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天命の巫女姫  作者: たけのこ
2章 禁断の飴玉
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2―9 河川敷での探索②

「僕も一緒に行きます。役に立てるかは分からないけど」

「いいや、十分役に立ってるよ。自分の考えを誰かに共有できるのはすごく大きな意味があるし、目は二つより四つあった方がいいに決まっているんだから」と軽く肩を叩かれた。


 だから自信を持って、と言われている気がして陽玄は頷く。

 横に視線を向けると、鉄網越し、高架下には風通しがよく、雨天でも遊べるような広い公園があった。砂場や鉄棒、ブランコにジャングルジム、滑り台や雲梯、木製の平均台まで。知ってはいたけれど、一度も遊んだことのないたくさんの遊具が区画ごとに途切れることなく並んでいる。

 人工物の遊び場には小学生ぐらいの子たちだろうか、所狭しと駆け回り、追いかけっこに興じていた。そんな姿を陽玄は歩きながら遠巻きに見る。


「ヨーゲン君、もしかして遊びたいの?」

「そんなわけないだろ」


 不意にそんなことを聞かれて、陽玄は咄嗟に否定した。遊具を見て心が弾むなんてそんな子どもじみたものは、とっくに切り捨てていてもう持ち合わせていない。これはただの好奇心みたいなものだ。


「ふーん。ならいいけど」


 さも本当は遊んでみたいくせにと言わんばかりの相槌を打ちながら琥珀は陽玄の隣を歩く。こんなたわいのない話でむきになるのも馬鹿馬鹿しいと思った陽玄は、特に反応することなく公園で楽しそうに遊んでいる子どもたちの光景を眺めていた。

 すると、遠くで見覚えのある子どもが公園のベンチに座っているのが見えた。

 茶色のランドセルに紺青色のセーター、そして頭を隠した亜麻色のニット帽。皆が遊具で遊ぶ中、一人ぽつんと座り込んでいる少女は、元気に騒いでいる子どもよりも目立っていた。昨日、商業ビルであった迷子の女の子。確か、千幸という名の少女である。


「巫さん、あの子」

「あ、千幸ちゃんじゃん」


 琥珀はおーいと手を振るが、下を向いている千幸は気づかない。このまま通り過ぎるわけがなく、彼女はフードを下ろしながら千幸の元に歩みを進めた。極力人との関係を避けていると言っていたが、彼女の本心はもっと誰かと関わりたいんだろう。陽玄も公園へと足を進める。


「千幸ちゃん」


 琥珀に名前を呼ばれて顔を上げた千幸は、侘しそうな表情をぱぁっと輝かせた。

 千幸の隣に琥珀はすとんと座る。

 陽玄は座らず立ち尽くしていようと思っていたが、琥珀は「座らないの?」といった視線を向けてきた。一方、千幸は「え、座るの?」といったいやそうな顔を向けてきた。それを察した陽玄は「千幸ちゃんが座ってほしくなさそうだから立ってる」と言うと、琥珀は「そうなの?」と千幸に訊ねた。

「だっていじわるなんだもん」

「いじわる? 迷子だったのは事実だし、こっちは心配して」

「ふんっ。うるさいもん」

「泣いてたくせに」

「泣いてないしっ」


 べーっと舌を出して反抗的な態度を取る千幸に陽玄は少しイラつく。


「ヨーゲン君、小さい子に対して大人げないよ」

「まさか、こんなことでむきになるわけないだろ」

「もう……」


 陽玄を諭した琥珀は次に千幸の方を見て宥める。


「千幸ちゃんもお兄ちゃんは悪い人じゃないから仲良くしてあげてね?」


 態度はころりと変わって、素直に頷いた千幸はランドセルを抱えて陽玄の座るスペースを空けた。陽玄は若干距離を取って、そっと千幸の隣に腰を下ろした。


「ねえ千幸ちゃん、あたしのこと、覚えてる?」

「うんっ。こはくお姉ちゃんで、お兄ちゃんはしーらないっ」


 何とも癇に障るような言い方だが、思い返してみると、彼女に名前を教えた記憶は無い。


「僕の名前は剣崎陽玄。千幸ちゃんには僕の名前は言っていなかったと思うから知らなくて当然だよ」

「お兄ちゃんって呼ぶから千幸には関係ないしっ」


 千幸なりのよく分からない反抗心なのだろうが、陽玄にとってお兄ちゃんという聞き慣れない言葉は若干の抵抗感があった。陽玄が照れくささに首の後ろを掻いていると、「ゴホッゴホッ」千幸は肩を揺らしながら大きな咳をした。


