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騎士と悪魔の輝ける日々  作者: 玲島和哲
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宣告

 謁見の間には多くの人々が蠢いてざわついていた。ほとんどの者が、誰かしらと会話を交わしている。皆が不安に苛まれていた。ある者はあちこち歩き回っている。誰かが部屋に入ってきたかと思うと、また出ていく。慌ただしい様子をしていた。


 そんな中、王座には国王が座り、その隣には王子が立っていた。落ち着きながらも堂々とした態度で、この場にいる者達に視線を注いでいた。段差を降りてすぐ横のところには、ギュボアーとラジュアが不安と心配そうな表情を浮かべて立っていた。


 ラジュアはヘグラルを連れてくる際の負傷の処置のため、頭に包帯を巻いていた。二人とも会話はしなかった。そこから少し距離を置いた場所にヘグラルとボゴロフの代表一人が、居心地の悪そうな様子をして立っている。


 ──最初に何かに気付いたのはギュボアーだった。俯かせた顔に、何かに気付いたように目を開いて前を向いた。その時点で誰もいなかった王座の正面に、黒い物が発生した。ある程度の大きさになった時点でほとんどの者が気付き、辺りは一気に静まり返った。動きを止め、じっと注視していた。


 よく見ればかなりの勢いで回転していることが分かる黒い物体は、等身大にまで大きくなっていく。そして、そこから大きく翼が開かれたかと思うと、イエーグナの姿が現れた。


 巨大な翼、落ち着いた表情、床から少しばかり足を離し、軽やかに浮いている姿……その様には、これまでにはなかったはずの威厳を感じさせるものがあった。目の前にいるにも関わらず、誰の手も届かない場所にいるような、孤高の威厳が、そこにあった。背は変わっておらぬはずなのに、異様に大きく見えるようだった。


 皆が息を飲む。彼女のただならぬ様子に、大なり小なり、皆が感付いていた。そして──角度によっては見えぬ者もいたが──彼女の抱いている者にも、注目が集まった。こと、ギュボアーとラジュアは、衝撃を受けたように目を大きく見開いていた。


 イエーグナは、リベジアンを横抱きしていた。腕は下に垂れ、頭はイエーグナとは逆の方をわずかに向いている。その目も口も閉じていた。


 その場は正に、水を打たれたような静けさだった。何が起こったのか、自分が何を見ているのか。分かっていないか、理解の追い付いていない、あるいは理解を拒もうとするものもいた。


 理解できた者の中には、あらゆる最悪の展開を予期し、頭を抱えんばかりであっただろう。全ての者が張り詰めた糸によって繋ぎ止められていた。確実に千切れることが約束された糸によって。


「──力を、取り戻したのだね」


 始めに口を切ったのは国王だった。彼だけが、いささかも変わらぬ態度を見せていた。それを聞いて、イエーグナは小さく微笑んだ。


「父が私に残した力だからな」


「……君が抱えているのは」


「見ての通りだ」イエーグナは遮るように言った。


「君に、力を渡した者がいたはずだ」国王が言った。「誰が彼女を……?」


 国王はそこで言葉が切った。平静に振舞おうとしながら、どこかで、見ている者が信じられぬという様子である。


 イエーグナは、静かに俯くと、


「……リベジアンを殺したのは私だ」


 イエーグナは言った。一瞬、周囲がざわついた。イエーグナは構わず、


「私がリベジアンを殺した」


 その語調に、自らに言い聞かせるような調子があるのに気付く者はほとんどいなかった。


 そう言った後、イエーグナはリベジアンの身体を自らの魔力で浮かし、ラジュアの方へと、流れるように移動させた。ラジュアが思わず両手を差し出すと、リベジアンの身体はその上に乗った。その重みを受け止めた瞬間、自ら止めようとする間もなく、ラジュアの目から涙が溢れた。そのすぐあと、彼女に悲しみが溢れ出してきた。


「あっ……あっ……」


 ラジュアの口から悲痛の声が漏れていく。落とさぬように力を籠めつつ、震える身体を止めることが出来ない。膝から崩れ落ちそうだった。


「私は、魔王ディグジーズの子供だ」イエーグナは言った。「生まれた時から今この時に至るまで、そしてこれからにおいても、私はディグジーズの娘、イエーグナだ。そうでなかった時など一度もなかった。永遠にそうなのだ。その事実は決して……決して変わることはないだろう」


