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騎士と悪魔の輝ける日々  作者: 玲島和哲
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 楽器屋に立ち寄った二人は、店内をしばし見回った。イエーグナがマンドリンを取り上げて適当に弾いていると、店員がやって来た。チューニングと弾き方を学び、簡単な一節を教えてもらった。


 当初は当然のことながら、少々たどたどしくぎこちない弾き方で、止まったりタイミングがずれたりしたものの、次第に違和感が無くなっていき、最後にはほぼ綺麗に弾き切った。イエーグナは嬉しそうな、少し不器用そうな笑顔になってリベジアンを見た。


「どうする? 買ってみないか?」


 リベジアンの声を聞いた時、店員が微妙に、期待するような顔つきをした。


「う~ん」イエーグナはマンドリンを自分の方に向けて見つめる。「次の給料が出たら……売り切れたらもう買えない?」


 イエーグナは店員の方を見た。


「そんなことはありませんよ」店員が答えた。「もし売り切れましても、また注文も出来ますし、入荷次第連絡も致します」


「うん。じゃあ今度」イエーグナが言った。「気に入ったから。絶対に買うよ」


「ありがとうございます」店員は頭を下げた。


 二人が店を出た頃は、まだ日も高い昼間であった。イエーグナは、酒を少し飲みたいと言った。


「こんな時間からか?」リベジアンは尋ねた。


「なんかダメ?」


「この時間で飲むのは……」リベジアンは少し考えて微笑んだ。「まぁたまには良いだろう」


「そんなに飲まないよ」


 ──酒屋に入った時、疎らながらも人はいた。皆そこそこの歳の者ばかりである。入った彼女らをチラッと見ると、その中の何人かが席を立ち、店を出ていく。


「おい、お二人さん」


 入り口側を背に座っていたモルドラックが相変わらずの陽気な声で二人を呼んだ。その席には既に酒瓶と小さなコップが置いてあった。二人はその席に近付いた。


「こんにちは」


 リベジアンがそう挨拶し、イエーグナを壁側に行かせて二人は座った。


「珍しいな、この時間は」


 モルドラックの生温い息は、既に酒臭かったが、酔い方としてはそこまでだった。


「あんたもこの時間からいるんだ」イエーグナが言った。「……今日は仕事じゃないの?」


「休憩時間だよ」


 モルドラックは酒を呷る。


「いや、それって良いの……?」


「何! 仕事が出来れば問題ない!」


 呆れ顔のイエーグナの指摘にモルドラックはそう答えて派手に笑った。店員が注文を聞きに来た。


「コップだけにしときな」モルドラックが言った。「こいつを飲め。甘口でさっぱりしててそんなに酔わん。昼間にはぴったりだよ」


「じゃあコップだけで」


 リベジアンに注文を受けた店員は、頭を下げて、きびきびした動作で戻った。


「一人で飲んでんの?」


 イエーグナが質問したと同時に、店員が小さなコップを二つ持ってきてそれぞれ置いた。モルドラックはそれに酒を注ぐ。


「あとで来るんだよ」


「ふ~ん」既に酒を飲み干したイエーグナは、コップを差し出しながら言った。「すっぽかされたりして」


 モルドラックは笑った。


「すっぽかせるほどの度胸がありゃあ立派なもんさ!」


 モルドラックの快闊な答えを聞きながら、イエーグナは一杯飲み干した。


「どうだいリベジアン」


 モルドラックが酒瓶の口をリベジアンに向ける。


「まだ大丈夫です」リベジアンが答えた。「少しずつ飲んでます」


 リベジアンはコップを小さく、顔の前まで掲げる。


 モルドラックが酒瓶を引くと、その近くにコップを持った手が置かれた。見ると、イエーグナが既に頬を赤らめ、目をとろんとさせていた。モルドラックは笑った。


「美味いだろ」


 モルドラックは酒を注ぐ。


「……誉めてやるよ」とイエーグナ。


「生意気を言いやがる」


 モルドラックはまた豪快に笑った。イエーグナはまた一気に飲み干した。コップを机に置いて、目を閉じて笑みを浮かべつつ、気持ち良さそうに息をついた。


 ……その時、彼女らの席の前に、男三人が立った。リベジアンとモルドラックが見上げ、イエーグナは開いた目をそちらに向ける。三人とも、どんよりとした険しい表情をしている。赤らんではいるが、さして酔っているとは思えない。