「大丈夫?」


 琥珀が心配そうに背中をさする。乱れた呼吸を整えた千幸はこくりと頷いた。


「なにか飲み物でも飲もっか。二人とも何がいい?」

「僕は何でもいい」

「ふーん、お汁粉でもいいんだ。ブラックコーヒーでもいいんだ。ブラック、苦いんだよ?」

「……じゃあ、お茶で」


 半目で口を尖らせながら問い詰められて、陽玄はしぶしぶ訂正する。


「……でも、学校の帰りに飲んでもいいのかな」


 飲むこと自体は悪いことではないと思うが、おそらく学校帰りに買ったものを飲むことに罪悪感があるようだ。


「大丈夫だよ。あたしが勝手に買ったものだから、こんなことでバチは当たらない。けど知らない人から物を貰っちゃ駄目だよ?」

「うん。それはお父さんから言われた」

「そっか。……それで千幸ちゃん、何飲みたい?」

「リンゴジュース」

「オッケー。じゃあ、待っててね」


 言って、琥珀はベンチから立ち上がり、公園脇の小道にあった自販機へと向かった。


「……」

「……」


 二人きり。

 琥珀が戻ってくるまでのわずかな間、陽玄が若干の気まずさを感じていると、千幸は小さな身体をこちらに向けてきた。


「昨日も今日も一緒、仲良しなの?」

「……まあ、友達みたいなものだからね」

「……友達。ふーん」


 千幸が発した友達という言葉には、憧れと寂しさが混合しているようだった。


「千幸ちゃん、小学何年生?」

「一年生」

「そっか、まだ新しい環境に慣れてないんだな」

「違うしっ。友達なんか欲しくないもん……」


 千幸は足元の石ころをつま先で転がしながら苦々しく口を開いた。


「まあ、友達なんて作ろうと思って作るもんじゃないし、欲しくないならそれでいいんじゃないか?」


 言うと千幸は分かりやすい反応で沈んだような表情を浮かべた。だからといって何かを言うでもなく、お互い沈黙していると飲み物を抱えた琥珀が戻ってきた。


「どうしたの? なんか暗くない? はい、千幸ちゃん」


 重い空気を感じ取りつつも、琥珀はりんごの缶ジュースを千幸に渡した。


「ありがとう」

「はい、ヨーゲン君も」

「ああ、ありがとう」


 言って陽玄もお茶の缶を受け取った。ベンチに腰を下ろした琥珀は、ミルクティーの缶タブを開け、一口飲む。それから、ふぅーと気持ちよさそうなため息をついた。

 陽玄も缶タブを開けてお茶を飲んでいると、隣でカチカチと缶タブを開けようとしている音が聞こえた。

 横を見ると、千幸は缶を開けるのに手間取っていた。


「開けようか?」

「じ、自分でできるしっ」


 陽玄が助け船を出そうとするが、千幸は頑なに拒んだ。どうしても自分でやらなきゃ気が済まない年頃なのだろう。

 かちかちと小さい手を使って懸命に開けようとするが、缶タブと格闘して一分。なかなか開けられない千幸と陽玄は目が合った。一瞬、開けて欲しそうに口を開いたが、すぐに缶タブと再戦する。それを見かねた琥珀が口を開いた。


「千幸ちゃん、ちょっと貸して。水滴がついててうまく開けられないんだよね」

「……うん」


 缶ジュースを手渡された琥珀は水滴を拭く素振りをしながら千幸に気付かれない程度で軽く缶タブを反り返して、彼女に差し出した。すると千幸の力だけでもぱかりと缶タブが開く。


「ほら、千幸だって一人でできたもん」

「はいはい、すごいね」


 開いた缶ジュースを自慢げに見せてきた千幸はお世辞とも知らずにとても嬉しそうに頬を綻ばせた。缶ジュースを両手で持ちながらぐびぐびと美味しそうに飲んで、勝利の美酒を味わったかのようにぷふぅーと満足そうなため息をつく。


「千幸ちゃんはここで何してたの? ランドセルがあるってことはまだ家には帰ってないってことだよね」琥珀が訊ねる。

「……うん」

「お父さん心配しない?」

「お父さんは夜までお仕事だから家には誰もいない」


 千幸は言いづらそうに口を閉じる。投げ出された彼女の足はしゅんと委縮し、不安げな表情を浮かべていた。


「そっか。公園は友達たくさんいるもんね」


 琥珀はベンチについた千幸の手を握りしめていた。


「うん、一人は……寂しい」


 千幸は言いづらそうに思いを吐露する。状況は違くても、あの時陽玄が抱いていたものと同じ感情であるのは確かであった。


「友達は? 遊んでくれる子はいないの?」


 琥珀は優しい声音で問いかける。


「……いない。……ずっと病気で寝込んでいたからなかなか学校行けていない……」


 近くで元気にはしゃぐ子どもの声や走る足音がするのに、それが聞こえなくなるくらいここはしんみりと静かだった。


「……幼稚園の頃からずっと病気で、寝たきりだったから学校行けていなくて……でも、今も時々体調崩したりするけど、歩けるようにまで回復したのはお父さんのおかげで、千幸のために毎日お仕事も家事も全部やってくれて、だからすごく感謝してる」


