地球はまわる…
「じぃちゃん、これ何?」
少年は、机の上に置かれていた物を手に取り言った。
それはまだ、幼い少年の手にも収まる程に小さい円形の物体。
「それは、懐中時計じゃよ。」
立派な顎髭をさすりながらロッキングチェアに座る老人が、優しそうな声色で答える。
「かいじゅう…とけい?」
少年は、掌に乗せたそれを見て首を傾げる。
この時代の時計は、すべてがデジタル時計。4つの数字が並び時刻を伝える。
少年は、針の時計は見たことが無かった。
円盤の針は、全く動かない。
針の時計を見たことがなくても時計とじいちゃん言ったのだ。きっと何かしら動くものだと少年は考えた。
「止まってるよ。」
「ほぉっほぉっ、どれ貸してみなさい。」
老人は、左の掌を上に向け少年に笑いながら言う。
少年は、動かなくなった時計を老人の掌に乗せた。
そして、老人は何やら時計の縁にあるつまみを優しく、ゆっくりと回す。
ある程度、回し終わったら、それを老人は耳に当てる。
「チック、タック。チック、タック…」
時計から聞こえる僅かな音を聞き、老人は微笑んだ。
「まだまだ、現役じゃ。ほれっ。」
そう言って、老人は少年に時計を渡す。
「あっ、動いてる。」
先程は、動いていなかった一本の長い針が今は、せわしなく動いていた。たまに、もう一本の長い針が動く。だが、短い針は一向に動く事をしない。
「この短いのだけ、動かないよ。」
とても、古そうなその時計は壊れていても仕方がないと少年は考えた。一本の動かない針を見て、少年は落胆していた。
「はっはっは。それは、そういうものなんじゃ。よく動く針があるじゃろ。それが一周すると、もう一つの長い針が動く。更にその針が一周すると、短い針が動く様になっているんじゃ。」
老人は、少年の表情を見て笑いながら、針の時計の説明をした。
それを聞いた少年は、短い針が動くまで、時計を見続けようとした。
「たまに、横の摘みを回してやれば、一ヶ月は動くのぉ。今は回したばかりじゃから、暫く経ったあと回してやれば、ずうっと動くぞ。」
少年は時計から目を話さずに老人の言葉を聞く。
この様子だと、何時までも見ていそうだと感じた老人は、時計を少年に譲る事にした。
「ほれっ、大切にするんじゃぞ。摘みを回してやれば、いつまでも正確な時間を刻むのが時計じゃ。」
その言葉に少年は、目を輝かせて老人にお礼を言う。
「じぃちゃん。ありがとう。大切にするね。」
そう言った少年は、大切に時計を持ち、自分の部屋に戻っていった。
――――
「ケイ〜、御守り忘れてるよ。」
「御守り?」
あれから随分の時が経ち少年は立派に成長をして、高校生になっていた。そのケイと言われた元少年は、母親の言葉に首を傾げながら、その手に握られていた物を見る。
「あぁ、ありがとう母さん。」
母親の手から渡された物を受け取り、ケイは素直にお礼を言った。母親から渡された物は、幼い時に祖父から貰った針の時計だった。今だ時計は、チクタクと時を刻んでいる。あれから、ケイは祖父と約束をした通りに懐中時計を大切にしていたようだった。
「それじゃぁ、行ってきます。」
渡された時計をケイは、上着のポケットにしまい玄関を出る。
高校へ向かう道を歩きながら、ケイは一人呟く。
「この音聞くと安心するんだけど、進むのが早くて時計としては、使えないんだよなぁ…。やっぱり古いからかなぁ…」
そういうケイの左手首には、文字盤の数字が光輝く最新のデジタル腕時計が巻かれていた。
―――――
「ケイ〜。いいペースだっ。そのまま。」
今は放課後。
ケイは、部活中。ケイが入っている部活は陸上部。その種目は、長距離走だった。
トラックを走るケイに向け、最新のデジタル時計でタイムを図り、激を飛ばすのは顧問の先生だ。
「ラストだ!スパートかけろ。自己ベスト更新出来るぞ。」
ケイは、力を振り絞りゴール地点で待つ先生の前を走り抜ける。
ーカチッ。
