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騎士と悪魔の輝ける日々  作者: 玲島和哲
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忌々しい程清々しい

 イエーグナは階段を、息を上げながら駆け上がっていく。誰もおらず、足音ばかりが響く。ある一段に転けそうになったが、そのまま駆け続けられた。階段の終わるところに扉が見えた時に、特に意識することもなくその足を速めた。扉を開くのに、躊躇うことはなかった。


 そんな彼女の目にまず映ったのは、一人のフードを着た男だった。片腕がなく、全身を震わしつつ、苦痛と憤怒の凄まじい形相を浮かべて、自らの足元を見つめていた。その足元に目を向ければ、少し距離を置いたところに、彼のものと思しき腕が落ちている。そして……


「……」


 イエーグナは当初、自分の見ているものが理解できなかった。誰かが倒れているのは分かった。それが人であることも、女であることも、騎士であることも……しかしその顔を見て、見慣れ過ぎているほどに見慣れているはずの顔が、誰か分からなかった。


 ……より正確に言えば、それが誰かを、リベジアン・アミールで認めることが出来なかった。


 思わず倒れそうになっていることに気付き、その身を扉で支える。自分の中に何か浮かんでいるにも関わらず、それが何かが分からなかった。空白、虚無、空洞……近いものを挙げるとすれば、明らかにそれらだった。


 イエーグナは真っ直ぐ立つと、歩き出した。その気配を察したゲルガルアはそちらを向くと、先程の表情が嘘かと思われるほどの笑みを浮かべた。


「イエ……」


 彼女に近づこうとした時、ゲルガルアは足の力が抜けたようにその場に座り込んだ。イエーグナは顔色一変えずに近付いていく。ゲルガルアの前に立つとすぐ、片手を地面について苦しんでいる彼など目もくれず、リベジアンの方を向いた。


 身体は横向きに向いており、腹に大きな、額に小さな穴が空いている。口が小さく開いており、細く開いた目は虚ろだった。



 イエーグナは、ただじっと見つめていた。


「既に息の根は止めてあります」ゲルガルアは、苦しそうに立ち上がる。「無様な姿をお見せして申し訳ありません。久し振りにこうしてお会いできて感激の極みです」


 イエーグナは答えない。微動だにすらしない。その真っ新とさえ表現できそうな表情からは、何を考えているのかを把握することが出来ない。


「腹を貫いたにも関わらず、反撃で私の腕を斬り飛ばしてきました」ゲルガルアが言った。「貫いた腹から流し込んだ毒で動きを止めている間に額を撃ち抜かなければ勝てなかったでしょう。憎むべき敵ではありますが、僅かながら敬意を表さざるを得ません」


 ゲルガルアは言葉を切り、イエーグナの様子を窺う。やはり反応がない。


「イエーグナ様」ゲルガルアは少しばかり声のトーンを落として言った。「この者はディグジーズ様の怨敵にして仇でもあります。私としても、打ち倒さぬわけにはいきません」


 イエーグナの手が微かに動く。ゲルガルアは気が付かない。


「イエーグナ様。失礼ながら、何故こちらに来られたのでしょう」ゲルガルアが言った。「無論、思いの丈はどうあれ、力を得るためではありませんか? 今、力は私が利用していました。しかし、渡そうと思えば今すぐ即座に渡せます。お父様の悲願たる世界侵略を再度実行に移すことも出来るのです。迷う時間はありません。お父様のお力を、引き継いではいただけませんか」


 ゲルガルアのその語調と態度には、確かにイエーグナに対する敬意と忠誠がはっきりあった。しかし、そこにはどこか、浮かび上がりそうな疑念を押し込もうとするようなところがあった。事実、その物言いは、どことなく強引とも言えた。思った反応がやはり見られぬため、ゲルガルアにも多少、疑念と焦りのようなものが湧いてきた。


「……ゲルガルア」


「! はっ!」


 イエーグナの沈みそうな小さな声での問いかけに、ゲルガルアは少々大袈裟に反応した。


「私が嘘をあまり好かないことは知っているな?」イエーグナはゲルガルアを見る。「リベジアンが私をどうすると言ったかを言え」


 彼女は、もしかしたら特に意識しなかったかもしれない。しかしイエーグナの瞳は、突き刺すように鋭かった。ゲルガルアはなんとなく、圧されるような感覚を覚えずにはいられなかった。


「……イエーグナ様を、連れて帰ると言われました」ゲルガルアは逡巡しながら答えた。「どんなことがあろうと、あなた様を守ると」


 ゲルガルアは恐れた。この言葉が、イエーグナにどういった効果を発揮するのか。彼は、イエーグナがリベジアンとどういう関係を築いていたかを知っていたのだ。しばらく、イエーグナは何も答えなかった。