「……なんだい、あんたら」


 モルドラックが問い掛ける。ただならぬ雰囲気を察知したリベジアンは、イエーグナの方を向いた。


「もう行かなくては。モルドラックさん、お金を……」


 リベジアンが立ち上がろうとした時、真ん中にいた男が、手に持っていた新聞を机の上に、投げるように置いた。リベジアンの動きが止まる。それは、イエーグナの存在を問題視している新聞だった。


 そこには、かなりの数の人の名前が記載されている。丸で囲まれたその名前を見た。知り合いではない。しかし、何者かは充分察せられた。そして、今いる男達が誰かも、丸で囲まれている意味も分かった。


「……嬢ちゃん」真ん中の男がイエーグナのほうを見て言った。「ここに書いてある名前を言ってみてくれよ」


 男は丸に囲まれた一人の名前を指差す。腰を少しだけ前に折り、頭をうつむけ、両手を握っていたイエーグナは一瞬、目だけそちらに向けたが、すぐにそらした。


「……なんなんだ貴様ら」


 モルドラックは威嚇するように言った。その近くに立っていた一人の男が彼を睨み付けると、彼もまた睨み返した。


「私達は今すぐ出ていきます」リベジアンは決然と言った。「そこを退いてくれませんか?」


 中央の男は、リベジアンの方を見た。見開いた目は、相手を威嚇するような勢いである。


「……英雄様、何か勘違いをされてませんか?」男は言った。「あんたの功績がどうであれ、好き勝手やって良いということにはならん。なぜこのガキがこの店で飲んでる? なぜこんな幸せそうにしてる?わしらの息子はどうなったと思う?」


「──お客様、どうか落ち着いて……」


 止めに来た店長の胸ぐらを、左側にいた男が掴んで睨み付ける。


「既に伝えてあるはずです」リベジアンは言った。「すでに外に出る許可は取ってあります。そもそも、彼女は先の戦線には加わっていません。ディグジーズの城で大人しくしているところを捕らえられました。そして国民の意思によって、他の捕虜ともども生きています。そして、彼女は今日に至るまで何も……」


「そんなことを言っとるんじゃない!!」男は叫んだ。「わしの……わしらの息子達はクソのような侵略者に殺されたのだ!! そのクソガキが、なぜわしらと同じ街で暮らし、同じ店に入り、同じ酒を飲んでる!? 暮らす家すらない、家賃さえギリギリの者がいる中で、なぜそいつが城で暮らしておるのだ!!」


「……!」


 何かを言い返したいような顔をしたモルドラックだったが、悔しそうに何も言えなかった。あるいは、思わず出そうになった手を抑えるのに必死だったのかもしれない。彼自身、男達の気持ちが、理解できないわけではなかった。


「彼女が城にいるのは……」リベジアンが答えにくそうに言った。「彼女はいわば、監視されている状態なのです。彼女は自由ではありません。私と共にでなければ、城の中でさえ自由にできないのです。それも説明されていることです」


「監視!!」男は嫌みたっぷりに言った。「城はいつから悪魔の為の監獄になった? なんとまぁ御大層な監獄だ!! 今別の牢屋にいる者も皆城に押しやりますか?」


「彼女自身は何の罪も犯していないのです」


 リベジアンは決して動揺しなかった。飽くまで凛とした目付きで、男を睨んでいた。


「……何故貴様は平然としていられる?」男はイエーグナの方を見た。「どんな気分に今はいるんだ。貴様のクソのような父親のために、どれだけの者が不幸になったと思う? それも考えずにへらへらしている貴様はなんなんだ?」