それと同時に先生の右手に力をいれ、デジタル式のストップウォッチを止めた。
「やったな。ケイ。また、自己ベスト更新だ。」
「ぜぇー、ぜぇー…」
走り終わったばかりのケイは、大きく肩を動かし、酸素を出来る限り身体に取り入れる。
ーよし。自己ベスト更新だ。
これなら最後の大会も期待できる。
高校3年生のケイはもうすぐ最後の大会が始まる。最初は、なんとなく始めた陸上部だった。
何か運動をしようと考えていたケイ。だが、この学校がある町は、人口があまりにも少ない島。それ故、生徒もケイと同級生の3人だけ。それ故、個人競技しか出来ず、ケイは陸上部を選んだ。
と言っても、陸上部に在席しているのは、ケイ一人だけだった。
そして、陸上部だけでは無く、この学校も来年の3月てケイ達4人の卒業と同時に廃校になることが決定していた。
高校最後の大会。最近自己ベストを更新することの多いケイは、確かな手応えを感じていた。
「キーン、コーン、カーン、コーン…」
校舎から帰りの時刻を伝えるチャイムがなる。
そのチャイムの音を聞き、ケイと先生は校舎に付いている時計に目をやる。
デジタル式の時計が帰宅時間の「18:00」の文字を表していた。
――――
「地球が自転しているのは、皆もわかっているだろう。一日で一回転廻る。」
教壇に立つ男性は、手元にあるデジタルパネルを操作する。すると正面の巨大モニターが次々と画面が切り替わる。
ケイは今は大学での講義中。
あれから2年が経ち、ケイはあどけなさがすっかりと抜け、20歳になっていた。上京し今は大学生。
ケイは、講義をつまらなさそうに聞いていた。
ケイも最新のデジタルパネルを操作する。それは教授のものとは違い生徒に与えられるノート用のパネル。ケイは人差し指でそのパネルをなぞり続ける。
「はぁ、どうして授業中は、時間が長く感じるんだろうなぁ…」
単位を取るためにデジタルパネルに講義の内容を入力しなくてはならないが、中々、進まない。退屈そうにケイは、左手で頬杖を付きながら、所々抜けはあるが講義の内容を入力していく。
「あれ、その時計。最新のモデルじゃね?」
そうケイに声をかけて来たのは、同郷の友人。同じ島の街から上京した腐れ縁。
「いいだろう。バイト代を貯金して、やっと買ったんだよ。」
そう言ったケイの顔は自然と綻んだ。
バイトを始めたのは、生活費の足しもあったが、このデジタル時計を買う為でもあった。ケイの着けている最新のデジタル時計は、コンマ1秒すらもズレない。毎日毎日正確な一日を計る。
その最新のデジタル時計をやっと手にした時の喜びは、今だ薄れない。
「では、自転が停止したらどうなる?そこの話している生徒。答えてみせなさい。」
「やべっ。」
つい興奮して、大きな声を出してしまったケイは、教授に当てられてしまう。話半分で聞いていたケイは、なんとか、想像力を膨らませ答える。
「ぇっと、一日が終わらない…ですかね?」
自信無くケイは答えた。
その答えに対して教授は僅かに口角を上げた。
「それも、一説にある、その他には、磁力や重力が無くなり地に足を乗せているだけの物は、身体か浮き、宇宙に放り出されるかもしれない。または、地球の核が飽和状態になり、地球が破裂するなど、色々な説がある。」
なんとか、お咎めない答えを出したケイは、ほっとした。
―――――
「お会計、2,784円になります。」
「電子マネーで。」
チロリーン。
ケイの目の前の機器が、調子の良い音を鳴らした。
「ありがとうございました。」
ケイは今、定食屋でアルバイト中だった。
今から50年前の事、世界での首脳陣を集めての会議。各国の主だった首脳陣が一同を介し、世界共通の法案。
それはデジタル促進法。
今まで使用していたアナログ機器を取り止め、より利便性の高いデジタル機器を取り入れること。
これにより、全世界での会計がデジタル化。スマートフォン一つ翳せば、会計ができる。また、給与の支払いも電子マネーに統一された。