 今もまだまだ幼いのにそれよりも前からこの子は病気と闘っていたのかと思うと胸が締め付けられた。言われる前まで気づかなかったが彼女には病気と闘った面影があった。病弱である身体がバレないような身のこなし。だぶついたセーターに頭を隠すその毛糸帽子。彼女はきっと病気であることを知られたくないのだろう。


「勇気出して話してくれてありがとう。千幸ちゃんのお父さんもそうだけど、病気に負けず頑張ってる千幸ちゃんはもっとえらいと思うよ」

「……」


 千幸は鼻をすすり上げるような仕草を見せて、ポロポロと静かに涙を流していた。陽玄は泣いている顔は見られたくないだろうと、さりげなく目を逸らす。

 けれど、自ずと口から言葉が出ていた。


「千幸ちゃんはお父さんに愛されている」


 もし自分が病弱な身体で生まれてきたら父は自分をどうしていただろうか。使えない人間として見切られ、見知らぬ遠い親戚にでも預けられていたかもしれない。

 悪い癖だ。いつも他人と比べてしまう。けれど、物事を認識するためには、何かを比較することでしか成り立たない。

 すすり泣く声は止んで、千幸は頷いた。


「そうだよ、お父さんは千幸のこと好きだもん」

「千幸ちゃんは? お父さんのこと好き?」琥珀が訊ねる。

「うん、すっごく大好きっ!」


 元気いっぱいの明るい声音を聞いて視線を戻すと、千幸は袖で涙を拭って満面の笑みを浮かべていた。


「大丈夫。その笑顔があればすぐに友達できると思うよ。勇気出して友達の輪に入ってみればいい。あ、でもあたしたちは友達だけどね」


 言うや千幸は淡い茶色の瞳を輝かせ、顔一杯に幸せを滲ませていた。


「うんっ! 友達っ!」


 すっかり気分は晴れやかになり、千幸はベンチから伸ばした足をパタパタとさせていた。琥珀はふふっと微笑ましそうに笑い、片手に持った缶にまた口を付ける。そしてふぅと安堵のようなため息をついて、陽玄に呼びかけた。


「ねえ、ヨーゲン君、ブランコ乗ってみれば?」

「え、いや、僕は……」


 ブランコに乗りたい顔でもしていただろうか。とは言え、一人ブランコに乗るのもなんだか抵抗感がある。


「千幸も乗るもん」

「ランドセルとジュースはあたしが持ってておくから、行ってきな」


 琥珀が言うと、千幸は茶色のランドセルと飲みかけのジュースを彼女に預けて、向こう側にあるブランコへ駆け寄った。


「ほら、ヨーゲン君も一緒に乗ってきな」

「……分かったよ」


 急かされて陽玄も立ち上がり、千幸の後を追うように誰も使っていないブランコへ向かった。

 きい、きい、きい、と一定の間隔で錆びついた鉄がこすれ合うような音。千幸はゆらゆらと揺り籠のようにブランコを漕いでいる。

 陽玄も二本の吊るされた鎖を掴みながらブランコの台に腰を下ろし、前後に揺らす。


「楽しい?」


 隣で気持ちよさそうに風を浴びながらブランコを漕ぐ千幸に問いかけられて、陽玄は頷いた。実際に乗ってみると、風はこんなにも心地よくて、身体はふわっと軽くなった感じがした。


「初めて乗ったけど、案外いいもんだね」

「え、ブランコ乗ったことないの?」


 千幸は目をまん丸にして驚いたような視線を送った。


「うん。ないな」

「そんな人いるんだ」

「ブランコ好きなの?」

「うん、好きっ!」


 少しだけ打ち解けてくれたのか、たぶん大好きな遊具で遊んでいるからだろう、あどけない笑みで千幸は返事した。


「どんなところが好きなの?」

「落ち着くところ。初めてお父さんと公園でブランコに乗った時、顔を上げたら、お空が揺れていて、木の葉っぱも揺れていて、千幸も揺れると、なんか皆一緒なんだなぁって」


 千幸はどこか遠い遠い先の方を見つめながら、小学一年生にしては少し大人びたような理由を述べる。続けて彼女は言う。


「でね、首を後ろに反らしたら、千幸の背中を押してくれるお父さんの顔が見えて、その顔がとても嬉しそうで、千幸もすごく嬉しかったの。病気に負けなくてよかったなぁって……」

