戦争後
悪夢のような伝説が真実であったことが証明されたのは、三十年前のディグジーズ復活によってであった。太古の昔に出現したディグジーズは、アーリガル国を侵略すべく、持てる力のすべてを使い、襲来した。
決死の攻防を経て、ある賢人の一人がディグジーズを封印し、以後、魔王による侵略行為を阻止したというのは、アーリガルに生まれたものならば、どこかで一度は耳にしたことのある物語であった。
派生物を含め、数多の者に語り継がれてきた物語にも関わらず、その時までだれ一人として、それが事実であることを立証することはできなかったのである。
魔王との戦いは、熾烈を極めた。魔王と対峙した者達は次々に命を落とし、そうした中で生まれた魔力が『ギマルアール』であった。生み出される過程の影響で、どうしても利用できる者が限られており、選ばれたのがリベジアンだった。
長い戦争の間に、剣術とギマルアールの利用の鍛錬を課せられたリベジアンは、見事厳しい時を乗り越え、一人の騎士として、魔術師ギュボアー、剛腕の戦士ラジュアと共に、戦地に立った。
次々と敵をなぎ倒し、ギュボアーやラジュアの支援を得て、遂にディグジーズの城へ、そして彼のいる謁見の間へと単身乗り込んだリベジアンは、身体に無数もの傷を、そして左目を潰されながら、辛くも勝利した。
ギュボアーやラジュアら始め、兵士達が彼女の元に駆け付けた時、彼女は倒れていた。ディグジーズの姿はどこにも見られなかった。ラジュアがリベジアンを抱き上げた時、彼女はそっと目を見開き、静かに微笑んだ。
「勝ったよ……」
それだけを小声で残し、彼女は気を失った。
リベジアンと生き残った仲間達が、彼らの出身国アーリガル国における王都へと帰還した時の盛り上がりは一様のものでは無かった。安堵、歓喜、達成感は勿論の事、戦いに然勅を上げていた者は虚脱感を、家族や親しい者を無くした物は、改めて哀しみを感じた。
そうした事情故、傍目で見て、その涙がどのようなものであるか、区別をつけることが出来ぬ者もいた。決して一つに限定できない思いと感情の去来と渦によって、人々は思い思いの反応をしていた。
戦いに赴いた者は多数いたが、特に大きな役割を果たしたのが、リベジアン、次いでギュボアー、ラジュアの三人の女である。凱旋時には共に戦った兵士達はこの三人を中心にしており、国民も特に彼女達を惜しみない称賛を送った。
もし、国民がもう少し冷静であれば、多少の治療を施した程度の、弱り果てたリベジアンを見て、その戦いの凄惨さを感じたかもしれない。しかし国民はとにかく熱狂した。戦時に置いて抱いていたあらゆる沈鬱な懸念を吹き飛ばそうとするかの如くであった。
──リベジアン達を含めた兵士たちの本格的な治療は、王国に戻って即座に行われた。国の徹底的な保障の元、医療関係に携わっている者はもちろん、多くの国民もこれに協力した。幾人か、治療が功を奏すことなく、何人もの者達が悲しみに暮れた。
魔王ディグジーズを討伐したリベジアンは、治療後一週間目覚めることはなかった。命に別状はないと言われつつ、その眠る姿を見た者は、イマイチ信用することが出来なかった。実はもう少し眠ったままであろうと思われたのだが、彼女の目覚めは予定よりも早かった。
それは、彼女の病室で、若い男の看護士が花を活けている時の事であった。看護士が花を活けている最中、目を覚ましたリベジアンは、一瞬自分がどういう状態にあるのか理解できなかった。目が片方何かに覆われているが、少々不便を思いつつ、特段大きく考えなかった。
何となく緩慢に首を看護士の方に巡らせ、見慣れた青色の花を見つけ、半ば夢心地で呟いた。
「良い匂いがする……とても綺麗だ……」
その弱々しい声に驚いた看護士が振り向くと、片方に眼帯を付けたリベジアンはその花を見て微笑んでいた。看護士は早速、担当医を呼びつけた。
「──まさかこれほど早くお目覚めになるとは……私が分かりますか?」
驚きの中に喜びを交えながら、白髪交じりの小綺麗な担当医はリベジアンに尋ねる。彼女は上半身を立てていた。
「……まだ少しだけぼーっとするかもしれません……」
「そうでしょう、そうでしょう。無理もありません。こちらを握ってもらえますかな?」