その他にも、自動車や電車、飛行機などの計器は全てデジタル化になり、人間の操作が必要のないアクセルやブレーキといった機器も開発され、事故率等も大幅に減少した。
それにより死亡率も大幅に減少し、世界の人口が、僅かながら増加をする。各国はその重大性を捉え、様々な企業に恩恵を与え、デジタル技術は多分野に渡り活躍をしていた。
「お疲れ様でした〜。」
定食屋でのバイトが終わり外に出たケイはふと、空を見上げる。
「今日の月はきれいだなぁ…」
ふと、空を見上げれば星一つ見えない。夜空には真ん丸い月だけが輝いていた。
そういえば、ニュースでやっていたな…。
また、月へのロケットが打ち上げられ無事に月面に到着したとか。
毎年、必ずと言っていいほど、ロケットが月へと向かっている。何かの観測をしているらしいが、今は当たり前の事業となっていた。それもデジタル技術の進歩のおかげだろう。
確か、4日程で月に到着して、鉱物の採取や短期間の生活を経てまた、4日程かけて、帰ってくるんだったよな。宇宙飛行士か憧れるなぁ。
月を見ながらケイはそんな事を思いながら、帰路についていた。
「ただいま〜」
ケイは自宅にたどり着き元気に部屋に向かって言う。
だが、部屋からは誰の返事もない。別に何も不思議なことはなく、2年前の上京と同時にこの賃貸物件に一人暮らし。
手を洗いうがいを終えたケイは、冷蔵庫の中からキンキンに冷えた缶ビールを取り出す。
リビングのテーブルの前に座り、缶ビールを勢い良く開け口へ運ぶ。
「くぅー、うまい。」
バイト後のビールは格別だ。
バイト先で賄いが出た為、今は腹も膨れている。
ケイはテレビのリモコンに手を取りスイッチを入れる。
このテレビや先程の冷蔵庫もこの部屋に備え付けられていたもの。それ以外にもエアコンや洗濯乾燥機等の全ての家電は賃貸物件に備え付けられていたもの。また、驚きなのは、引っ越しでここを出ていく際には全ての家電を貰っても良いし、そのまま置いて行っても良いと言うことだ。
貰ったとしても金銭のやり取りは発生しない。
それもデジタル促進法のおかげだ。
全ての国民が平等に暮らせるようにと、常に最新のデジタル機器を容易に手にいられる、いや配られる時代。企業や公共施設は勿論のこと、各個人にまで様々なところで恩恵がある。
―だけど、体重計まであるとは思わなかった。
――――
あれから10年が経ちケイは30歳になっていた。
就職も無事に出来て、今も一人暮らし。周りはいつもどおりの最新のデジタル機器に囲まれていた。
ケイは、自宅でテレビで特番を見ている。
「うおぉぉ、この選手すげー。」
今年は、オリンピックイヤー。4年に一度の開催の年だ。
そのオリンピック開催まで、あと3ヶ月。
テレビではオリンピックで金メダル候補の選手の紹介をしていた。
陸上競技の選手の紹介VTRを見てケイは興奮していた。
高校生時代は、陸上部に所属していたケイは当然のように、数ある競技の中でも陸上競技に期待をする。
日本勢の活躍もやはり嬉しいが、海外の選手が記録更新をするのも心が踊る。
今、紹介している選手は、高跳びの選手。
今年で4回目の出場の選手だ。4年に一度の大会に4回目の出場するだけでも相当、凄い。
だが、それよりも凄いのは、毎回、記録更新をしているのだ。
オリンピックに合せてコンディションの調整をしている時期の大会でさえ、自己ベストを更新したらしい。
ケイは長距離走の競技が専門だったが、同じ陸上競技その大変さは分かる。この事には、素直に驚いていた。
「大会で活躍出来るのは、凄いなぁ」
そう言いながら、ケイは高校生最後の大会を思い出す。
大会前の練習では、走れば走るだけ、自己ベストを更新していた。0.01秒の更新でもとても嬉しかった。
最後の大会の成績にも期待が出来た。
だが、廃校間際の高校だった為、競い合う相手はおらず常に自分のタイムとの競争だった。
井の中の蛙どころではなかった。
