ひと悶着
リベジアンとティクスが、それぞれの定位置について向かい合う。二人とも両手に刀の柄を持ち、リベジアンは刃先を斜め上に、相手の方へと向け、ティクスは左斜め下に刀を向ける。
「······始め!!」
審判の掛け声と同時に、リベジアンが駆け出す。そして、一気にティクスとの距離を詰め寄る。掲げた刀をティクスの頭から振り下ろす。ティクスがすぐに反応して横に逃れると、リベジアンはそちらに向きながら、同時に刀を横に勢いよく一振する。
ティクスは身体を一歩後ろに下がってそれを避けつつ、今度は刀を斜め上から彼女に斬りかかる。リベジアンがそれを受け止めると、そのまま刀を引く勢いで身体を時計回りに一回転させて、反対側から彼女に横振りで斬撃を加える。
リベジアンは多少の苦労を表情に現しつつも、それをまた弾いて防いだ。そしてまた、彼女が刀を高々と掲げて、一直線に振り下ろすと、あと少しというところでティクスはそれを避けた。二人は再び向かい合う。
ここまで息を飲むようにして、試合に釘付けになっていた周りから、どよめきのような物が起こった。本来であれば、もっと盛り上がりもしたであろうが、観客にも相応の作法が求められる。例え心からのものであれ、大声で盛り上げることは、品位に欠けるとして、例え練習試合でも禁止されていた。
ただ一人、審判を除いて冷静だったのがイエーグナである。組んだ足の太ももに肘を軽く乗せた左手で、頭を支えるように頬づきながら、しかし何かを見定めんとするかのように、試合を見ていた。見たところ、実力的に大きな差があるわけではないが、それでも違いはハッキリと分かる。
太刀筋の速さは、ティクスが一歩だけ上回っていた。動きは小さく出すも引くも素早く、攻防いずれにせよ、常に次の一手に出られるようになっていた。先程の、本来であれば無用な動きとも思える、身体を時計回りに回転させた時、一瞬何が起こったのか分からなかったのも、その速さによるものであった。
それに対し、その大人しそうで華奢にも見える身体つきにも関わらず、リベジアンの太刀筋はとにかく力強かった。一撃一撃が、岩でも鉄でも断つと言わんばかりの勢いで斬りにかかっている。リベジアンが相手の攻撃を直接刀で受け止めるのに対し、ティクスが彼女の斬撃を極力避けているのも、その差であるのだろう。
再び二人が刀を交える。最初はリベジアンから一太刀縦に振る。それが横に避けられると一瞬動きを止めた。そしてティクスが攻撃を仕掛けたところを更に仕掛け、横に一振りする。リベジアンの一瞬の静止にタイミングが微妙にズレ、更なる攻撃への反応が遅れたため、ティクスは左手にかすり傷に当たる攻撃を受ける。
しかし、当のティクスはそのようなことに頓着する様子も見せず、むしろ更に引くと思われた身体を前に飛び出させ、左斜め下から刀を振り上げる。受け止めるには間に合わぬと判断したリベジアンは後ろに引いたが、それでも左側の脇腹を斬られてしまう。しかしリベジアンも同様、決して怯む様子を見せずに突っ込んでいき、一気に三度、相手に斬りかかる。
ティクスはそれを、初めの一太刀は刀で、その力強さを耐えようとするような必死の顔をしながら受け止めつつ、次のはすぐ後ろに引いて避けるも、最後のはリベジアンから少しばかり後ろに跳ねて避けた。そして着地すると、リベジアンが彼の方を向くのとほぼ同時に彼女の方に向かって、刀の刃先を上向けつつ、突っ込んでいく。
先程のリベジアンとは比べられない数の攻撃を加えていく。リベジアンはいくつかを受け止め、いくつかを避けていく。そして時に後ろにジャンプして距離を取ろうともする。しかし、ティクスが猛スピードで彼女に近付き、追撃していく。
ギリギリに避けるのがやっとで、反撃に出る隙を見つけられずにいた。その身に、少しずつ刀身が擦っていく。決定打が決まらずとも、これ以上受けて、時間切れまで持っていかれてしまえば、敗退は間違えない。
