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騎士と悪魔の輝ける日々  作者: 玲島和哲
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 イエーグナの外の出ない日はそれからも続いた。仕事のある日はそれに集中し、無い日は本を読むか、剣術の練習に顔を出した。以前のように仲良く接してくる者もいたが、以前以上に、不信感や嫌悪感の様なネガティブな態度を、より分かりやすい形で示す者も現れた。


 遠くからイエーグナの方を見ながら何かを話している者達、視線を感じて振り向くと即座に顔を背ける者達に出くわすことが、彼女の神経を過敏にしていった。

彼女はある日、たまたま一人で道場の近くを歩いている時、二人の知り合いが、彼女について話しているのを聞いた。


「──親からイエーグナと関わるなって言われてんだよ」


 会話の途中だったらしく、その前に何を言っているかは分からなかったが、自分の事が話題になっていると分かった瞬間、彼女の意識は否が応にも、その二人の方に集中した。


「俺も。ぶっちゃけうざいよな」


「ああマジで。別にあいつ、危なくないよな」


「なんか最近、あいつ関係でギスギスしててさ。なんか嫌だわ」


「それな。もっと余裕もちゃあ良いのに……」


 ……二人がそんな会話をしながら歩いていくのを、彼女は隠れるように身をひそめながら、見ていた。


 こうした会話は、最初聞いた時こそ、イエーグナにとって喜ばしいものだった。しかし次第に、彼女は一つの懸念を抱いてしまった。


 ああした、自分に対して未だ親しみを持っている者達が、もし彼女が往々出くわす、あの悪意ある……いや、それ以上に、自らを拒絶する様な言葉が言葉を吐き出したら……


 彼女は自らがその様な事を考え、より重い、身が凍えるような気分を味わうことに驚き、また自己嫌悪に陥った。自分の気が付かぬ間に、自分が思った以上に弱っている事を知り、また、彼らに対するそうした発想自体が、彼らに対する侮辱していることを自覚したからだ。


 彼女の様子を心配したメイド長のサキミは、時折長期の休みをそれとなく提案したりもした。メイド長の心配を察したイエーグナは、その心遣いと提案に感謝を感じつつも、彼女らしい態度で断った。


 ……リベジアンといる時、確かにイエーグナの気持ちは癒された。恐らく、誰と接している以上に、騎士の存在は、悪魔にとっての救いにはなっていた。しかし、その癒しも救いもリベジアンと接した後しばらくまでしか続かなかった。


 イエーグナの置かれた状況や、それによる彼女の精神的負担もその理由だが、何より、イエーグナはリベジアンに、自らの苦悩を相談できなかったことが、より大きな理由であった。そのような相談をすることが、彼女の生来の誇り高さが彼女に羞恥を感じさせ、足踏みさせてしまっていた。


 相談するくらいなら、自らの手で乗り越えようと、イエーグナは頑迷に決心してしまっていた。


 リベジアンはリベジアンで、イエーグナと過ごした日々の中で、彼女の事を充分に、十分すぎる程に理解していた。彼女が自らの事を、決して自分に相談をしないであろうこと、無理に聞き出そうととすれば、頑として跳ね除け、下手をすれば自分をさえ拒否してしまいかねないことが分かっていたのだ。


 リベジアンはひたすら、彼女がどこかで自分に、その胸の内を告白してほしいことを望んだ。誰の目に見ても、イエーグナの心理的、精神的状況が良くなっているようには見えなかったのだ。


 ──彼女のもとには、時折料理や酒が届けられることがあった。料理はルブルクールから、酒はモルドラックから贈られたものであった。また、楽器店に注文したマンドリンには、その指南書も同封されていた。


 こうした届け物は彼女を喜びで満たしはしたが、やはり癒すことは出来なかった。彼女の出入りを拒絶する看板や、彼女に対する辛辣な論評に偶然することもあったためである。彼女に対するこの相反した反応、行動、視線は、彼女をどんどん追い込んでいった。


 そんな彼女には、時折数通ほどの手紙が届くことがあった。誹謗中傷や何かしらの怪しげな団体からの勧誘などもあり、そうした物はほとんど他の者により確認された上で捨てられていたが、善意の手紙も無いではなかった。


 特に当たり障りの無さそうなものは、彼女の元に届けられた。見知らぬ誰かの善意など、どういった意図が、どういった打算があるか分からぬために、彼女はどう反応すればいいのか分からなくなっていた。


 ある日、彼女の元に一通の手紙が来たとして、同僚の、あまり親しいわけではないメイドに渡された。彼女はしぶしぶ、その手紙を受け取った。


 その時、手紙を受け取った姿勢のまま、イエーグナの動きが固まった。


「渡したよ」


 そのメイドは、彼女の反応など気にもかけずに振り返り、歩き去っていった。普段から好意的でも無ければ、彼女の素性にも気にかけない者の、要するに無関心さの現れであった。


「……イエーグナ?」


 リベジアンに声を掛けられてハッとしたイエーグナは、それが極力態度に出ぬよう、自然に彼女の方を向いた。


「ああいや、ごめん。知らない人からの手紙だから、もらうのが変な気分で」


 ──部屋に戻り、座った椅子でそれを読んだ。内容はありきたりな励ましのもので、暖かくはあるが、特に感銘にも印象にも残るものではない。リベジアンもイエーグナに誘われ、後ろから覗くようにそれを読んだ。