大会では、自己ベストを30秒近く更新したが、結果は地方大会の予選落ち。
ケイ以外も多くの選手が自己ベストを更新した大会だった。
―――――
ケイは久方に実家に帰省した。
最低1年に一度は、実家に帰る様に心掛けていた。
年末に帰省し、年をこの実家で越した。
親はまだ元気な為、ケイは実家で気兼ねなしにゴロゴロと出来る。
「ほら、あんたの好きな駅伝やってるよ。」
その母親の言葉でのそりと起き、テレビを見る。
今は別に好きじゃないし…。
と思ったが、やはり見ると昔の血が滾る。
そこまでの立派な成績は出せなかったが、同じ長距離走。見ていてワクワクしないのは、嘘になる。
「ーー大学。区間新記録。3個目ー」
興奮しているアナウンサーの声がテレビから放たれる。
見ていて、純粋に凄いと思う。
僕は滾る血に従い、実家の自室へと向かい、今だ捨てられず仕舞ってある高校時代のジャージに着替えた。
―――――
「はっ、はっ、はっ…」
全身ジャージ姿でケイは、廃校になった高校の校庭を走っていた。息は白く、30歳になったケイには、高校時代の走りは出来ない。
それも仕方がない。高校の大会以降ケイは、運動らしい運動は行っていない。入念な柔軟を行い軽いウオーミングアップがてら、母校ヘジョギングをし、今は校庭を走っている。
かつて走りなれた校庭。あの時に嫌というほど練習をした距離を走る。左手首に巻かれたデジタル時計でタイムを計る。
久しぶりに真剣に走る。その姿は、やはりブランクを感じる走りになった。それはケイも分かっていた事。今、出来る限りの走りで満足だった。
ーやはり、身体を動かすのは楽しい。かつての情熱が蘇る。
程なくしてゴール地点を迎える。
過去、何度も走り抜いた距離。ゴールを過ぎる際に右手で左手首の時計に手を置き、ゴールと同時にタイムを止める。
ただの興味本意のタイム計測。当時と比べて、自分がどれ位劣ってしまったかをタイムで表したかった。
ただ、それだけだったのに…
「…な、なぜ?」
左手の時計に目をやり、ケイは驚愕した。
――――
「ピンポーンッ」
ある一室のアパートの呼鈴が鳴らされる。
その後、一人の男性がアパートの扉から顔を覗かせる。
「探しましたよ。教授。」
ケイが声を掛けた相手は、大学時代の教授だった。
「誰だ。」
「12年程前に、大学で貴方の講義を受けていた元生徒です。」
ケイの目の前にいた男性は、清潔とはとてもいい難い身なりをしていた。辛うじて髪は整えていたが何日も放置されたであろうヒゲは伸び放題だ。過去の面影は皆無だった。
「そうか、私に何のようだ?」
「聞きたい事がありまして。」
「わざわざこんな所まで来たんだ。まぁ、いい、入れ。」
そう言って男性は、辺りを見渡した後、ケイを家の中に招き入れる。
―――――
「ま、座れ。茶くらい出すぞ。」
そう言われケイは、促された場所に腰を降ろす。ケイの目の前には先程まで男性が見ていたのだと思われるテレビがついていた。
「この度、世界一の速さを持つ旅客機が明日から運用されます。日本の羽田からハワイまで僅か3時間での到着となり、これによりハワイ諸島はもう、近所と言って過言では無いほど身近になりました。」
そんなコメンテーターの発言を聞きながらケイは部屋を呆然と見渡す。
男性の部屋はワンルームのアパート。生活に必要最低限の物しか無い。
一介の大学教授にしては、質素過ぎる。
「で、何が聞きたい?それに私は、もう、教授でもなんでも無いのだが…」
そう言われたケイだが、驚きは無かった。
ある程度の想像はしていた。母校の大学で男性を尋ねたら、いないと一蹴された。何とか方方に聞き込みをし、居場所を知り、いざ訪れたらアパート暮らし。失礼だがこのアパートの外観を見ても、大学教授が暮らすような佇まいには到底思えなかった。それで薄々、教授を辞めたのだろうと憶測していた。
だが、なぜ目の前の男性は大学教授を辞めたのだろうか?
