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天命の巫女姫  作者: たけのこ
2章 禁断の飴玉
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2―16 異変①

 九月八日。水曜日。午前五時四十五分。

 陽玄はいつも通り六時前に起床し、部屋のカーテンを開けた。早朝の弱い光は森の中に佇む洋館には届いておらず、部屋は薄暗いままだった。

 机に置いた竹刀袋を持って、一階の居間に移動する。身なりを整えて、朝食の準備を終えたら、刀の素振りをしながら琥珀が起床してくるのを待っていよう。そう思いながら階段を下りて、居間の電気を付ける。


「あ、そうだ」


 洗面所に向かう前に思い出した陽玄は、後で確認すれば分かることだが、気になってキッチン前の長テーブルを確認した。


「……」


 少しだけ笑いそうになった。昨晩テーブルに置いといた夕食は無くなっていて、料理を盛り付けたお皿やお椀などの食器類は、台所の水きりかごに置かれていた。

 どうやら目の前に置かれたご飯の誘惑に琥珀は勝てなかったようだ。

 洗面所で顔を洗い、身なりを整えた後、陽玄は台所に立つ。


「腕の見せ所だな」


 ご飯を炊き上げつつ、鍋にだし汁と切った大根と油あげを入れて火にかける。大根に火が通った後、一度火を止めて、味噌を溶き入れた。次に焼き魚を作る。清信が魚焼きグリルを使うと後で洗うのが面倒になりますので、なんてことを幼い頃に教わったなと思いながら、フライパンに二人分の鮭の切り身を載せて中火でゆっくり焼いていく。そしてひっくり返してフライパンに蓋をして蒸し焼きにする。魚を焼いている間に陽玄は冷蔵庫から卵を二つ取り出し、ボウルに卵を割り入れ軽く混ぜた後、砂糖や醤油などの調味料を加えた。そうして昨日買ってきた卵焼き用のフライパンに油を敷いて、卵液を流し入れる。半熟の状態になったら奥から手前に卵を折りたたみ、奥の方へ移動させる。再び油を敷き、残りの卵液を流し入れ、折りたたむ。それを何度か繰り返せば卵焼きの出来上がりだ。

 朝食の準備を終え、しばらく広々とした居間で刀を振るっていると、「んはよー」と動物柄(牛)のパジャマシャツにショートパンツを履いた琥珀が起きてきた。



 向かいに座っている琥珀は一口一口噛みしめるかのように朝食を食べている。


「巫さん、夜中は何も食べないんじゃなかったんですか?」


 陽玄が洗い場の方を見ておどけるように言うと、琥珀はぴたりと啜っていた味噌汁をテーブルに置いた。

 んんっ、と琥珀は照れ臭そうに咳払いをした後、「一応言っておくけど、あたしは食いしん坊なんかじゃないから!」と行儀悪く陽玄に箸を差し向けた。


「き、昨日はたまたま。たまたま、目の前にあったからで……あ~、今日も何もなくて良かったな、疲れたな~、早くお風呂入って早く寝よ、お腹空いたから早く寝よ、早く寝て朝ご飯……あ、もしかしたら朝ご飯作ってもらえるのかなぁ……なんて思ってたら、たまたま、たまたま、テーブルにご飯が用意されてて、食べないとほら、可哀想だったし、だから仕方なくだよ!」


 欲に負けた自分を認めたくないのか、それともちょろい女だと思われたくないのか、分からないが強引に押し切ってくる琥珀。そんな意地を張らなくてもいいのにと思う陽玄だったが、首肯しないと箸が飛んできそうな勢いだったので気に障らない程度に言葉を選ぶ。


「でも食べてくれて良かった」

「そんなの食べるし、美味しそうだったし。この朝ご飯だって、すっごく美味しいよっ」


 琥珀は嬉しそうに微笑んだ。たかが料理如きでそんなに喜んでくれるとは思っていなかった陽玄は、照れ臭くて食事に意識を向ける。

 しばらく食事の沈黙が続いた後、彼女は昨日あった出来事を思い返すように心配そうな声で呟いた。


「……そういえば、千幸ちゃん、大丈夫かな」

「それなら多分、大丈夫だと思う」

「そうなの?」

「昨日、巫さんが帰った後、千幸ちゃんと話したんです。父親に相談したら悲しい思いをさせてしまうかもしれないけど、相談されない方がもっと悲しむんじゃないかって」

「へぇ、それで千幸ちゃんは打ち明けようと思ったの?」

「はい。これで多分、千幸ちゃんの父親が担当の先生に話してくれると思うので、昨日みたいなことは無くなるんじゃないかと」


 琥珀は感心したように頷いた後、心配そうに口を開く。


「でも溺愛している娘さんがいじめられているなんて聞いたら、千幸ちゃんのお父さん、学校に突撃しそう……」

「た、確かに……」

「けど良かったよ。ひとまずはこれで一安心かな。君のおかげだね」

「いや、僕はただ僕と同じような後悔を千幸ちゃんにして欲しくなかっただけだ。やっぱり傷は我慢するんじゃなくて打ち明けるものなんだって、そう教えてくれたのは巫さんだから」

「えー、照れるな~」


 そわそわと、長い髪を撫でるようにしながら琥珀は言う。彼女は残りのご飯を食べ終え、ごちそうさま、と手を合わせた。立ち上がった彼女は食器を洗面台へと運ぶ。


「洗い物はあたしがしちゃうねー」

「いえ、洗い物は後で僕がしておくので置いといてください」

「いいの?」

「はい」

「じゃあ、お願いしようかな。あたしは少し仮眠を取るから。何かあったら呼んで」


 言って、琥珀は階段の方へ歩を進める。その後ろ姿を見つめる陽玄は思う。

 やはり犯人の容姿や背恰好が分かったとしても決定的な目星がつかないため、捜索手段はどうしても盲探しになってしまうのだろうと。それでも琥珀が諦めないのは純粋に街の平和を守るため。彼女は傍から見ればごく普通の女の子に過ぎないが、危険を一切顧みない。でもそんな彼女だって不安な顔を見せないだけで内心はきっと怖いはずだ。

 だから今陽玄が彼女のためにできること、役に立てることと言ったら、彼女に少しでも精を付けてもらうことだ。


「か、巫さん」

「ん?」


 呼びかけると琥珀はくるりと振り向いた。


「今日の夕飯は何が食べたいですか?」

「えっ、言ったら作ってくれるの?」

「はい。僕にできるものであればですが……」

「じゃあ、あれ食べたいなあれ、えーっと、にく、じゃが。うん、肉じゃが、がいい」


 記憶から掘り起こすように家庭的な料理名を出してきた琥珀に「肉じゃが、好きなんですか?」と陽玄が興味本位で訊ねると、彼女は「好きというより一番印象的な食べ物だったから食べてみたいと思って」なんてことを口にする。


「もしかして作れない?」

「いや。和食全般ならだいたい作れます」


 言うと琥珀は喜びを頬に浮かべながら「楽しみにしてるね」と明るい声音でそう言った。

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