0―6 追憶②
乱暴な菜切りの時間が始まった。
吹き出る大量の血とともに、けたたましく絶叫した。
後、口から泡を吹き、芋虫のように痙攣する。
「アドレナリンでも出ているのか? いや、もしや……」
雄臣は妹の名を口にして朦朧とした意識が途絶えないよう努める。途絶えたら殺されるという一心で。途絶えたら死んでしまうという一心で。
「みそ、の。みそ、の。み……そ、の――」
「味噌? いや、誰の名だ?」
言って、もう一輪切り。
「ふっ、ぐあああああぁぁぁあああああ!」
切れ味のいい鉈はいとも容易く骨ごと切り落とす。
「やはりお前、こっち側か?」
「なんの、はな――いっぐぁぁぁあああああああああああああああ!」
輪っかになった脚が一つ、二つ、三つ……。
「……もう斬るところがなくなったぞ」
無茶苦茶、滅茶苦茶に分割された自分の脚。
脚を斬られて計八分割。両脚はすべて輪切りとなっていた。
「ぁ、ぅ――。ぁ――み。の」
「いや、まだ腕が残っていたか」
男は趣向を変えてきた。
雄臣の背中をゴミのように踏み付け、腕を両手でがっちり掴むとそのまま……力づくで球根を抜くみたいに引っこ抜いた。
「あ、ぐっ、ぁあああああああああああああああああああああああっ!」
関節が抜けてマグマのような熱い奔流が腕から噴き出す。雄臣の身体は問答無用に解体されていく。まるで畑の農家によって収穫される大根だ。輪切りにされて引っこ抜かれて。ああ、それでは作業工程が逆だな、なんてどうでもいい。でもどうでもいいことを思わないと、OKASIKUNARU。
「もう一本だ」
「やめろやだやだああぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
喉が焼けるくらいの絶頂。
殺すための拷問よりも酷い殺さないように嬲る拷問。
雄臣は胴体だけになっていた。
自分でも生きているのが不思議なくらい酷い有様。こんなことなら殺されてしまった方が良かったくらいに。
「っ―ぁ、み、そ……の」
「ああ、大根の味噌漬けは美味しいよな。それはともあれ……」
だが死にたくない。死にたくなかった。
「まだ息があるのか。死体遊びはもう飽きた」
男はもう逃げられないのに俺を組み伏せた。
「だれ、か、たす――け」
「ふん。助けなど来ない。助かるとも思わないだろう」
急所である脳味噌に、再度長い鋭突と化した鉄製腕を振り上げた。
「ム――」
だが男は自ら前言を撤回し、鉄の右腕を後方へ振り回した。
それはどこからやってきたのか。
地上から遠く離れた場所からミサイルのように男目掛けて飛来してきた眩しい光は、雄臣から男を剥ぎ取り、三十メートル後方へ吹き飛ばした。
「あ、ぁ……」
意識がぼやけてよく分からないが、男はこの地獄の地に降り立った光を冷淡に見つめている。今までの病的な目ではなく、的確に標的だけを確認するように。
「遊びに夢中になり過ぎた。本当は一匹拉致して後で楽しもうと思っていたんだが、なぜだろうな。人がわんさかいると全員殺したくなる。なあ、人間はゴキブリを平気で殺すだろう? それはゴキブリが勝手に人間の敷地内に入ったからで……、人間は無意識にゴキブリを下等生物として殺す。この場合、ゴキブリを平気で殺す人間と弱く簡単に殺されるゴキブリ、どちらが悪くて、どちらが救われるんだろうな」
だからこれまでの祖業を赦してくれとでも言うかのようになぜか謝るような物言いをした。
「……いい感じにイカレていますね」
感心しての言葉ではなく、軽蔑だけを込めた刃物のような声音。こんなひどい惨状にはそぐわない女性の声がした。
「赦しをくれないか」
「赦しが欲しいならその異能力を明け渡しなさい」
「それは無理な話だ。この身体》殺人道具だからな」
支離滅裂。それは赦しを乞う人間が向ける言葉ではなかった。
「分かりました。いつものことです」
光の手が男の方に向けられる。
光の手が更なる光を生み出す。
手から不自然に伸びた影は、あらゆる万物を斬るための刀として現実世界に顕現した。
「その刀――魔力殺しか。切れ味の良さそうな刀だ。ああ、いい、いいな! 一度ぐらい交わってみたかったんだ。そして願わくばオマエの美貌を醜悪なカタチになるまでズタズタに解体してやりたい……!」
欲望を我慢できず口にした男の表情は酷く醜悪に歪んでいた。
空気が殺伐する。
それは目の前にいる人の形をした光から発している感情の渦が起因している。
白い影は迷いなく、正面から疾駆した。
「戦乙女の末裔がどれほどの実力か。我が鋼の身体を持って思い知るとしよう」
右腕を黒い鉄の鉈に変貌させた長身の男は、少女が振るう連撃を達人級の鉈さばきで次々と防いでいく。
だがそれを凌駕していくのが剣の達人であった。
正面から一切退くことなく翻弄する白い影。炎のように血塗れになった大地とその上に転がる瓦礫のような死体の数々。白影の勢いに押された男はバラバラになった肉塊を踏み潰しながら後退する。
対して女性は散らばった死体を避けながら男に肉薄する。
自らの腕を鋼の凶器に変えて戦う男とこの世に現存しない伝説の刀を具現化させて戦う女性。
お互いの武器が何度も打ち合い、そして女性は男の鉈を、右腕ごと、叩き切った。
「ぐっ」
腕からは夥しい量の血が流れ、異様に伸びた腕が地面に落ちた。束の間、男はそれをすかさず拾い上げ、切断部分にくっつけると溶接したように治癒させた。
