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騎士と悪魔の輝ける日々  作者: 玲島和哲
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ひび割れ

 ルブルクールに入ったイエーグナとリベジアンは、それぞれ注文を告げると、そのまま他愛のない話に、花を咲かせた。そんな時、急に催したイエーグナは席を立ち、手洗いへと向かっていった。


 手洗いは二人のいた席から少し離れた場所にあり、更に少し奥まったところにあった。難なく用を済ませ、席に戻ろうとした時、曲がってすぐの所にある席から男と女の声が、自分のことを話題にしているのを聞き、思わず足を止めた。


「今もまだ魔王の子どもって城にいるの?」と女。


「ああ、らしいね」と男。


「ヤバ。どんな暮らししてんのかな?」


「いやマジおかしいよな」と男は笑いながら、「一応大人しくしてるみたいだけどさ、なんか変なこととか考えてんじゃない?」


「それもあるけどさ、そもそも城で暮らしてるってことはさ、私らの金で暮らしてるってことだよね。マジ嫌なんだけだ」と女も笑った。


「いやもう出ていかせてほしいよ、城から。てかこの国から出てってほしい」


「いやでもほら、逆恨みとかで復讐されそうじゃない? なんか魔力? とかなんとか、戻されたらしいよ。最近もそれ使ってなんかしたみたいだし」


「やっば。その判断は無能過ぎでしょ。なんで戻したんだろ。何されるか分かんないじゃん……やっぱ死刑にした方が安全じゃない?」


「ひっど」


 笑いながら、さも罪もないような軽薄な調子で行われるこの会話を聞いていたイエーグナは、このタイミングで足を前に運んで、二人の前に姿を現した。


「あっ」


 女の反応に、男が振り返って視線を送る。イエーグナは彼らを見ることなく過ぎ去っていく。二人は目で彼女を追う。明らかに罰の悪そうな顔をしていた。


「──やぁ。遅かったな」


「……べつに」


 この時、二人の注文した料理が運ばれ、いつも通りの食事が滞りなく行われた。とはいえ、リベジアンは、イエーグナの態度がほんの僅か、しているか否かが判別しづらい程度の変化を感じないではなかった。二人の男女がこそこそ出ていくのを、見ることはなかった。






「──イエーグナ」


 同僚のメイドに呼ばれたイエーグナは、彼女の方を向いた。休憩室でのことである。


「調子悪い?」


「……ううん。なんで?」


「いや、なんか元気無いかなって」


「ああなんか分かる」一緒にいたボーイが同意した。「突っ込みにもキレがないし」


「何それ」イエーグナは小さく笑った。「……いつも通りだと思うけど」


「ふ~ん。そう」メイドが立ち上がる。「少し気になっただけだから。まぁでも、もしホントにキツかったら言ってよ」


「うん」


 イエーグナは、同僚が仕事に戻るのを見届けた。これまで物事を真剣に考えたことなど一度もなさそうな軟派なボーイの口にする冗談が、イエーグナを幾分気楽にした。その後は、周りの者にも、比較的違和感を与えない程度の態度で仕事に取り組むことが出来た。


 しかし、先ほどの同僚のメイドとのやり取りはイエーグナに、彼女の心のしこりをより強く意識させるようになった。そしてそれは、特に会話などが起こらない孤独の時に、より鮮明に、より強く、感じられるようになっていった。






 彼女がルブルクールで行き当たった、男女のああしたやり取りに類する様な物は、特に外に出る様になってから、常々ある程度向けられてきたような、嫌悪感、忌避、軽蔑の一種であった。よりひどい悪口や陰口をたたかれたこともあったが、以前なら特に気にもしなかった類いのものであり、事実、彼女はほとんど気に掛けたことのなかったものだった。


 にも拘らず、そうしたものに対して、彼女は言葉にし難い不快感を、その心に抱くようになっていた。それを最初に、明確に意識させられたのが、強盗を捕らえた後、誰かの視線が気になって見まわした時に出くわした、人々の視線だった。


 その不快感は一体何か。不快感そのものは、彼女がディグジーズの城で捕らえられた時から、リグリストと過ごすようになって以後もしばらくずっと感じていた。しかし、彼女の今感じている不快感は、その時のものとまるで変ったものになっていた。


 男女の会話を思い出す。すると、全身が何となく冷え、思わず息を上げてしまいそうになるほどの胸の高鳴るのを感じた。その感覚は、彼女の抱く不快感と地続きのものである。何かが失われようとする時の感覚にも似ていたが、それとも違う。


 それは、自分の居場所だと思っていた場所が突如露と消え、一瞬見知らぬような場所に立たされたような感覚。そして、自分の居場所と思っていた場所はまるで遠い星の様に、手の届かぬところで輝いている。そして今いる場所……そこが、本当にいるべき彼女の居場所であることを意識させられる感覚……こうした疎外感こそ、彼女の抱いている不快感を表現するのに、最も適したものだった。


 それは、彼女をまた別種の不快感に陥れた。そのような軟弱な、甘ったれた疎外感が自らに巣食っていること自体が、彼女の誇りにとって許しがたいものだった。彼女はそれを打ち消そうとした。しかし、それは打ち消すどころか、むしろ根深く彼女の中に根付いていった。


 彼女の疎外感は、誰かと関わっている時こそある程度解消された。厳密に言えば、意識されなくなった。しかし、身体が熱を持っているが故に、冷水がより冷たく感じられるように、疎外感が彼女の中で大きな存在感を表すのだった。


 また、誰かと接している時には感じない差異が、一人になって強く感じられる時もあった。彼女は人間と、正に人間の様に気軽に触れ合い、会話をし、食事をする。しかし、彼女は人間ではない。彼女は、侵略者の血を宿した異邦の人なのであり、接する相手は、正にその地を共有している者が侵略しようとした者達なのである。


 彼女の誇りもまた、その感覚をむしろ助長する形で働いてしまっていた。その感覚を許しがたいものに感じさせたはずの彼女の誇りは、また同時に、必要以上に他人と関わらせることを躊躇わせたのだ。

元々、気位の高い彼女は、あまり必要以上に他人と関わることを良しとしなかった。そんな中で、自らの孤独の感覚の解消の為に他人と交わろうとすることは、その感覚程でないにしても、彼女の誇りにとって許さる物ではなかった。


 彼女はいわば、土壺に嵌った状態だった。疎外感を解消しようと、あるいは放置しようと、それは彼女の中で肥大していくばかりだった。ある時など、牢屋にいた時の状態に戻りたいという思いにさえ駆られた。


 すなわち、警戒心に満ち、いささかも安心せず、彼女と向き合う者達全てに敵対心を剥き出すという、あの態度である。かつてこの態度は、確実に彼女を、ある方面において守っていたはずである。


 しかし、もう既に、そのような状態に戻れぬことは、彼女自身が一番よく分かっていた。そうした態度を持そうとすると、彼女の中に何かしら重い、どんよりとしたものが、彼女の気持ちにぶら下がるのである。


 そうした態度を取ろうとした時、彼女の頭に、共に働くメイドやボーイらが、街の幾人かが、道場の生徒らが、シルビーの顔が浮かび上がった。触れ合うことが出来ないはずなのに、しかしいつでも近しい存在。


 孤独であるはずの彼女を、孤独ではないのだと思わせる交流。あと少しで、あらゆる意味で触れ合うことが出来るのではないかと思わせてくれる者達……


 彼女は、その気持ちにぶら下がるものが何かが分からなかった。分かったところで、彼女は否定しようとしただろう。しかしそれは明白だった。彼女は恐怖していた。

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