そうした状況の中、彼女は一つの賭けに出た。
ティクスが、上から下へと刀を下ろす瞬間、リベジアンは自らの左腕を突き上げ、そのまま刀を受け止めたのだ。
「!!」
一瞬驚いたティクスは、すぐに腕から刀を抜いた。しかし、そのほとんど一瞬とも言える隙に、リベジアンは大木でも斬らん勢いの一太刀を、彼の首めがけて浴びせた。手応えはあった。
丸ごととはいかなかったが、かなり深く入ったはずである。明らかに、頸動脈をも斬っているはずである。審判から「止め」の合図もなかったので、生きているという判断なのだろう。しかし、少なくとも制限時間が来る前に、決着はつくはずであった。
ティクスはそれを察して、冷静な顔つきであったが、柄を両手で力強く握り、リベジアンに向かっていく。リベジアンもまた、柄を両手で握る。勝利の確信などという油断など一切見られない。
ティクスからの攻撃を受け止めてからの攻撃など、明らかに敵を倒す事を目的としたそれであった。ティクスはそれを避け、再び斬りにかかる。二人の斬り合いによる応酬が起こる。
再びどよめきが起こる。その応酬は、しばらく長い時間続くのでは無いかと思われた。
──しかし、
「止めっ!!」
審判の掛け声に、二人の刀は止まった。
「二人とも元の位置へ!!」
言われた通りに戻っていった二人は、再び向かい合う。刀を鞘に収める。
「勝者リベジアン! 互いに礼!!」
二人は頭を下げ、すぐに上げると、面を取り上げる。
「良い試合だった。私の完敗だ」
この言葉に笑顔を浮かべたリベジアンは、再度頭を小さく下げた。
瞬間、周りで静まっていた生徒達は一気に盛り上がって、二人の方へと近付いていく。男女問わず二手に別れて、それぞれの選手を労ったり、戦いの感動を伝えていた。イエーグナに話し掛けた気弱そうな少女は、リベジアンの方に向かっていたが、集まった群生の後ろに、近付こうとしてちょこちょこ跳ねていた。
イエーグナは足を組み、両手を後ろにやって床につきつつ、さして興味もなさそうな目付きで、その様子を見ていた。ふと、気弱そうな少女がいたのとは反対の方向へ目を向けた……
「──お前!! 何やってんだよっ!!!」
突然響いた叫び声に驚いた皆が、一斉に目を向ける。そしてそのまま、一人の少年が怒髪天をついたような表情を向けている方向へ、追い掛けるように視線を転じた。
その様な叫びなどまるで耳に入ってなどいないかのように、イエーグナは鞘からも、生徒達全員に提供されている練習用の模擬刀を抜いて、刃先を上に掲げた刀身を、流れるような視線で見つめる。
肘を曲げて刀身を顔に近付けて見る様子など、光を受けて白く閃くそれから、何かを探り出そうとするかのようだった。少しして顔を離したかと、今度は腕を真っ直ぐ伸ばし、刃先を前に向けた。
模擬刀とはいえ、人を打てば充分凶器となる。緊張に固くなった生徒達の中から、息を飲む音がする。何をしているのか、何を考えているのか、その場にいるほとんどの者には分からなかった。そんな中、ティクスは冷静な、落ち着いた表情をしてそれを見ていた。
「……すまない。通してくれないか?」
イエーグナから目を逸らすことなく、真っ直ぐな目を向けていたリベジアンがそういうと、振り向いた幾人かが道を開ける。彼女はゆっくり歩きだし、人の群れから出る瞬間、
「すまないが……」
と言って、気弱そうな少女に自らの刀を差し出す。少し焦り気味に少女が受け取るのを、握っていた手に感じると、そのまま手を離した。
リベジアンが自らの前に立つと、イエーグナは目だけをそちらに向ける。刃先は真っ直ぐ前に向けたままである。その姿勢は不遜とも見え、さもすれば挑発と受け取られかねない態度である。
