護対象(ぼく)を見つめていた。動揺からか見開かれた瞳が、少し揺れている。


 そうして何かに気づいたのか、慌てて口元を抑えた。


 やはり、思わず零れ落ちたひとり言だったのだ。


「し、失礼いたしました。先ほどの試合での殿下の体さばきが、あまりにもお見事でしたので。つい」


 がばりと深く頭を下げられた。

 その首元までが赤く染まっている。


 ブレト・バーン近衛隊長。30歳までしか在籍できない近衛隊に所属できるのはあと半年ほどとなり、現在は在職記念として形ばかりの近衛隊隊長の役職についている。


 近衛の前髪は、きっちりと上げて警帽の中へたくしこむと決まっている。しかし今目の前で顔を赤くしているブレト卿の、頭を深く下げても微動だにしない警帽の下からは、ちょこんとひと房だけ、短めの黒髪が揺れていた。どこか爪の甘い男だ。


「いいよ。ブレト卿が話し掛けてくるなんて珍しいなって思っただけだから」

「失礼しました」


 手を振って、楽な体勢に戻って貰う。

 普段ならそれでおしまいにするところだけれど、今は、なぜだかひとり言の続きを聞きたかった。


「ねぇ。さっきの言葉だけれど」

「はい?」


 すでに落ち着きを取り戻してしまったブレト卿の瞳はもう揺れたりしていない。

 首筋まで赤くなっていたのに。元の色を取り戻すまであっという間だ。

 そういうところは、やはり大人なのだと思う。


「さっきの。サーフェス副団長は、王太子である僕に花を持たせてくれただけだから。僕が凄いんじゃないよ」

「いいえ。花を持たせてもなにも、サーフェス副団長の最後のあの動きは、かなり本気の身体強化を乗せたものでした。こう見えても直属の部下であったこともある私には分かります」

 サーフェス副団長は、努力で身に着けた剣技により男爵家の子息という後ろ盾の何もない状態から今の地位を築いた人だ。

 そうして当然だけれど、部下に対しても自分がしてきたのと同等の努力を要求するのだという。


「そうか。そういえばブレト卿は、サーフェス副団長の推薦を受けて、近衛に入ったんだったね」

「ハイ。入隊からずっと指導を受けてきました。ハッキリ言って鬼ですね、あの人は」

「はは、やっぱり鬼なんだ」


 近衛になるには、大隊長以上の役職にある騎士団員からの推薦が必要になる。

 まずは勿論、腕が立つ事。身元がしっかりしている者。マナーが出来ていること。隣国の言葉が最低一国は分かる者。そして見目麗しい者という5つの項目すべての基準を満たしている者として推挙された中から、欠員が出た人数が採用される。

 つまり、騎士団員の中の精鋭、エリート集団が近衛隊なのだ。


「そうか。その、ずっと指導を受けてきたというブレト卿から見て、先ほどのサーフェス副団長は手を抜いていらした訳ではない、と?」

 皮肉のつもりだった。

 分かっていないな、と言ってやりたかったのだ。なのに。


「勿論です」


 ブレト卿が返して来たのは、たったひと言の肯定だった。

 まっすぐな瞳で端的に寄せられた信頼。


「あのサーフェス副団長に勝てた殿下は強いです」


 褒められて、なぜだか妙に恥ずかしくなった。

 自分への自信のなさ。それ故の、捻くれ具合を突き付けられた気がした。


 周囲がもてはやすのは王太子としての自分を見ているからだけで、実際の自分を見ている者など誰もいない気がしていた。


 自意識過剰とはこういうことを言うのかもしれない。

 まるで発熱でもしたように、身体が熱くて身の置き場がないような気分だった。これは堪らない。


「……そ、そうか。では、僕は執務に戻るよ」

「はい」


 近衛の顔に戻ったブレト卿が、先んじて執務室の扉を開けて内部を検分してから招き入れてくれる。


 その前を通り抜けながら、先ほどのブレト卿など目ではないほど赤くなっているであろう顔を隠して執務室へ入った。


 机の上には、急遽練習試合に参加したツケのように決裁しなくてはならない書類が山になっていて、げんなりした。


「では、お声が掛かるまで扉の前におります」

「あぁ、頼む」


 部屋を出ていく前に騎士の礼を取って声を掛けてくるブレト卿へ、平素と変わらぬ言葉を返して執務机の前まで来ると、ため息が漏れた。


 書類をひと束、手に取って無意味にパラパラと弾いた。

 まだ側近も決めていない僕は、自分の裁量で与えられた仕事を廻し、尚且つ王太子としての勉強も重ねていかねばならない。

 山のように積まれた書類に、自然と眉が寄った。


「やはり休憩など取らないことにしたのは正解だったな」


 自分への苛立ちそのままに洩れた声が届いてしまったのか。扉を閉めようとしていたブレト卿の動きが止まった。


「殿下。もうすぐ私は近衛を卒業しますが、よろしければ、その前に私とも剣を交えて下さい。身体を動かしていた時の殿下のお顔の方が、私は好きですね」


「!」


 笑顔で自分の言いたい事だけ言うと、ブレト卿は返事も待たずに今度こそ扉を閉めてしまった。



 ずるずると、頽れるように目の前にあったソファへ深く座り込む。


「……好き、なんて。簡単に口にしてくれる」


 好きを取り上げられて。

 それを考えないようにするようになってからずっと、日々が鈍色に見えていた。

 それなのに。ただひと言、なんの気なしに口に出されただけのその言葉に、こんなにも心が揺り動かされるなんて。なんということだ。


 書類の山を見ただけで、一度は頭が冷えたのに。



『勿論です』


 まっすぐに肯定してくれた時の、あの不思議な感動からそう簡単には戻ってこれそうになかった。





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