 彼女がそれだけを言う間、ギュボアーが歯を噛み締めていた。誰かが、そんな彼女の様子がおかしいことに気付いた。ギュボアーの手に、魔力がボール状に現れていた。決して大きくこそ無かったが、その様子から、ただならぬ力を込めていることは明らかだった。


 ギュボアーは、怒りと悲しみのこもった叫び声を上げながらその手を前に出して、魔力による光弾を放った。イエーグナは顔を向けることなく、そちらに開いた手を伸ばして受け止める。


「!!」


 驚くギュボアーを尻目に、イエーグナは攻撃を打ち消した。イエーグナは伸ばした手をグッと握り、胸の前まで持っていく。


「落ち着け、魔術師ギュボアー」イエーグナは言った。「なるほど、あるいはこの場の皆が本気を出せば、私を仕留められるかもしれないな。しかし、お前はこの場を、死と流血の暗澹たる戦場に変えたいのか?」


 ギュボアーは絶望の表情で絶句したまま、油の切れた機械のようなぎこちなさで腕を下ろす。「仕留められるかもしれない」などと言われたが、確実に勝てぬことを悟ったのだ。


 イエーグナは再び国王の方を向く。二人は互いに視線を交わし、決して口を開こうとはしなかった。それだけで、二人だけの何かしらのやり取り──対立か、あるいは駆け引きか──が行われているかのようであり、誰も口を出すことがなかった。


「……十八年」イエーグナが口を開いた。「十八年の時を待つ。その間、私は一切、この国に手出ししない。リベジアンから『ギマルアール』を取り出し、しかるべき者に託し、十八年の時が過ぎるまでに、新たなる戦士を産み出せ。如何なる手をもってしても産み出せ。リベジアンに負けぬ程の……我が父に負けぬ程の戦士を産み出せ。そして……私を殺しに来い」


 誰もが息を飲んだ。一瞬、イエーグナの言葉の、要請の意味が分からなかった。イエーグナはそのようなことに気をかけなかった。


「全力で私を殺しに来い。確実に、絶対に、私を完膚なきまでに滅ぼせ。一切の容赦を退き、全力を持って、この世に塵さえ残さぬ勢いで、私を殲滅しろ」


 イエーグナは言葉を区切った。一瞬、微かに俯いたように見えたのは気のせいかと、国王には思われた。


「さもなくば、私がこの世界を滅ぼす」イエーグナは一切語調を変えず、重々しく言った。「灰塵と化す程に焼き付くし、無に帰するまで叩き潰す。この国の者の精神さえ残さぬ程に滅ぼし尽くす。容赦はしない。いかなる立場の者とも問わず、私は一切を滅ぼす」


 イエーグナの言葉を聞き、その場にいる者は皆、まるで死刑宣告を受けているかのように凍り付いていた。彼女の口調には、邪悪な、粘着質な重々しさがあった。


 先ほどから、この場の誰よりも恐怖している者がいた。ヘグラルとボゴロフが全身を震わせ、息が切れんばかりに喘いでいた。その目に涙が浮かび、膝が微かに折れ、今にも跪きそうであった。


「恐怖に堕するな」イエーグナが、顔を国王へ真っ直ぐ向けたまま言った。「勇気を奮わせろ。命を鼓舞しろ。決意を固め、信念を貫け。血を滾らせ、骨肉を鍛え上げ、一切の妥協を廃し、手にした力に全てを込めろ。誇りを絶やすな……道を切り開き、万感の思いを込めて刃を振り下ろせ。さすれば、あるいは……私に勝てるかもしれないな」


 イエーグナは笑った。不敵な、しかしどことなく儚げな笑みだった。ヘグラルとボゴロフは口を小さく開けて彼女を見ていた。先程までの震えも恐怖も止まっていた。


 誰も言葉を返さない。皆が一心に、彼女に視線を向けるだけだった。イエーグナは見回すこともなく、ただただじっと、国王を見つめるだけだった。


「……君の父親は侵略が目的だった」国王が口を開いた。「君は、滅ぼすことを標榜するのかね?」


 その問い方には、恐怖も怒りも滲んでいなかった。もう少し落ち着いて聞けば、親身になっているとさえ言われたであろう調子であった。


「……そうだ。滅ぼすのだ」イエーグナは振り返る。「私は全てを滅ぼす。何一つ残さぬほどに」


 イエーグナは決然とした調子でそう言った。その言葉を機に、初めて周囲から、嗚咽の様な物が聞こえ始めた。絶望と悲嘆によるそれである。誰一人、その場で何も言うことが出来ないでいた。