「……イエーグナ」リベジアンは静かに口を開きつつ、掌を上にして手を差し出す。「その刀を返すんだ。興味深いのは分かるが、鞘から刀身を抜くのは、この場において誉められたことじゃない」
イエーグナはじっと、リベジアンの手を、そしてその顔に、じっと視線を注いでいた。それに対し、リベジアンは飽くまで、平穏な態度と表情で、彼女を見つめ返していた。
その様子を見ているほとんどの者が息を飲み、気弱そうな少女はリベジアンの鞘に収まった刀を、重ねた両手で力を込めて握りつつ胸に置いて、不安そうに見ている。
その中で、ティクスは落ち着いた態度で、二人の様子をじっと見つめていた。平静な、何事が起きても対処が出来るというような様子である。
……やがて、イエーグナは鞘を取り上げると、少々不器用ながらも、そこに刀身を納めていく。
「誰の?」
「ん?」
「これは誰のかって聞いてんの」
リベジアンは振り返り、怒りの表情をしている持ち主の少年を見ると、身体をイエーグナの前から避け、彼女にもその少年が見えるようにした。イエーグナは、大して興味もなさそうな顔をしながら、刀を少年に向かって下投げした。少年は焦りつつ、身体を少し前にやって、それを両手で受け止めた。問題なく受け取ると、ホッと一息ついた。
「他の連中は皆持っていったのに」イエーグナが口を開いた。「手にされるだけで怒っちゃうほどのものを、その場に置いて離れていくの? あんたって」
「何っ……!!」
イエーグナの言葉によって誘発された怒りの表情を、少年は現した。唇の後ろからでも分かる程度に、悔しそうに歯を噛み締めている。
それに対し、イエーグナは太股に肘をつけた左手で頬を押さえながら、やはり憮然とした表情で、それを見返している。何か口を出すべきかを探るかのように、リベジアンは二人の顔を見比べていた。
……と、
「皆」
端正な声に引かれて、その場にいた者達はそちらに目を向ける。ティクスが真っ直ぐ、イエーグナを見ていた。
「今先程見たものは、決して他言しないこと。それを約束してほしい。それからブルッグ」
ティクスに呼ばれたブルッグという少年は肩をピクッと反応した。
「君も、刀を置き忘れたことには反省をしなければならない。この場に置いてだからこそ良かったけれども、もし別の場所で、イエーグナとは違う、悪意ある第三者が手にしたらどうするつもりだい?」
ブルッグは、言い返せぬことに口惜しそうにしつつ口を閉じる。
「今回の件は、今後こうしたことを起こさぬようにするための教訓として、いかしなさい」
「でも先生」何かを思い付いたかのように、ブルッグは言った。「いくらその場に置かれていたからって、鞘から刀を取り出しても良いんですか?」
「その事については……」ティクスはリベジアンの方を向く。「しっかり忠告を、してくれる者がいるだろう」
そう言って微笑んだティクスに対し、リベジアンは小さく頭を下げた。
「すまなかったね、イエーグナ」ティクスが言った。「少し騒がしくしてしまった。あまり、気分を害していなければ嬉しいけど」
「もう終わりなの?」
「ん?」
「試合はもう無いのかって聞いてんの」
「あぁ、もう終わりだ」
イエーグナの相変わらずの態度に対し、ティクスは飽くまで平然とした態度で答える。
「そっ」イエーグナはリベジアンを見る。「さっさと着替えて。部屋に戻りたいんだけど」
「えっ? あ、あぁ……」
少しばかり焦り焦りしているリベジアンを他所に、イエーグナは立ち上がって、歩き出した。
「外で待ってる。扉口のガラスから、他の連中が私のいるかどうかを確認できるから、それで安心できるでしょ?」
そう言って、特に返事を聞くことなく、イエーグナは道場から出ていった。その場にいたほとんどの者が、ポカンとした表情をして、そしてリベジアンは疲労を感じさせる苦笑を漏らしつつ、彼女の背を見送った。




