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騎士と悪魔の輝ける日々  作者: 玲島和哲
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掃除

 リベジアンらの部屋へ向け、ボーイが朝食を乗せた台を運んできていた。ドアの前に立つと、少し顔を横に向け、肘の内側を口に密着させて軽く咳き込むと、そのみ二回ノックした。


 反応して返ってきた返事はリベジアンのものであったが、すぐに出てきたのは無愛想な顔をしたイエーグナであった。ボーイは少しばかり驚き、気取られぬようにしつつも緊張した。


「これが朝食?」


「はっ? えぇ……今日の朝食です……」


 ボーイは、一瞬何を言われたかを遅々と理解しつつ首肯する。視線を部屋の中に向けると、リベジアンが小さく、懇願するような笑みを浮かべた。


「そ」


 そう一言返事すると、イエーグナは台に乗っている二つの盆を見比べる。少し間を置き、そのうち一つを持ち上げる。当初は両手で持っていたが、もう一つ持つつもりなのだろう、一方の手を離した。残った手でその盆を持っているのだが、微妙に震えており、安定しているとは言い難い。


「ひ、一つずつの方が、安全かと」


 その言葉を聞いたイエーグナがボーイを見る。内心の動揺をごまかすように、むっとした表情をしつつ、ボーイは笑みを絶やさない。


「……うん」イエーグナは改めて、もう片方の手を盆に添える。


「もう一つは、私が持っていきますよ」


 ボーイの方を向く時のイエーグナの動作は、思わぬことを提案されでもしたかのようだった。


「イエーグナ」


 呼ばれた少女は、リベジアンの方を向いた。


「手伝ってもらおう」


 イエーグナは少しうつむいて考えるような様子を見せた。


「……うん」イエーグナはボーイの方を向く。「お願い」


「畏まりました」


 返事を受けたボーイはもう一つの台を持って、先を行くイエーグナについていく。


「……おはよう」


「は?」


 盆を二つ、机の上に置いている時に、イエーグナが思い出したように唐突にそう言ったので、ボーイは思わずすっとんきょうに上ずった声で反応した。リベジアンはそのやり取りを思わず笑ってしまった。


 ──その日の朝食は、仄かに湯気が立っている白米に味噌汁、焼き魚、味付け海苔が二枚、白菜の漬け物があり、また器に卵が置いてある。醤油が一つ、用意されている。


「……なんだか見慣れない食べ物だけど」とイエーグナ。


「ん?」リベジアンはそう反応すると、「これは外の世界……海の向こうにある別の国から取り寄せた物だよ。味わいが独特なんだ」


 そう説明すると、それぞれの食べ物の名前を、彼女に教えた。


 イエーグナがじっと朝食を見つめている前で、リベジアンは器の角に卵を打ち付け、殻を割って中身を器に入れ、そのまま白身と黄身を箸で同時にかき回す。時折箸を器に当てる、小気味の良い可愛らしい音を立てつつしばらくすると、器の角に箸を叩いて置いた。


 そして今度は醤油を一周、円を描くように細々と注ぐと、再び箸を取り上げ、かき混ぜだした。微かに湯気立つ白米にそっと、かき混ぜて少しばかり黒みがかった黄色い卵をかけていく。


 そのままご飯をかき混ぜ始めた時には、またかと言わんばかりの、しかしまた少しばかり興味深そうな、何かを学び取ろうとするような表情で、イエーグナは、リベジアンが卵かけご飯に、細かく雑に割いた味付け海苔を振り掛けていくのを見ていた。


「こうして食べると旨いぞ?」


 そう言いながら、リベジアンは箸で白米を口に運んでいく。その様子をじっと見ていたイエーグナは、箸を取り上げ、自らもリベジアンのやったことを、彼女からアドバイスを受けつつ、同じように再現する……






 ベッドを取り込みに来たメイドの手伝いを終えると、今度はリベジアン付き添いで、バケツと雑巾を借りに行き、彼女との共同部屋を掃除し始めた。


 当初はリベジアンも手伝おうとしたが、素っ気ない調子で、一人でやることを宣告されたため、彼女は腕組をしつつ、イエーグナの様子を見守っていた。黙々と、しかし手際よく掃除していく様は、時折入ってくるメイドやボーイ達に、少なからず注目されることとなった。


 礼儀は当然弁えているので、さすがにジロジロ見ることはなかったが、振り向き様や視線を転じる際に、あたかもカメラを焚くかのように一瞬だけ視線を向け、その目に焼き付けた。控えに戻った後、それは小さな話の種となった。