あんなものが人間なわけがないと再認識される行為だった。ただそんな化物を上回る女性も化物であることには変わらない。
さらに男は左腕も凶器に変えていく。
それは鉈ではなく盾のように分厚い鋼の斧。
手数を増やした男は怯むことなく双刀を巧みに使い分けながら対抗し、女性の隙を伺う素振りを見せる。
だが女性は全てを見据えていて、反撃の隙など一切与えない。
幾度の衝撃音が繰り返された後、男が用いる武器はまともに戦えないほど破壊されていた。
女性が扱うあの刀身は男の鉄と化した腕よりも頑丈で、打ち合う度に男の鉄腕を何度も破損させ、破壊する度、修復を繰り返す鋼を再起不能まで破壊し尽くした。
その様子から見て鋼を生成するための何かが枯渇しているのだろう。
「戦う前から勝負は決しています。大人しく投降してください」
男を壁際に追い込んだ女性は呼吸を取り乱すことなく、粛々と命令した。対して男の呼吸は荒く、ボロボロと崩れていく鋼の様子から見るに何もかも消耗している。
戦力差は傍観者である雄臣から見ても圧倒的だった。
だが、男は女性の命令に従うことはしなかった。
「悪いが命ある限り俺は敗北を知らない。そこに生えている大根を収穫せねばならない」
何を言っているのか。どこにそんな余力が残っているのか。男はまだ戦う気でいた。
それはただの虚勢か。それとも――。
「力に溺れた人間にそんな矜持は必要ないです」
三メートル。
観念なさいと女性が男の懐に跳び込んだ。優勢が劣勢にひっくり返ることなんてないくらいの速さで――。
止めの一撃を男の胸元に突き通す時。
その窮地を男はひっくり返した。
全ての能力値において女性に軍配が上がっていた。けれど一つだけ心が純真であるが故に敵わない部分があった。男はその弱点を戦いの流れで見抜いていた。死んでいるのに死んだものに気を遣いながら戦う姿勢。
男は女性に言われた通り、プライドを捨て、卑怯で姑息な選択を取った。
「――」
懐に入った女性の動作がぴたりと止まった。切っ先を突き刺そうとした瞬間、男はそこらに落ちていた死体を盾にして待ち受けたのだ。
そのまま男は崩れかけた鋼の拳で死体ごと女性の顔面を殴りつけた。
石ころのように吹き飛ぶ女性の身体。
地面に何度もバウンドし、壁に背中を打ち付けた。
「身体はこの死体よりも軽いか。中身が詰まっていない、外見だけを取り繕った駄目な大根だ」
倒れた女性はすぐさま起き上がる。額に流れる血は消え、傷は既に癒えていた。
「姑息な真似を……」
女性の声はより一層険しく嫌悪していた。
「さあ、この遺体を傷つけたくなかったら――」
「なかったら何です」
男は女性を脅すはずだった。
「がっ――⁉」
だが既に男の心臓にはその刀身が突き刺さっていた。盾にした人間を目の前に明らかに油断していた男は刹那の弾丸と化した剣を感知できなかった。
「――なぜ、だ」
女性の遺体越しに突き刺さっている白銀の刀身を見て、疑問が浮かぶ。
「生き返るはずのない遺体を庇って敗北するほど、私の道義はあなたのように狂ってはいない。好き勝手やってくれましたね。その魔力、還してもらいます」
女性はさらに刀身を押しこんだ。
「ぐっ。人質は生に限るか。新鮮さが仇になった、か――」
男は苦しそうに言葉を漏らし、女性は異様に伸びた刀を引き抜いた。だが一切、男の胸から出血は見られない。
力なく倒れ込んだ男の腕はただの腕に戻っていた。生成させた鋼は完全に消え去った。
「これで貴様は何も持たないただの人間です」
ゆっくり近づいた女性は立ち上がれずにいる男に向かってそう告げ――。
「その罪咎を死ぬまで抱き苦しみながら、生きている人間のために生きなさい」
否定は絶対に赦されない生き方の指標を指し示した。
「っ」
だが往生際の悪い男はそれでもまだ反抗心を宿した目を向ける。
「何ですか、その反抗的な目は。なぜ罪を犯した人間がそのような目を、するのですか?」
空気は一段も二段も重くなり、次の瞬間、振り払った一撃が男の右目を切り裂いた。
「ぐっ。あぁああああああああ!」
男はあまりの激痛にのたうち回る。
「痛覚は戻りましたか? 酔いは醒めましたか? これが傷つくということです。あなたはこれよりも酷いことをここにいる人間たちにしたのです。たかが目を裂いただけで死にそうな顔をしているあなたはこれ以上の痛みに耐えられますか?」
「ふっー、ふっー、ふっー」
男は流血する目を押さえ、怯えながら荒い息を吐いた。その姿は滑稽でしかなく、それは強者という名の化け物が弱者という人間に成り下がった瞬間だった。
「改心するまで私は傷つけます。けれど安心してください。半殺しにすることはあっても、殺したりはしませんから」
女性の圧倒的な風格に男は完全に支配され、女の前でまるで蛞蝓のように舌で地面を舐めるみたいに平伏した。
「……」
女性が握っていた刀は空気に溶け込むように霧散した。
「よろしい。ですが、罪を改めずに同じ過ちをした場合、貴様の命はありません。分かりましたね? 私はずっと監視していますから」
「き、肝に銘じよう。これからは大根農家になる」
身体を丸め、震えながら答えた。
「では、さっさと立ち去りなさい。これ以上、人殺しの顔を見ていたら気が滅入ります」
最後まで彼女の言葉に含まれているのは蔑みしかなかった。男は言われた通り逃げるように獣が森に帰るように立ち去った。