街を歩いて
イエーグナと街中を歩いていく中で、リベジアンが何よりも気になったのは、通りすがりに向けられる人々の視線だった。ある者は分かりやすく、ある者はほとんど気付かれないように、視線を二人の、特にイエーグナの方へと向けるのだ。向けぬ者は数人程度と言って良かった。
そして、露骨に嫌悪を示すことこそ無かったが、明らかな困惑と懸念を示し、好意的なものはほとんど無かった。
こうした群衆の反応は、決して予期されぬものではなかった。イエーグナやボゴロフ、ヘグラルが生き残ることが出来たのは、いわゆる国民、民衆の、暴力的への嫌悪感によるものである。
そしてそれは結局のところ、彼らの生存を全的に許容することを意味しているわけではない。暴力的処置への忌避から、結果的に彼らの生存認められているに過ぎない。民衆はやはり、イエーグナを含め、ディグジーズの配下の者を、大なり小なり、恐怖しているのである。
無論、ある程度平和主義や生命尊重的な風潮がないわけではない。しかし所詮情緒的なもの以上のものを出ない。明確な目的意識に基づくものでなく、気持ちの上での選択でしかなかった。
それは丁度、ディグジーズとの戦争当初、国民多くの心の中にあった高揚感や勝利への意思を支えていた、明確な論理性のない、ふんわりと曖昧なものの延長線上にあるものでしかない。
こうした人々の反応に対し、イエーグナは表向き、気にしている様子を見せなかった。しかしそれでも、どこか緊張しているとは言えないわけではなく、表情としても固いものが無いでは無かった。
そんな彼女を見て、リベジアンはふと、彼女の首の後ろに腕を回し、反対側の肩に手を置いた。イエーグナはリベジアンに目を向ける。リベジアンが自らの方へ寄せようとしていたので、イエーグナもそちらに身体を少しばかり寄せる。
二人は、『ルブルクール』と看板を掲げた店に入っていった。
「いらっしゃい。あぁリベジアンさん」
「こんにちは」
二人に近付いてくる女店員にリベジアンは言った。四十代程もの、皺の刻んだ顔に威厳を感じさせる顔である。その威風はまた、彼女の引き締まった体によって、さらに強調される形になった。イエーグナは店を見回す。
かなりの年数が経っているのか、壁から床から天井から、かなり年期の入った様子をしており、客の方も、決して富裕層ではない庶民的な人物ばかりだった。話し声に混じって、カウンターの後ろから何かを焼いている時の弾けたような音や、お玉と中華鍋の触れ合う、鈍くも甲高い音である。
「お久し振りで。こちらがお噂の?」
女主人は、イエーグナの方を示しながらにこやかに言った。
「えぇそうです」
「そうですか」女主人は言った。「確か、お父様はかなり大きかったかと思うんですけど、お嬢様は小さいのですね」
女主人はこれだけのことを、まるで普通の親子の対比について語るように、実にあっけらかんと言った。そこには何一つ不自然さも無理した所も悪意もなく、彼女としても、何の疑念もなく表出した言葉だったのだろう。
聞いていた者が数人ほど噴き出して、顔をうつむけてしまった。リベジアンも思わず笑いそうになったのを、口の前に拳を持ってきて隠し、イエーグナは思わず呆然と、どことなく困惑した体を見せた。
「あ、お父様のこと、言わなかった方がよろしかった?」
「い、いや。別に……」
声を微妙に上ずらせつつ、イエーグナは答えた。
『ルブルクール』の女主人は基本的にどんな者にも偏見を持たない性格をしていた。それは意識的にそうしているというより、彼女の元よりの素質による物だった。
また、毎朝新聞を読むにも関わらず、恐ろしいほどに時勢に疎かった。また過ぎた事件に関しては、初めからその様な事件は無かったと言わんばかりの姿勢で、その事件当事者、特に加害者側に対して、気兼ねない態度を持って接した。