担当医は、先端が白色になっている棒を看護士から受け取り、リベジアンに差し出した。彼女は先端を人差し指と親指で掴む。すると白色が少しだけ黒ずんだ。リベジアンが手を離すと、担当医はそれを目に近付ける。
「……これなら大丈夫。もう少しすれば、歩くことも問題無い程に回復するでしょう」
担当医の安心しきった笑顔は、その言葉を裏付けるようだった。
「それでは。看護士が定期的に来ますので、何かある時はいつでも呼んでください」
「はい……あっ、あのぉ……」
担当医が背中を向けて立ち去ろうとした瞬間、リベジアンが声を掛ける。担当医と看護士が振り返る。
「……お腹、空いたかもしれません……」
両手で腹を抑えつつ、リベジアンは恥ずかしそうに言った。
「あぁそうですな、確かにそうでしょう! 申し訳ないですな! すぐ持ってこさせますよ」
看護士と共に笑いながら、担当医が言った。
──器に入った透明の茶色のスープにパンを少し浸し、リベジアンは口に含んだ。パンの置かれていた容器は、ベッドを取り付けられた机に置かれている。ベッドは上半分が持ち上がっており、丁度背もたれの様になっている。
スープの染み込んだパンを、ゆっくり咀嚼しつつ、窓から外を見た。窓の向こうには建物の屋上の連なりが遠くまで見え、空は濃い青色をしている。
幾度も見た光景であるが、戦いの終わった今になって見ると、平和な気分を通り越して、どことなく虚しさを感じた。これはまた、彼女が真の意味で平和を享受しておらぬことも原因であったし、一つの目標がやり遂げられたことに対する空白感も影響していた。
「リベジアン」
リベジアンは声のした方を向く。ギュボアー、ラジュアの二人が彼女に近付いてくる。二人とも包帯をしているものの、特にこれといって大きな怪我はなさそうだった。少なくとも、日常、やり取りをしていた時の彼女達のままであった。
リベジアンは微笑むと、スープとパンを机に置いて二人を迎える。
「調子はどうだい?」
「まだ少しぼーっとする」リベジアンはラジュアの問いに答える。「二人は?」
「元気ですよ。ラジュアも私も、特に大きな問題はないと言われました」
「まぁしばらく様子見の為に、ここで生活をしなきゃならん」
「今までが今までだ……これから数日は、このベッドで無駄な時間を過ごしていたいな」
「そうだな。しばらくずっとここにいて、久しぶりに退屈だなと思ったよ。平和に感謝だ」
ラジュアの言葉に、リベジアンとギュボアーが笑った。
「とは言っても、身体が回復すれば国王に会いに行かなくてはなりません。恐らく祝祭もあるでしょうから、もうしばらくの辛抱でしょう」
「祝祭、するのか」
ギュボアーの言葉に、リベジアンが意外そうな口調で言った。
「話に聞くと、一応形式的にだけだとさ。皆盛り上がりたいそうだが、如何せん国を正常な状態に戻すのにかなりの時間も要するし、時間もかかるだろうから、そこまで派手なことは出来ないとさ」
「そうか……外には出たか?」
「えぇ。みんな忙しそうでした。ただ、今までと違って、活き活きともしていますけど」
「そうか」
リベジアンの口調は穏やかだった。
「今はまだ外には?」とラジュア。
「一応止められている。まぁ問題はないそうだが、しばらくは病院内を歩いて様子を見て、それからだと」
「そっか……また飲みに行きたいな」
「そうだな。ギュボアーも」
「落ち着いて飲める場所、ありますか?」
「えっ?」
「たぶん国民の皆さん。私達を英雄と見て大騒ぎしますよ」
ギュボアーは少し可笑しそうに言った
「あぁそれなら安心してくれ」ラジュアは言った。「秘密の飲み屋がある。そこでなら、誰にも邪魔されずに飲めるさ。忍んでいこう」
「まるで犯罪者だ」
リベジアンが言って、皆が笑った。
「英雄も犯罪者も、根っこの部分は同じかもしれませんね」
「まぁ両方人騒がせだしな」
笑いながらそう言ったラジュアは、ふとふと部屋の出入り口に目を向けた。彼女の担当医が顔を見せた。
「あぁ悪い、リベジアン。戻る時間だ」
「そうか」
「じゃあ私も」
「また来てくれ。あるいは、こちらから行くかもしれない」
「待ってるよ」
ラジュアとギュボアーが部屋を出ていく。それを見届けるリベジアンは、彼女達が出て言ってしばらくすると、ほっとしたように背もたれに身体を倒した。目をつむったその顔は安らいでいる。二人との会話の後味を、堪能するかのようであった。