 手紙の投稿者は果実か何かを育てているらしく、雨の日も雪の日も耐えて実る赤い実のエピソードも記載されていた。苦労の報われることの例として記載されたそれもまた、特に感動するほどのものでもなかった。


 とはいえ、ありがたいものでもあったため、捨てるのも忍びないということで、机の中に納めておくことをリベジアンが提案し、イエーグナは同意した。


 それからのイエーグナは、やはり表面的には、いつも通りに過ごしていた。が、彼女の態度の機微を把握出来るようになっていたリベジアンは、彼女がどことなく迷っているような、躊躇っているような態度をふいに示すことがあった。それはほとんど一瞬であり、他人に気取られることは全く無かった。


 そんなある日、やはりそういう表情を見せたかと思うと、彼女はそのまま、額を右手で軽く抑えたまま、リベジアンに声をかけた。


「なんだか頭がボーッとする……」


 リベジアンは彼女の額から彼女の手を退かし、自らの手を当てた。特に熱があるわけでは無い。

「もし必要なら、医務室に行っても良いが?」


「う~ん……」


 イエーグナは迷ったあげく、リベジアンと共に医務室に出向き、診察を受けた。しかし、これという症状が見つからなかったため、とりあえずベッドで眠って様子を見ることにした。

「──疲れているのかもしれないな」リベジアンが言った。「今は気を張らず、ゆっくり眠った方が良い」


「うん」イエーグナは弱々しく頷いた。「……リベジアンはさ、今からどっか行く?」


「ん? いや、特には」


「じゃあさ、私が眠っている間も、ここにいてよ」


 リベジアンは微笑んだ。


「もちろんだ」


「うん」イエーグナは天井を見上げた。「……あとさ、調子が戻ったら、ちょっと街を散歩したいな」


 ──このイエーグナの希望は、数日して叶えられた。二人は当て所なく、主にイエーグナが思いのままの場所に出歩いた。時折例の看板が見られたが、二人は気付かぬふりをした。


 ある人通りの少ない所、塀を囲った建物に通りかかった時、塀の上から木が波のようにはみ出ていた。そこには赤い実が生っていた。リベジアンはふと、いつか読んだ手紙が仄かに浮かんだ。


 イエーグナはその木に手を伸ばし、赤い実を一つ取って、口に含んだ。


「おいおい」


 リベジアンは苦笑しながら注意を促す。イエーグナは、少しばかり顔をしかめた。


「甘酸っぱい。少し酸っぱい方が強いかも」


 イエーグナが無邪気な笑顔で言った。その笑顔に絆されて、リベジアンも一つ、赤い実を取って口に含んだ。イエーグナの言われた通り、それは少し酸っぱさが強かった。


……ふと、急激な眠気に襲われ、リベジアンは倒れそうになった。一瞬、なんとか踏み止まることは出来たが、身体が重くなっていき、どんどん沈んでいくようだった。地面に膝をついたものの、意識がぼんやりし過ぎていて、そうとは気付けなかった。一気に霞がかった視界に、背が高くなったようなイエーグナの立っている姿があった。


 リベジアンは全てを察した。しかし、どうしても彼女を攻める気持ちが浮かばなかった。なんとなく、いつかはこうしたことが起こる気がしなくもなかった。イエーグナはいつ、自分にこうしたことを仕掛けようと思ったのだろう。


 いつだったか彼女が受け取った手紙が関係しているのだろうか。頭がぼんやりするといったのは、自らの様子がおかしいことを誤魔化す為だったか。そうした行為は、彼女をさらに危うい状況に追い立ててしまうことを思い、リベジアンは懊悩した。


 薄れゆく意識とぼやけた視界を、なんとか必死にイエーグナの方に向ける。どんな表情をしているか、明確に把握は出来なかったが、その表情は悲壮そのもののように見えた。


 ……リベジアンはこの時、彼女と出会った時の事を思い出した。ディグジーズの敗退後、人間達の中にいることを「怖い」と言いながら、周りの者に対し挑発的な態度を取っていた彼女の事である。


 その矛盾した彼女の態度は、リベジアンから見て、彼女に関する中で一番危うさを感じさせるものだった。最近こそ見られなくなっていたこうした傾向が、いつの間にか彼女の中でぶり返したことを思った。


 そうなってしまった理由は、胸が重くなるほどに察することが出来た。意識が薄れていく中でイエーグナのことを思うと、悲しみが、無念さが、悔しさが、はっきりと浮かんだ。


 リベジアンは、イエーグナを守れなかったのである。


 頭が地面に着いたのを感じた。地面はなんとも冷たい。最後の最後まで、その閉じかけた目にイエーグナの足が見えた。ぼやけてはいるが、華奢な、そこら辺の少女のそれと変わらない。人が来るかも知れぬのに、イエーグナが最後まで、自分の姿を見届けるであろうと思われた。


 ──ここまで思うと、リベジアンの意識は、夢の世界に落ち込んだ。

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