こうした要因により、彼女の客に対する態度は、時折無神経と思えるほど明け透けではあったが、そのあまりにあっさりした態度が、逆に相手を困惑させることにもなりながら、同時に自分のペースに巻き込むことにも成功するのである。
またこうした時、その絶妙な匙加減によって、本当に無神経な、相手に対して無礼になるような所まで踏み込まなかったりもする。
「さぁお二人とも。席がありますから、どうぞそちらにお座りください」
二人は女主人に誘われて、互いが向かいになる席についた。女主人は机の上にメニューを広げる。この時、メニューを初めての客でイエーグナの方に向けた。
「決まったら、呼んでください」
女主人はその場から立ち去る。その背中を見送ると、リベジアンはイエーグナの方を向いた。
「何か気になるのがあったら言ってくれ」
イエーグナは視線をメニューの上に這わせる。メニューの中のいくつかには写真が付いている。唇を尖らせ、何にしようか迷っているのを、リベジアンはじっと見ていた。
「……あんたはもう決まってんの?」
「もちろん」
「よく来るんだよね?」
「あぁ」
「何が美味しいの?」
「全部」
イエーグナは渋い顔をする。リベジアンは笑った。
「ごめんごめん。そうだな……」リベジアンは席から立って、メニュー表を上から覗くように見る。「これなんかどうだ?」
──リベジアンの前には、豚カツに味噌汁、漬物がセットになって載った盆が置かれ、イエーグナには目玉焼きの乗った甘口のカレーライスが置かれた。
イエーグナはカレーライスを見、そのまま視線をリベジアンにゆっくりと向ける。リベジアンは両手を合わせて小さく頭を下げる。割り箸を取り上げ、綺麗に二つに割った。それを使って何分割された豚カツの端の部分を更に小さくし、半熟の黄身と米と共に、口の中に運んだ。
それを一通り見届けると、イエーグナもスプーンを取り上げ、目玉焼きの黄身をそっと潰す。漏れ出したのを少し掬い、そのまま白身をスプーンの端で切りつつ一緒にカレーライスと共に掬い上げ、口に運んでいく。
ゆっくりと咀嚼していく。顔に出すことこそ無かったが、柔らかな白身と米の少しばかり粘着質のある食感は、黄身によってしっとりとなったカレーの味わいと共に一定の満足を得ていた。
当初、二人は黙々と食べ続けた。リベジアンが時折彼女に目を向ける以外に、特にやり取りらしいものは無かった。ただその一方、決して険悪な雰囲気というものでもなく、店の客達も、特に気にしなくなった。
「……意外に庶民的な店が好きなんだ」
口に含んだものを飲み込むと、イエーグナが口を開いた。味噌汁を飲んでいる最中だったリベジアンは、口から器を離して、汁を飲み込む。
「あぁ。子供の頃から通ってたんだ」
リベジアンは答えた。
「高級料理の店とか行かないの?」
「う~ん」リベジアンはすこし考える。「肩肘張る所が性に合わないんだろうな、少しばかり苦手なんだ。何より、長年通ってきたというのは強いよ。どれほど時を経て、糸んな所に赴いても、やはり思い入れが違う」
「ふ~ん。まぁどうでも良いけど」
イエーグナはカツを乗せたカレーを一口口に含める。リベジアンは小さく笑い、カツ丼を食べた。
……食事の後は街を回り、リベジアンはイエーグナをいくつかの店に連れていった。服屋をいくつか、鍛冶屋を一軒、本屋を一軒……
一番長く滞在したのは、やはり本屋だった。知識欲が高いのか、棚に収まった本を取り上げ、開いてはしばらくじっと読み耽るというのをずっと続け、ビニールで閉じられている物も、表紙、裏表紙を見て、どういった類いの書物かをリベジアンに尋ねたりした。
「欲しいものがあれば、買うのも構わないが?」
「う~ん……」