 しかし、やがて小さく笑いだした。喜びとは表現しがたいその乾いたような笑いには、どことなく不気味な、そしてまた邪悪さが仄かに籠り、それは、岩石のように固い笑みを、ゲルガルアに浮かばせた。


「私を守るか」イエーグナは笑いながら言った。「死んでしまっては何も意味がない。最早私を守れない。私がアーリガルでどういう目に合っているか知っているだろう? 今思っても胸くそが悪くなる」


 吐き捨てるようにそう言うと、イエーグナは手を差し出しながら、ゲルガルアの方を向いた。


「父の魔力を」イエーグナが言った。「その力は、私に強大な力を与えてくれるのだろう?」

その声音の重々しさ、その笑みの邪悪さ、その尊大な態度……全て、ディグジーズを彷彿とさせるそれに接した時、ゲルガルアの固い笑みが、歓喜によって和らいだ。


「その通りでございます、イエーグナ様!」ゲルガルアが言った。「私などのような者が使うよりも、その血を受け継ぐ者にこそ相応しい力でございます! 少しお待ちください! お父様が託されるとした御力、全てお渡しします!」


 ゲルガルアは昂った調子でそう言った。そして、自らの片手を取りに行き、それを切り口に合わせる。紫色に光った後、手を離すと、それはくっついていた。そして、両手を器型にして互いに向かい合わせる。力こそ入った様子はないが、全集中をそちらに注いでいるかのように、それを見下ろしている目付きは力強かった。両手も微かに震えてもいる。


 やがて、両手の狭間に紫色の魔力が、円状に発生した。片手で持てるかどうかの大きさにまでなると、ゲルガルアは泡でも飛ばすように、そっと前に押し出す。魔力はゆっくり動き出し、イエーグナに向かっていく。


 子供を迎えようとするように両手を小さく開いているイエーグナの顔には笑みが、期待に妖しく浮かんでいた。魔力は、彼女の胸辺りへと付着すると、そのままその中へと入り込んでいく。


 魔力を吸収し終えた時、イエーグナは何かを堪えるように両肘を曲げ、両手を握りしめ、頭をうつむかせる。その体勢のまましばらく動かなかったため、ゲルガルアはすこし心配そうな表情を浮かべた。


 しかし、やがてイエーグナは息を吸いながら大きく背伸びをすると同時に両手を真っ直ぐ伸ばす。そして、大きく息を吐いたかと思うと、再び笑い声を上げ出した。


「凄い……凄い……これがお父様の力か……凄い……!」


 イエーグナは高らかに声を上げて笑った。邪悪な歓喜に満ちた、何一つ迷いを感じさせない明朗な、力強い笑い声に、ゲルガルアは再び笑みを浮かべた。満面の、歓喜の、何かをやり遂げたものが浮かべる笑顔である。


 ……次の瞬間、笑い声を上げた勢いをそのままに、イエーグナはゲルガルアの腹を左手で貫いた。


「!!? なあぁぉぉぉぉ……!?」


 あまりの衝撃に声を上げようとしたゲルガルアの顔を、イエーグナはもう片方の手で掴んで口を塞いだ。彼の目にその顔を近づける。


「ゲルガルア……」イエーグナは囁くように言った。「貴様は私や父上を尊敬していたな……その働きを称えて、貴様を我が一部にしてやろう」


 次の瞬間、イエーグナの身体から爆発するように黒い魔力が発生し、ゲルガルアの身体を飲み込んでいく。


 当初こそ、ゲルガルアは驚いた様に目を見開いて、身体を微かに震わせていた。しかし、やがてあと少しで飲み込まれ尽くすという時、その顔に満面の笑みを浮かべた。そして、それからさして間をおくこともなく、主イエーグナに飲み込まれていった。


 ゲルガルアを飲み込んだ魔力は、そのままイエーグナの中へと戻っていく。言葉通り、自らの中にゲルガルアを取り込む形となった。その顔からは、既に笑みはない。冷えきったような冷たい目付きを真っ直ぐ向けていた。


 ……やがて、それを下に向ける。視線の先にはリベジアンの身体が元の位置のまま倒れていた。ただ事ではない騒動を前にして、死は飽くまで不動だった。リベジアンは何も答えない。


 イエーグナは決して動こうとはしなかった。ただただじっと、リベジアンを見つめるばかりである。触れようとすらしない。リベジアンの細く開いた虚ろな瞳は、生前に浮かんだのであろう、本当に微かな涙に、光が宿っていた。それが、先ほどまで彼女が生きていたことを示す、唯一の印だった。

 

 ──空は既に、忌々しい程清々しく晴れ渡っていた。

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