「そうか……」

「お兄ちゃんはお父さん、好き?」


 逆に問いかけられた言葉に陽玄は喉が詰まる。好きか嫌いかというより怖いが強くて、親というより他人みたいで近寄りがたくて、思い出なんて一番つらかった稽古のことぐらいしかなくて。

 知らず陽玄は漕ぐのを止めていた。


「?」


 千幸も宙に伸ばした足を地面に付けて漕ぐのを止めて、反応のない陽玄に首を傾げていた。


「ごめん、少し思い返していて……そうだね、僕のお父さんはすごく厳しかったから、好きと嫌いの両方かなぁ」


 好きでも嫌いでもない曖昧な言葉。

 だが千幸は陽玄とは違う意味でその言葉を受け取った。


「千幸もね、お父さん好きな時と嫌いな時あるよ。たまに一緒に寝るけど、最近のお父さんはね、いじわるなんだよ。千幸がこわいからやめてって言ってるのにこわい話ばっかするの」


 本人は嫌なんだろうが、微笑ましいなと思った。


「……お父さん、からかうのが好きなんだよ」

「むぅ、千幸は嫌なのに」


 不満げに唇を尖らせながら千幸は呟く。


「でもやっぱり優しいお父さんだ」

「うん。一緒に寝るの好き~」


 父親の話をする千幸は誇らしげな表情だった。彼女の話から分かるように千幸の父親は早くに亡くなった母親の分まで頑張ろうとしているのが分かる。


(もし僕が千幸ちゃんのような女の子だったら、父さんの接し方も少しは変わっていただろうか)


 陽玄はぼんやりとありもしないことを思って、すぐに淡い妄想を消し去った。

 夕暮れ時に冷たい風が吹く。夕方五時を知らせる鐘が流れる。その鐘の音が鳴ると、遊んでいた子どもたちも一人、また一人と帰っていく。


「そろそろ、帰ろうか」

「うん」


 陽玄と千幸はブランコの台から立ち上がり、向こうのベンチで千幸のランドセルを抱えながら待っていた琥珀のもとに移動した。


「楽しかった?」

「うんっ。久しぶりにブランコ乗れて楽しかった!」

「それはよかった。はい、ランドセル」


 立ち上がった琥珀は抱えていたランドセルを千幸の肩に背負わせた後、缶ジュースを渡す。


「ありがとう」


 千幸は受け取った缶ジュースを勢いよくぐびっと飲み干し、陽玄もお茶を飲み干した。


「千幸ちゃん、家どこ?」

「えっと、向こうらへん」


 ざっくりと住宅街を指差す千幸。


「学校から家までどのぐらいかかる?」

「うーん、四十分くらい」

「そっか、小学校はもしかして珠小学校?」

「うん」

「分かった」


 琥珀は指先で耳に掛かった髪をかき上げた後、陽玄の片耳にそっと顔を近づかせた。


「一度家に帰るつもりだったけど、時間も時間だからあたしはこのまま今まで事件があった場所の周辺を巡回してから帰る。君は千幸ちゃんが無事に家まで帰れるようついてあげて」

「……でも一緒に行くつもりじゃ」

「あたしの方は大丈夫だから。それよりも千幸ちゃんを一人で帰らせる方が心配」


 事件現場も近く、時間的にも一人で帰らせるのは確かに危険だ。


「分かった」


 陽玄が首肯すると琥珀は千幸に別れの挨拶をする。


「じゃあ、千幸ちゃん。あたしの家は逆方向だからここでさよならだね」

「また、会える?」

「うーん……また会えるとは思うけど、約束しても会えるかどうか分からないから……そうだな、お兄ちゃんが千幸ちゃんを家まで送ってくれるから、今度会える日を約束するといいかもね」


 言うや千幸は上目で陽玄の顔を見てきた。

 陽玄はじーっと睨むような視線を琥珀に向けると、彼女は小さく手を合わせながらごめんねアピールをする。陽玄は、はぁとため息をついて納得する。


「分かった。じゃあ、後で約束しよう」

「えー、お兄ちゃんと?」

「別にいやならいいけど」

「や、やだ。約束する」

「分かったよ」

「やった」


 千幸は嬉しい以外に例えようのないくらい無邪気な笑顔を浮かべた。それを確認した琥珀は、バイバイと手を振って公園内を後にした。

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