 男の問い掛けに、イエーグナはじっと座ったまま俯いていた。


「酒は美味いか? 飯は豪華か? ふかふかなベッドでどんな幸せな夢を……」


「我々は帰ります!」リベジアンが語気を強くして言った。「そこを退いてください!!」


「そこに書かれた名前を言え!!」


 男はイエーグナに向かって叫んだ。


 ……その後、誰も口を開かなかった。店内には重々しい沈黙が漂っている。誰もしゃべるどころか、飲みさえしていなかった。そんな時ちょうど、若い男女が四人ほど入ってきた。こちらに向かおうとしてきたため、モルドラックの関係者だろう。しかし、店内の異様な雰囲気を察してその場で止まった。リベジアンと男らは、互いに睨み合っていた。


──と、


「……あんたらの息子さんが死んだのは、兵士だったからでしょ」イエーグナが顔をうつむけたまま言った。「戦争に出向いた兵士が命を落とす。よくあることことじゃん」


「! イエーグナ!!」


 リベジアンが激しい勢いで振り返る。しかしそれとほぼ同等の速さで、怒りに眼を見開いた男はコップを取って、酒をイエーグナの顔に引っかけた。


「何を……!」


 イエーグナが勢い立ち上がろうとすると、男は更にその顔を右手で押しやって座らせる。モルドラックやその仲間達、店員の者らが三人の男を抑え、リベジアンは彼らに向かおうとするイエーグナを抱き締めて止めた。


「ふざけるんじゃないぞ、侵略者のクソガキが!! 死ねッ! 貴様なんぞ死んでしまえ!!」


「っ!!」


 イエーグナが前に近付こうとする力が強くなる。その目は怒りに大きく見開かれ、歯が力強く噛み締められている。


「落ち着け、イエーグナ! 落ち着け!!」


 リベジアンが必死に叫んで抑える。やがて、急にイエーグナの身体から力が抜けたかと思うと、リベジアンの抑える力も、足を踏み外した様に弱くなってしまった。その隙に、イエーグナはリベジアンを両手で押し退け、そのまま店の出口の方へと、早歩きで向かっていった。


「イエーグナ!!」


 リベジアンはその後を追った。店の者が皆、呆然とそれを見送る


「……!」


 モルドラックが中央の男を殴り倒した。男は尻餅をついて、殴られた頬を手で押さえながら、モルドラックを睨み付ける。それに対するモルドラックの目は、その握った拳で更なる追撃をしようと宣告せんばかりの激しい目つきで、相手を睨み返していた。


 酒が机の上から、床に点々と落ちていく……






「待ってくれ、イエーグナ……待ってくれ!!」


 リベジアンがイエーグナを追い掛ける。イエーグナはその肩に掛けられる手を何度も払いのけ、店と隣の建物の狭間に入って止まった。リベジアンに背を向けたまま、頭をうつむけている。


 やがて、片手を飲み屋の壁に掛けると、そのままもう片方も、掛けた。頭はうつむけたままである。少しすると、身体が微かに震え出し、鼻を啜る音が聞こえた。


 両唇を噛み、イエーグナは静かに涙を流していた。


「お父さん……お父さん……」


 呟くように漏れたその声はあまりに哀しかった。酔いによって、彼女の感情がよりまっすぐ現れるようになっているのが分かっている分、彼女の哀しみが重々しく感じられた。


 リベジアンは、どうすべきかを迷っていた。彼女の気持ちを慰める……あるいは寄り添う資格が、自らにあるのか分からなかった。彼女の父親を殺した自らに……


 それでも、彼女の小刻みに震える背中とその嗚咽は、彼女に何もさせずにはおかなかった。彼女は、イエーグナの背にそっと手を置き、優しく撫でた。今度は、イエーグナも拒絶することはなかった。

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