買うか否かの質問に、終始こうした態度を取りつつ、イエーグナは本を見て回った。以前のような、反社会的な人物の著作物や伝記のような物は手に取らず、主に魔術系統の物が多かった。
服屋に関しては、少し派手な、今風の服のものにはほとんど興味を示さず、一通り回るとすぐに外に出た。彼女はどちらかと言えば、黒系統の大人しめな服装を好んでおり、そういう店やコーナーには、じっとしばらく留まっていた。
ハンガーにかかった服を取り上げ、自分の身体に合うかどうかを見たりしたが、いざ店員に試着を提案されると、素っ気なく断った。
鍛冶屋に関しては、リベジアンの用事の為に出向くことになった。リベジアンとしては断られることも念頭に置いていたが、イエーグナは微妙に呆れつつ、彼女に付き合うことにした。
当初、リベジアンはイエーグナが退屈するのではないかと懸念した。しかし意外にも、鍛冶屋の様子は彼女の気に入ったのか、イエーグナは鍛冶屋の働いている様子をじっと見つめ、あるいは建物の中を何度も見回した。鍛冶屋自身も、ディグジーズの娘が店にいることなど構うことなく、いつもの堅実な、表情一つ変えない様子で、仕事を遂行した。
「──あ」
こうした店を回っている最中、イエーグナが前方に何かを見つけ、彼女に話しかけようとしていたリベジアンも、そちらに目を向ける。ちょうど、ラジュアとボゴロフ一匹が、店から出てきている所だった。向こうもこちらを向いて、気が付いたようだ。
「よ~、二人とも」
ラジュアが軽妙な声音で声を上げながら、リベジアンらに近付いてきた。ラジュアもボゴロフも、買い物袋を持っている。
「何してんの? デート?」
「お世話してんの」イエーグナが憮然と言った。
「イエーグナが世話をしてんのか」
ラジュアは気持ち良く笑いながら言った。
「イエーグナの外出許可が出たんだ」リベジアンが言った。「それでだ」
「なるほど……」
リベジアンとラジュアが話に花を咲かせている間、イエーグナとボゴロフは互いに向き合っていた。イエーグナは特に何かを訴える様子は見せなかったが──じっと見つめられているというのもあるのだろう──ボゴロフは微妙に畏まった様子だった。
「──それじゃあ二人とも」ラジュアが言った。「いつか遊びに行かせてもらうよ。その時はよろしくな」
イエーグナの方を見ながら、ラジュアは言った。
「退屈じゃなきゃあ別に」
「あぁ」
ラジュアが歩き出すと、ボゴロフもちょこちょこと、後ろをついて歩き出した。リベジアンとイエーグナは、そんな二人の様子を見守る。
「……!」
しばらく歩いていた時、ボゴロフは尻の辺りに何かをぶつけられた感覚を覚えた。立ち止まって、尻を手で押さえつつ振り返ると、イエーグナが片足を、地面に立たせたもう片方の足の太股辺りのところまで上げていた。
何かを察したラジュアも立ち止まって振り返り、イエーグナとボゴロフの様子を見て、おおよその事態を把握した。リベジアンも、小さく口を開けて呆然としつつ、次の展開を見守る。
……やがて、イエーグナは足を下げて地面に下ろす。
「デカイ図体してんだから、もっと堂々としたら?」
そう力強く言われたボゴロフは、頭の後ろに手をやって、ヘコヘコと小さく頭を下げる。イエーグナは呆れたような顔を浮かべ、ため息をつくと、
「……ったく」
そのまま振り返り、リベジアンの方に戻っていく。ボゴロフが頭に手をやったまま、少し前かがみになった状態でそれを見守っている。すると、ラジュアから背中を軽く叩かれた。彼女は微笑んでいた。
「堂々とだとよ。ボゴロフ」
ラジュアから、再びイエーグナの方へ視線を向ける。既にリベジアンと歩き出していた彼女は、振り返ることこそ無かったが掌を彼らの方に向けて手を振りながら、軽やかな別れの合図を送った。