その疑問をケイは考えたが、今日訪れた本題は、それではない。
ケイはもともと聞きたい事を、目の前の男に話し出す。
「僕は、高校時代は陸上部でした。つい、この前にふと、高校時代の種目のタイムを計測しました。」
「それで?」
ケイは、暫く沈黙した後、言葉を発する。
「それで高校当時の自己ベストと同じタイムを出しました。信じられますか、当時から全くといっていいほど、運動をしていなかった僕が、高校時代、真剣に取り組んでいた当時と、同じタイムを叩き出したんです。この時計で計ったら…」
そう言って、ケイは一つの時計を指した。それは、最新のデジタル時計だった。
「何で私の所に来てまで、その話を?」
男性は、ケイに向かって若干、威圧的な声でそう言った。
「教授は地球の自転についての研究をしていましたよね?」
「私は、もう教授じゃない。」
男性は、そう言ったがケイは真剣な眼差しをそらすこと無く目の前の男性を見続ける。
暫くの時を経過し、男性が口を開ける。
「聞いても、後悔しないか?」
男性の質問にケイは、ゆっくりと頷いた。
その頷きを見て、男性は渋い表情をしたが、やがて「ちょっと待ってろ。」そう言って立ち上がりスマートフォンを手にし部屋の隅へと移動した。
―――――
「はい、すみません。少し、体調がすぐれませんで。こほっ、こほっ、えぇ、はい。よろしくお願いします。」
部屋の隅で男性は、電話をしていた。時折、咳をしていた。
また、見える訳もないのに、頭を下げながら電話をする。
「はい、すみません。こほっ、失礼します。」
ケイは、咳をする男性を見て、多少、不安になる。そういえば、久しぶりに、見た男性の顔色はお世辞にも良いとは言えない。
何かしらの病でも患っているのだろうか?