 ……もはや用は済ましたという様子で、イエーグナは国王らに背中を向けた。一瞬のざわめきと共に、回りの者が二歩三歩と後ろに下がる。そうして開かれた道を、イエーグナは歩き出した。


「──イエーグナ」


 声を発したのは王子だった。イエーグナを除いたほとんどの者達が、彼の方に目を向ける。国王は、あのいつもの平静な、冷酷とも言えそうな鋭い目つきのまま、彼女の背を見つめていた。


「確実に……確実に、我々はお前を滅ぼしてみせる」


 その強い言葉は謁見の間を、疾風のごとく駆け巡った。その場の数人は王子を見たまま、数人は、王子と魔王の娘を、見比べる様に視線を行ったり来たりさせていた。


 イエーグナはその場に立ちすくみ、彼らにじっと背を向けたまま答えない。その場にいる者らは、何かしらの反応を待つように、彼女の方を見ていた。


 イエーグナは振り返った。その顔には微笑みが浮かんでいた。挑発するような不敵さを表そうとしたのかもしれない。しかし、そこにはどこか、仄かな謝意と切なさが籠っている様に見えた。


 その顔が多くの者に見られるのを防ぐかのように、イエーグナは巨大な翼で自らの身体を包み込んだ。卵の様な形を成したそれは、そのまますぐに、弾ける様に消え去ってしまった。


 その場は静まり返っていた。誰も口を開かなかった。しかしやがて、誰からか、一気に沸き立つようにざわめきだした。恐怖と怒りと哀願と、騒ぎは沈痛にして重々しかった。ある者は涙を流し、ある者はその場に崩れ落ちた。大臣数人はこの自体を、国民に対してどう処理をすべきかを、絶望的な様子で考えていた。


 国王はその様子を見ながら、やはり平静な様子をしていた。沈思するようにそっと目を閉じる。その姿は、先ほどのやり取りにも拘らず、何か一つをやり遂げたかのような落ち着きが見られた。


 すぐにそっと見開き、息子である王子の方に目を向ける。王子はいつの間にか、喧騒とした人々に背を向けた状態で立っていた。普段から、そして先ほどと同じように、その表情は変わっていないはずだった。


 それにも拘らず、国王には、そこに数多の、言葉にし切れぬ表情が見えるような気がしてならなかった。


 国王は目をギュボアーとラジュアの方に向ける。


 国王は特に、ラジュアの抱えているリベジアンの姿に視線を向けた。額に黒い物体が詰め込まれている。まぶたも口も静かに閉じたその死に顔は、実に安らかだった。






 人家の建ち並ぶ通りの中で、一際小さな建物に、シルビーが一人、暗い部屋の中で机を前に座って、新聞を読んでいた。


 彼女の家は、入り口からすぐの所に居間があり、机と椅子、台所とトイレや本棚がついていた。あと一室あり、そこが寝室や音楽を聴くことが出来るようになっていた。一人で住むなら狭い方が良いという彼女の威光によって、こういう形になっている。


 シルビーはイエーグナ脱走の号外を読んでいた。リベジアンがどういう目にあったかも載っている。その顔には心配そうな表情が浮かび、不安そうに唇を噛んでいた。


 その時、玄関の扉を二度叩く音がした。


「はい」


 新聞を畳んで机の上に置き、気を取り直そうと顔を撫でつつ立ち上がって、シルビーは扉に近づく。いつもなら返事がない時、彼女は覗き穴から来訪者を見るのだが、気持ちが落ち着かぬために、いきなり扉を開いた。そこには誰もいない。少し顔を出して右左と見てみたが、やはり誰もおらず、そっと扉を閉じて席に戻る。


 机の上に、一枚の写真が置かれていた。


「……」


 シルビーはそれを取り上げる。いつかリベジアンやイエーグナ、そして友人らと撮った集合写真であった。その左上の端には小さな穴があった。シルビーは目を見開く。そっと裏を向ける。そこにかかれたものを読みながらしばらく、彼女はじっと動かなかった。


 ……やがて、それを表に向けてそっと机の上に置いた。仄かな明かりの射す暗い部屋の中で、彼女は小さく項垂れる。写真に一滴二滴と、涙が零れ落ちた。

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