 ──バイキング形式の昼飯を終えて部屋に戻っていくと、イエーグナは、何か掃除の出来る場所はあるかを聞いてきた。


「うむ。そうだな……」リベジアンが右手を口に持っていき、少し考えた後、「それなら、メイド長に相談してみよう。何かしら仕事がもらえるかもしれない」


 そうして早速掛け合ってみると、メイド長は目に見えて嬉しそうな反応を示した。


「それは素敵な申し出です。では、お言葉に甘えて手伝ってもらおうかな」


 イエーグナは、付き添いのリベジアンに加え、指導係に任命されたメイドの指導のもと、いくつかの部屋と指定された範囲で、廊下の掃除を行った。メイドは当初、多少の緊張感を持って、どうすれば良いかを指示していた。


 しかし、リベジアンが共にいたことと、イエーグナ自身が、言われたことに反抗することもなかったので、終わりがけの頃には、メイド側もさして気にすることもなくなっていった。当初からよろしく無かった態度も、メイドとイエーグナの年が、少なくとも見た目においては近そうにも見えたため、ほとんど気にならなかった。


 掃除をしている最中のイエーグナについて、リベジアンの見るところでは、決して楽しそうにも見えず、意欲溢れるというわけでは無かったものの、真面目にこなそうという意思自体は感じられた。


 言われたことはもちろん、分からぬことはしっかり聞き、返事もしっかり返していた。少なくとも、自分に対するよりも素直では無いだろうかと思い、リベジアンは微かに苦笑したりもした。


「──楽しかったか?」


 大きく息を吐きながら、自らのベッドに座ったイエーグナに、リベジアンは尋ねた。リベジアン自身あまり気付いていないが、彼女の語調には自然、何かを期待するような調子すらあった。すなわち、イエーグナの、出来ることなら前向きな反応である。


「……楽しかったって言ってほしい?」


「つまらなければ、そう言ってくれても構わない」


 そのあまりに堂々とした口振りに、イエーグナはうんざりしたようにため息をついた。同時に、組んだ足に膝を置いた手で顔を隠してしばらく黙っていたが、やがて、その手を少しずらして口だけ隠し、顔を窓の方へ向けつつ、


「……それなりに」


「そうか」


 リベジアンは嬉しそうに微笑んだ。その夜はいつも通り過ごしつつ、イエーグナの方はぐっすり眠った。






 その翌日から定期的に、同じ様に掃除をして過ごした。場所を変えつつ、最初は様々な部屋や廊下を掃除していき、綺麗にしていった。指導に当たったメイドが驚いてリベジアンに言ったことだったが、イエーグナは黙々としつつ、基本汚れを残すことがほとんど無かった。


 恐るべき丁寧さを持って掃除に当たっており、メイドは、イエーグナが実は、自分が生かされていることか何かに、感謝でもしているのかと疑った。


「あまり、彼女にそういうこと……つまり、掃除が丁寧だっていうようなことは言わないでほしいんです」


「何故です?」


「まぁその……照れ屋なんです。誉めると、逆にやらなくなるかもしれませんから」


 数日経つと、イエーグナ専用のメイド服が用意された。


「よく似合いますよ」メイド長が言った。「それだったら、いくら汚しても大丈夫だから」


「……別に、気にしてない」


 とは言うものの、イエーグナはその服を着て掃除を行うようになった。


 当初は城の中がほとんどであったが、しばらくすると、庭にある花壇の世話も任せられるようになった。流石に広いので、やはり範囲は決められていたが、肥料から水やりに至るまで、言われた通りに行っていき、そつなくこなしていった。






「──ここの記述についてなんですけど、これは恐らくゲラスニア伯爵の……」


 休憩時間になった魔術研究室にて、ギュボアーが話し掛けていたヘグラルの一匹の方を向くと、彼はあらぬ方を向いていた。そちらに向けると、メイドやリベジアンに付き添われて、研究室を掃除しているイエーグナの姿が見えた。


 他のヘグラル達も気になるのか、遠くから、あるいは通り過ぎる際に、ちらっと目を向けたりしている。恐れているのか驚いているのか、いまいち掴みかねる表情ではあるものの、緊張していることには間違いない。


「……大丈夫ですか?」


 問われたヘグラルはギュボアーの方を向くと、彼女の微笑んでいる顔とぶつかった。


「いえ、その……」


「今はリベジアンもついています。気にせず、作業を手伝ってくれると、嬉しいのですが」


「あぁ、はい。申し訳ないです」


 そんなやり取りを尻目に、別の一匹のヘグラルがイエーグナに目を向けると、たまたま顔を上げた彼女の視線とぶつかった。


「!」


 まずいと思ったヘグラルだが、そんな時に視線をそらすことが無礼であることを把握していた彼は、視線をそらすことはしなかった。


 イエーグナは特に表情を変えることなく、そちらの方へ歩いていき、特に話し掛ける様子も見せずに、彼の隣を通り過ぎる。ヘグラルは思わず、彼女を視線で追った。彼女は足を止めてまた机を拭き始めた。


「用があるなら言えば?」イエーグナは視線を向けずに言った。「休憩するなら休憩する……私のこと、ずっと見とく?」


「! い、いえ……別に……それじゃ」


ヘグラルは小さく頭を下げて、そそくさとその場から出ていった。

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