「咳、大丈夫ですか?」
電話を切り、戻ってくる男性にケイは声を掛ける。
「ん?仮病だ。仮病。今日、夜勤だったんだがシフト変わって貰ったんだよ。」
どうやら、男性はこの後、仕事だったらしい。それを休む為に、風邪を引いたふりをしたのだろう。
「次も話せるとは限らないからな。仕事くらい休むさ。覚悟は良いか?」
ケイは、男性の発言に何か引っかかったが、再び頷いた。
――――
「地球が自転しているのは当然知っているよな。一回転すれば、それが一日になる。ここまでは良いな。」
「はい。」
「その全世界の一日、時間の基準がロンドンの天文台だ。そこを基準に全世界の時間がデジタル時計に電波を届ける。」
「はい。」
「少し前にデジタル促進の首脳会議が行われた。それにより、先進国は勿論、途上国まで便利にはなったのは、間違いないだろう。」
ケイは要点を得ない男性の話をただ、黙って聞いていた。
「80年前の戦争。日本には被害は無かったが、原子力発電所が壊され、その後、核が落とされた。」
それは、世界史の授業で習った事だ。
その国の電力供給を断つため、敵国は事もあろうに原子炉を破壊した。それにより、放射能でその地域は汚染。だが、対するその国は、防衛に長けていて、それでも敵国に対処した。
何年も戦争が続き、やがて敵国は核爆弾を落とす。
「また、各国の大震災による津波の被害。これにより冷水が必要のだった為に、海岸線に作られた原子力発電所の崩壊。放射能漏れ。」
「すみません。貴方が何を言いたいのかが分かりません。」
ケイは素直にそう、目の前の男性に言う。
だが、男性は淡々と話を続ける。
「そういった事象に地球の磁場が狂った。もう取り返しの付かない程にな。それを隠す為のデジタル促進法事だ。」
「はいっ?」
驚くケイを余所に男性は棚から一つの丸い物体を持ってケイに見せる。
それは、古い時計。
ケイが昔、祖父から譲り受けた時計にそっくりだった。
「僕も持っています。」
ケイは慌てて鞄から懐中時計を取り出す。ケイの手の中にある時計は、今もチクタクと音を鳴らす。ケイは、この時計の摘みを定期的に回していた為、あれから一度も止まったことは無かった。
男性がケイに見せた時計も同じリズムでチクタクとなっていた。
2つの古い時計と一つのデジタル時計。
これを見比べると、どちらの時計が狂っているか分からなくなる。
「分かるか?所詮、多数決だよ。数が多い物程、信用度が高くなる。しかも、各国が推奨しているデジタルだ。誰も疑わなくなる。」
「最近の異常気象が、いい例だ。太陽が登る方角は?」
「それくらい分かりますよ。太陽は東から登って西に沈むんです。」
男性の問にケイは即答する。だが、その答えに男性はさらなる疑問をケイに問いかける。
「どうやって調べるんだ?」
そう言われケイは、持っていたスマートフォンを出し、今いる場所のマップを表示させる。
丁度、この部屋に差し込む夕日がベランダへの窓から見える。
「ほら、今沈む夕日の方向が西だから、真逆の東が太陽の登る方角です。なに分かりきった事を言うんですか?」
ケイは、スマートフォンに表示されたマップの方位を男性に突きつける。
男性は、それを見て笑いながら目を閉じる。
それが一般的な回答だ。何一つ間違っていない。そういう教育をこの国は行っている。いや、この世界全てが行っているのだ。
だが、男性はケイの答えに全否定をする。
「それもデジタルだ。」
―――――
「ケイー。ご飯だよ。」
「ありがとう。」
あの元教授の男性の話を聞いてから、20年が経った。ケイは結婚し地元の島に戻り、今は農業を行っている。
男性との話をケイは誰にも言っていない。いや、言えるわけがなかった。知ったところで何の得もない。
「今日は、ケイの育てたレモンでドレッシングを作ってみたんだよ。最近、日照時間が変わらないのに熟れるのが早いんだよね。」
「どれどれ、うん、甘酸っぱくてうまい。」
夫婦二人だけの生活で子供はいない。その分、貯えができ、たまに夫婦二人で旅行に行く。
「ねえ、見て。凄いねぇ。」
ケイの奥さんはテレビを見て楽しそうにそう言った。
「今回も無事に、月での調査が終わった模様です。宇宙飛行士達は、3日かけ地球へと戻ります。無事に戻ってくれば、国内宇宙船で50回連続の成功となります。次のニュースです来月から運行が開始され…」
意気揚々と言葉を発するコメンテーター。
「もしかしたら、生きてるうちに月旅行が出来ちゃったりして。」
ケイは目を閉じ答える。
「それは楽しみだね。」
~完~
「あぁ、そうだ。くれぐれも "地球 自転 遅くなる" とかでネット検索しないように。あれもデジタルだから…。」